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マリオメーカーは文化になりえる(なりえた)のか

2017/05/22 21:41 投稿

  • タグ:
  • マリオメーカー
  • スーパーマリオメーカー
  • ゲーム
  • 共創プラットフォーム

標記のことについてはずっと考えていた。「文化」の定義はよく知らないが、ブロマガなのでいい加減に感覚的に書くと、

・何十年も廃れず、やり続ける人がたくさんいる

・社会的にも(単なるゲームの一ソフトではなく)「マリオメーカー」として認知される

・独自の風土、様式、慣習などを備えている

あたりの性質を備えるものだというように考えよう。山登りとか将棋とか野球とかといった感覚に近いだろう。特に私の着目する、マリオメーカーの「創作」という側面では、小説を書くとか、詰将棋を作るとか、プログラミングをするなどといったことと比するべきかもしれない。最近うまれた創作分野では、「ボーカロイド」などは文化として定着しつつある成功例と言えるだろうか。

こんなことを考えるのは、マリオメーカーがそれだけのポテンシャルのあるコンテンツだと私が考えるからであり、また文化らしきものが実際に生じているからだ。



●ジャンルの成立

以前にも書いたように、マリオメーカーでは「全自動」「演奏」「スピラン」「鬼畜」「謎解き」「原作再現」「クイズ」「学会」など数々のジャンルが生まれている。そして各ジャンルに専門特化した職人がいたり、プレイする側も同様に愛好家がいる。特に「鬼畜」などは、何百時間をかけて超高難度のアクションコースをつくり、それにまた全世界の強豪が何百時間もかけて挑むというサイクルができている。私自身はそれとは真逆の「一画面謎解き」を好み、アクションはどうしようもなく下手なのに、マリオメーカーを楽しめている。

ジャンルとか様式、流派などの成立は、文化が文化たるのに結構重要な要素であると考えている。ある共通の流儀に則った作品がいくつも産み出されることで、そのジャンルの質は向上し、さらに流儀が磨かれジャンルは確たるものとなっていく。その同一性の中で個々の差異が顕在化され、作家性が生じる。また複数のジャンルがあることで、多様な関心をもった主体が楽しみうるものとなる。

このようなジャンルが発生しえたのは、マリオメーカーがそれなりの高い表現可能性を備えていたからだと思う。個性を持ち、かつこれまでのマリオの歴史の中である程度認知されたキャラクターたちを、広いフィールドに自由に配置できる。これによってさまざまなテーマでコースを産み出すことができる。コースの満たすべき条件はただ「クリア可能であること」のみ。

ちなみに詰将棋ではジャンルはここまではっきりしていないように思われる。「打ち歩もの」「合駒もの」「繰り返し趣向」「煙詰」「飛角図式」などあるにはあるが、互いに混交しているようにも思える。使える駒は8種類、フィールドは81マスに限定されているのが要因の一つだろう。そして何より、詰将棋として満たすべきルールが厳格である。勿論、この厳しさによって作品の質が担保されてきた面はある。(マリオメーカー―詰将棋の比較論はまた書きたい)

マリオメーカーは詰将棋よりも絵画や小説に近い、高い自由度を持った創作分野だと思う。この自由度を基盤にして、ジャンルや様式、作家性が育まれてきた。



●プラットフォームとしてのニコニコ生放送

またマリオメーカーが文化となりえる兆しを大いに感じさせるのが、ニコニコ生放送における諸現象である。私がここまでマリオメーカーにハマり続けたのも、ニコ生の存在が非常に大きい。

ここでは放送に来るリスナーが作ったコースをコメントし、生主がそれを遊ぶという仕組みが出来上がっている。毎晩いくつか(ピーク時にはもっと多かった)のマリオメーカー放送があり、作家たちはそこを巡って、コースを貼って、プレイしてもらう。リスナーが生主と並行して一緒にプレイすることもある。そして生主は声で、リスナーはコメントで、コースに対して賞賛あるいはアドバイスをする。そのフィードバックを受けて作家はさらにいい作品を目指し、できたものをまたニコ生で披露する。

投稿するコースには、その人の性格が反映される。楽しく遊べる良コースをたくさん作る人、とにかく緻密な人、同じギミックにこだわる人、ギミック一発の独創力がすごい人、笑いに走る人、…。同じ人のコースがいくつも遊ばれることで、その人が「キャラ立ち」していく。以前とある共創プラットフォームの研究会で、創作物そのものだけではなくそれを作った作家が評価されることは、よいプラットフォームの条件の一つとして挙げられていた。

さらに、コースを通じて生主とリスナー、あるいはリスナー同士のコミュニケーションが生まれる。生主が多数いる中で、その生主のキャラクターやコースの好みに応じて「常連さん」が出てくる。皆、総じて仲がよい。ニコ生の持つ双方向性という強みが最大限に発揮されるのが、コースを作って遊び合うという性質を持つ、マリオメーカーにおいてではあるまいか。生主とリスナーが同じ程度に自らのパーソナリティを表現できるからだ。これは、(私はあまり他のゲームを知らないのだが)他のゲームの放送や将棋の放送ではなかなか見られないものだと思う。実際に多くの放送で、マリオメーカーとニコ生が特に相性がいいという意見を聞いた。

コメントで貼られるコースが増えてきたら、それを自動取得して順番を管理する「予約システム」を開発するプログラマーの生主さんが現われる。毎月違ったテーマでコースを募集する大会を主催する生主さんもいる。こうした仕組みが、自律的に生まれている。

(なお、私はニコ生しか見ていないので詳しくないのだが、他のネットメディアでもマリオメーカーのコミュニティは生まれているらしい。「○○隊」「○○会」などという名前でコースを遊び合う同人会のような団体もできているようだ)



