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つめづめ草

「最遅」で考えたこと② 応用とか

2017/05/02 23:25 投稿

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  • ゲーム

「最遅」に関してもう少し書く。



●分野のシフト

興味深かったのが、私も「2兆年」のそーさんも、他分野からの応用によって最遅コースを構想していることだ。私は詰将棋から、そーさんは計算器研究から。

私の場合、詰将棋からの技術移転が思いの外うまくいって、驚いている。「金知恵の輪」などは後付けのネーミングであるが、「馬ノコ」や「ハガシ」、「駒位置変換」などは長編詰将棋の記憶から浮かび上がってきたものだ。そもそも「最遅」というコンセプトを思いついたきっかけは、馬ノコだった。Pスイッチによってコインに重なったオブジェクトが横に飛び出す仕様を見つけ、繰り返すとジグザグの動きが馬ノコに似ているなと気づき、「長編詰将棋みたいなことをやったら面白いかも?」と発想した次第。私は大した作品もないまま詰将棋をずっと離れていたが、意外な形で、しかも割とスンナリと、応用の機会が待っていた。

研究でも、分野の壁を越えることの魅力はこのあたりにあるのかもしれない。ある分野について研究経験は、別の分野に動いたときにその応用可能性が花開く。私も、自身の研究についてそういう経験がある。

現在「異分野協働」が声高に叫ばれている。しかし私は、異分野の人が集まって協働しさえすれば何か面白いことができる、という風潮には懐疑的である。それよりも一人の研究者が他分野にシフトする方が、創造のきっかけになるのではないかと私は思っている。そこから本格的な協働が始まるとしても、最初の構想はあくまで属人的。詰将棋やっている人とマリオメーカーやっている人なんて、そもそも協働の機会すら持たないだろう。両方を知っている人が始めないと、始まらない。

他分野の知見を広く浅くでもいいので持っているとか、他分野で研究するのを恐れないとかいったことも重要かもしれない。ただし自分野での業績が残せないとか、どの分野にも属さない根無し草感は恐怖でもある。



●表現形式としての学会

「マリオメーカー学会」の発祥も、マリオメーカーをやっている人が数学もできて、加算器を実装したところにあるようだ。その動画が発端となり、やがて「マリオメーカー学会」という言葉が生まれると、動画の形式自体を学会発表風にしたり、アカデミックな研究手法が採り入れられたりして、学会はさらに学会らしくなっていく。


私自身の動画も、学会発表風フォーマットに則っている。謝罪会見も(科学者風)会見という形式を借用した。そして既存の形式に則ったおかげで、研究の社会的意義を述べたり、理論に穴がないかを検証したりするというように、コース製作や動画づくりの態度さえ、学会風に変わっていく。形式(学会)と内容(マリオメーカー)とは循環的関係にあり、内容を形式に落とし込むことでその内容が反省され、再帰的にまた内容が成長するというわけだ。これは、アナロジーを用いた創造手法の一般的な長所だろう。アナロジーのベース(例:学会)のもつ諸側面を忠実にターゲット(例:マリオメーカー)に写像しようとした結果、ターゲットが元々持たない側面がベースの中から発見され、ターゲットについての思考が進むという構造だ。

また学会フォーマットのおかげで、安心してボケを織り込むことができた。下ネタも交えて大仰な研究目的を立てたり、言葉を定義するように「カバーバー」などと名づけてみたり。他の「マリオメーカー学会」動画にも、そのような学会フォーマットを利用したボケが多く見受けられる。アナロジーがユーモアを纏い、パロディに昇華しているのである。

友達の結婚披露宴用のムービーなどをつくっていていつも思うのだが、ユーモアを伝えるために、パロディというやり方は圧倒的に強い。単にお祝いメッセージをつなげただけのムービーをつくるのではなく、何らかのテレビ番組のパロディとするだけで、披露宴の場は盛り上がるし、ユーモアが媒介することで新郎新婦に伝えたいメッセージもより伝わるようになる(…と、ここは作り手側の願望とエゴが入った推測でしかないが)。またパロディに徹することで動画づくりの方針は極めて明快になる。オリジナルの形式を発明するなんて、怖くてできっこない。

とはいえ、本当は独自形式をつくりたいな、という思いもある。パロディの対象となるような有名なテレビ番組も、最初は誰かが(先行するものを参考にしつつ)つくりあげたものだ。ピカソにしろデュシャンにしろ、新しい表現方法を発明したことで多くの人がそれに続き、形式あるいは様式となった。何をするにしても先駆者こそが偉大だなあ…、と実感する。



●研究の境界

分野のシフトにしろ、アナロジーやパロディにしろ、異なるものの掛け合わせは創造の基本的な仕組みの一つだ。

今回は学会的なものをゲームに採り入れたわけだが、逆にゲームのような、科学の対象にすらなっていないものを学問に採り入れるのも面白いかもしれないと思った。たとえば詰将棋やマリオメーカーを、電子回路の研究や、デザインの研究に応用するのは面白そうだ。「マインクラフト」は子どもの教育にも採り入れられているという。空間感覚や創造性がかなり鍛えられそうだ。ちなみに私とて、「シムシティ」をきっかけに建築学科に入った身だ。

研究と生活の全ては連続しており、生活の全ての事象が研究の対象たりうる。そういえばラブホテルの研究で修士論文を書いて話題になった建築の学生がいた。ビルディングタイプ研究の穴だ。ゲームだとかエロだとか、学問的に無視したりタブー視したりするのはいかがなものだろう。


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