〜 今回 取り上げる曲 「ALIVE」そしてバラード曲全般 〜
(…僕が常にYOSHIKIが曲を「生む」と書くのは、演奏力や音楽を聴いてきた経験、音楽理論や音楽を創るノウハウなどが、芸術心を生のまま作品に反映させることを妨げていないことを示しているのだ。…)
(YOSHIKIの作品には、芸術心が、ちゃんと生きたまま作品に閉じ込められている。
だから、聴く人にはその芸術心はそのままダイレクトに伝わる。…。)
前回は速い曲とそのドラムの魅力について書いたけれど、今回はバラードの魅力について書いてみたい。
1988年。初めて僕がXのバラードをちゃんと聴いたのは、「Vanishing Vision」の 「ALIVE」だ。
この曲を聴いた瞬間、ベートーヴェンの魅力と、YOSHIKI(=X)の音楽の魅力が完全に重なり、同時にその魅力をどのように発展させていけば良いのか、コアの部分だけだけれど、見えてきた。
僕が「ALIVE」ベートーヴェンを感じたのは、イントロの後半部分が「悲愴」に似ているからではない。
僕が「ALIVE」ベートーヴェンを感じたのは、イントロの後半部分が「悲愴」に似ているからではない。
曲の一番初め。
Am6/E Em9 という繰り返し(Em9は厳密に言えば、3度が抜けたヴォイシングだから、マイナーとは断言できない。)
この2つのコードを使った、最初のリフこそ、ベートーヴェンと重なるのだ。
それは、聴いた感じが似ているからではない。
これだけシンプルなリフに、この曲のイントロが果たすべき役割を、完璧に集約させているからだ。
ある意味、ベートーヴェンの最もポピュラーな「運命」のあのフレーズと重なる。
YOSHIKIがなぜこのようなイントロを創れるのか、その解説は、後ほど「芸術心」との関係で説明をしたい。
そしてよく憶えているのが、この時、間違いなくYOSHIKIが曲を作るのではなく、曲を生む人なのだ、という確信を得たことだった。
つまり、クラシックという音楽様式ではなく、100年以上残る音楽という意味で、クラシックとYOSHIKIの音楽が重なっていることに気づいたのだ。
だから、『ちゃんと音楽性を高めていけば、Xというバンドがとてつもないバンドになるだろう』と僕が思い始めたのは、この「ALIVE」を聴いてからなのだと思う。
前回、Xの速い曲が聴いている人の心を揺さぶる大きな要因として『YOSHIKIの情感溢れるドラム』という見方を示したけれど、情感ということなら、バラードは速い曲の比ではない。
Endless Rain、Unfinished、Say Anything、Tears、Longing、Forever Love、Crucify My Love、The Last Song・・・
YOSHIKIの生むバラードは感情がそのまま音楽になっているようで、まるで生きものみたいだ。生きている。
このように書くと、熱心なファンが、強過ぎる想いのあまりオカルティックな、非科学的な、ファンタジーな描写をしているように見えるのだが、実はそうではない。
プロフェッショナルな見地で解説が可能な、冷静で客観的、とても音楽的な話なのだ。
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