●任天堂のプラットフォーム

マリオメーカーに対してニコ生が提供しているプラットフォームは本当に素晴らしいと思う。ではソフトを出した当の任天堂は、どのように創作物の共有や評価のプラットフォームをつくっているのだろうか。

私はこのゲームのつくり自体には、言いたいことはいくつかあるものの、概ね満足している。懐かしい原作のキャラクターがたくさん登場するのはもちろんのこと、敵を重ねられたり、羽を生やせたり、キラー砲台から何でも出せたり、音符ブロックから音がしたりといった仕様は、創作の幅を原作以上に大きく広げてくれている。コースづくりのインタフェイスもまあまあ使いやすい。マリオのコースを作るソフトという意味では、十分に及第点だと思う。ゲームをずっと作ってきた会社として、作り手の心を捉えていると思う。

しかしプラットフォームがどうにもマズかった。大量のコースが湯水のように投稿されるが、ほとんどが質の低いもので、遊んでも楽しくない。質の高いコース、自分の好みのコースを探すための検索機能も大変乏しい。後付けで「ブックマーク」というwebページができたが、これでも機能不足の上に、ゲーム本体との連携がなされていないものだった。

コースの評価は概ね「いいね」という単純な仕組みで行なわれ、「いいね」のランキングは一部の職人が独占し、注目度の低いコースはいくらいいコースであっても遊ばれないという時期が長く続いた(アップデートで幾分かは改善されたが)。コースはいろいろな側面をもっている。楽しい、難しい、美しい、スッキリ、などなど。それを「いいね」という二値評価にするのはあまりに短絡的である。ニコ生であれば自由記述で意見交換ができるのだが、こちらはそうはいかない。「Miiverse」によってコースにコメントをつけることはできるが、このMiiverseは他のゲームとの共通システムのため、やはりマリオメーカーそのものとはどうにも連携が弱いものである。

マリオメーカーがリリースされてようやく1年経ったころ、公式webページにて、3つのお題でコースをつくるコンテストが開催された。待ってましたとばかりに何万もの作家が応募をしたことだろう。私も応募した。しかし、プロセスも評価者も明かされない審査の末に発表された受賞作品は各テーマわずか3つずつ。これには本当にガッカリした。ニコ生で親交のある多くの人が同じ反応だった。そしてこの公式コンテストは、それ以降開かれていない。

任天堂は魅力的なコンテンツを作ることには成功しても、プラットフォームではそうではなかった。ユーザー同士がオンラインで対戦するという類いの他のゲームと、マリオメーカーのような創作モノでは、プラットフォームが備えるべき条件はかなり異なってくる。任天堂はそこがわかっていなかったと思う。ニコ生から学ぶべきものは多いのではないだろうか。

任天堂公式とマリオメーカーとの関連においてもっともやるせない出来事が、知り合いの作家さんのコースが「バグを利用している」という理由でいくつも消されていることだ。バグが生じたのは完全にゲームをつくった任天堂側の責任だ。しかも「バグ利用は禁止」と言いながら、ユーザーが実現可能な挙動のうちどれがバグでどれが意図した仕様なのかは一切公開されていない。

おそらく任天堂は、マリオメーカーをあくまで「自分のもの」にしておきたかったのだろう。コントロール下に置きたかった。将棋連盟があっても、将棋のルールは連盟が自由にできるものではない。小説のルールも誰も決められない。これらはまさに、将棋や小説といった文化が内包するものだ。そこに、各人やコミュニティに対して自由な遊び方の可能性が開かれる。しかし任天堂にとって、やはりマリオは自分たちの育て上げたご自慢のコンテンツだった。マリオメーカーの仕様も検討を重ねて決めたものだ。だから、その範疇を外れた「バグ」による創作は認められなかった。「いいね」を始めとするプラットフォームの設計にも、あくまで自分たちの管理下でコミュニケーションをとってくれという意図が見え隠れしている。



●結局、マリオメーカーは文化になりえるのか

マリオメーカーもリリースから1年半が経ち、ユーザー数は下降線だろう。ニコ生の放送も減ってきた。それでも根強い愛好家がまだ残っていて、全体のコースの質の平均値は上がっているようにも思える。密なコミュニケーション、多様な視点での評価といった任天堂公式のプラットフォームの成しえていないことを、ニコ生がうまく補完してくれている。

一方の任天堂公式は、昨年のコンテスト以降目立った動きがない。Wii Uも生産終了で、次のSwitchに開発のウェイトを移しているようだ。ゲームを支配している主体がこれでは、マリオメーカー文化の先行きは心配だ。愛好家の熱意は任天堂に届かず、片想い。マリオメーカーのオンラインサービス自体もそのうち終わってしまうかもしれない。

将棋は将棋盤があればどこでもできるし、小説も紙とペンがあれば書ける。しかしハードとソフト、そしてweb上のサービスがなければならないタイプのゲームでは、そうはいかない。多くのハードに移植されればよいのだが、そこは任天堂、おそらく自社のハード以外には出さないだろう。このあたり、PCでも複数のゲーム機でもプレイでき、ユーザーが自分でサーバーを立てることもできるマインクラフトとは、状況が違いそうだ。

長く続く文化的コンテンツとなるには、マリオメーカーという創作媒体自体を、任天堂がどこかである程度「手放す」必要があるだろう。



なんだか後半は任天堂に対する悪口大会のようになってしまった。私は善悪を決めつけて一方的に論じるのは好きではないので、少し不本意ではあるのだけれど、次のプラットフォームづくりに向けて大いに示唆的なところも含んでいると思っているので、書いてみた次第。


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