それは、再結成の2008年当時とは違って圧倒的なパフォーマンスを誇るドラミング、世界中に広がり続けるファンの存在と世界に通用する作品を生んできたことへの自信から生まれる『輝く笑顔』だった。
それに加えて僕が何より注目したのは、YOSHIKI自身がXになっていた、という驚くべき進化の形だった。
そう。
YOSHIKIは長い時間をかけて、HIDEの死という悲しみを乗り越え、TOSHIと再び力を合わせ、TAIJIの悲運に直面しながらも、世界の厚い壁をぶち破り、X JAPANを世界的なバンドにするために常人では不可能なことを成し遂げていたのだ。
それがYOSHIKI自身がXになる、という進化の形だった。
けれど、そこまでの進化を可能にしてくれた背景に、自分たちメンバーと人生を共にして来た多くのファンの存在があることをYOSHIKIはわかっていた。
だから彼は号泣した。
YOSHIKIとXというバンド、そしてその姿を見守るファンが共に生きた歳月を想い、僕もまた号泣しながらそこに『生きた映画』を見たのだった。
Xというバンドは全てが生きている。
作品が生きていて
人生がそのまま伝わるメンバーの姿が生きていて
バンドとファンの関係が生きている。
だからどこまでも行ける。
世界中の人に伝わる。
そして必ず歴史に残る。
それが1年前、僕が確信したことだった。
あの日、僕が『生きた映画』だ、と感じたことと『We Are X』というドキュメンタリー映画が来年から世界発信されることは、まるでデジャヴュのようにシンクロしているけれど、それは真実がひとつであり、Xというバンドが真実であることの証なのだと思う。
JAPAN TOURを観ていて、僕はまた新たな発見をした。
その発見から見えてくる、YOSHIKIとX JAPANの今と未来を、これからお伝えしていきたいと思う。
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