2014年10月12日、六本木ヒルズ。
映画館のライブビューイングでMSG公演を観ていた僕は、YOSHIKIの背中とその向こうに広がる満席のマディソン・スクエア・ガーデン場内を見た瞬間、不思議な感覚にとらわれた。
ちょうど観ていたのが映画館だったからだろうか。
自分が今観ているのが、映画の1シーンに見えたのだ。
もちろんその映画は、30年近くという長い年月にわたって紡がれてきたX JAPANというバンドの物語だった。
それは、周りが理解できないようなスケールの大きい夢を掲げた5人が、命を懸けて音楽を生みながら前進し、途中、2人のメンバーとの辛い別れを経験しながらも、新たな2人のメンバーの力とスタッフ、そして多くのファンに支えられ、いよいよ念願のNYのマディソン・スクエア・ガーデン公演を成功させる、というストーリーの映画だった。
でも実際のところ、それは映画ではなくて今、目の前で起きている、現実の出来事なのだった。
映画館にはライブと同じようにメンバーへ声援を送り、身体を動かすファンがたくさんいた。
そう、結局僕がその瞬間に観ていた映画は、もはや世界中に広がりつつある運命共同体、つまりファンが共に参加している、生きた映画だったのだ。
何とも不思議な感覚だった。
でもそれは、X JAPANというバンドの、ある深い、そしてとても重要な本質を象徴していたのだった。
やがてその「生きた映画」を最後まで見終わった僕には、はっきりと「X JAPANとYOSHIKIの輝く未来」が見えた。
その根拠となる「ある確信」は、やはり前回、横浜アリーナ公演で感じた通りのものだった。
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2. YOSHIKIの今
今から6年前。ライブハウスの目黒鹿鳴館から東京ドームに至るまでのライブパフォーマンスや「BLUE BLOOD」「Jelousy」「ART OF LIFE」のレコーディングを通して、YOSHIKIのドラムプレイについて熟知している僕は、復活直後、2008年の東京ドーム公演を観た際、実はYOSHIKIのドラムプレイに危機感を持ったのだ。
速い曲を演奏している時のプレイに、僕が携わっていた頃のYOSHIKIとは違う、スピード感やエネルギーの翳りを感じ取ったからだ。
ビートはちゃんと鳴っているにも関わらず、音楽的にどこか流れが止まりかけて聴こえるような違和感を感じたのだった。
そして今回…。
僕が驚嘆したのは、その2008年当時はもちろんのこと、僕が携わっていた頃のYOSHIKIのドラムプレイと比べても、遥かに状態が良かったからだ。
復活直後、あの6年前の厳しい状況、そして年令という要素を考えると、奇跡としか言いようのない、理解に苦しむほどレベルの高い、圧倒的なドラムプレイだった。
エネルギーやスピードのキレにおいては、首を痛める以前、23才前後のYOSHIKIの、例えば体調と精神状態が絶好調でリハーサル中、勢いが止まらず、ツーバスの速いドラムプレイを全開で披露しながら楽しくて笑っていた、あの頃に比べても、今回の方がむしろ、ずっとレベルが上がっているのだ。
さらに、リズム感やビートの安定感といった、ドラマーとしての技量が、あの頃の比ではない最高レベルに達しているのだ。
「Silent Jealousy」や「X」あるいは「ART OF LIFE」といった速い曲のプレイは、テンポも音の鳴りも正確でとても安定しており、しかも速いビートは流れるように滑らかで、その速さゆえエネルギー全開で叩かねばならないYOSHIKIの苦しさが、微塵も感じられなかった。
今回のあまりにもレベルの高いドラムプレイを観ていると、素朴な疑問が湧く。
一体なぜ、ここまでドラムプレイのレベルが上がったのか・・・。
この数年間でYOSHIKIに何が起きたのか・・・。
また、ここまで奇跡的なレベルの向上を実現するためには、並大抵ではない、過酷なトレーニングが必要なはずだ。
そのような高いハードルを自分に課して、長い時間をかけ、自らの身体能力を極限まで向上させる、その強い意志はどこから生まれたのか。
そして何より、今回のMSG公演の成功と今後の展開に向けて、YOSHIKIはなぜ、20代の頃のような速いドラムプレイをライブの中心に据える、という難題を自分に課したのだろうか・・・。
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