引き続き、今の時代に提案したい生き方のヒントや秘訣をお伝えしていこうと思い
ますが、今回はちょっと、僕のことを書こうと思います。
というのも、僕のある過去についてご紹介することで、これからどんどんお伝えし
ようとする色々なことが、届きやすいかも知れない、と気づいたからです。
22才の僕に何があったのか。
簡単なプロフィールでは伝わらない、僕の人生に大きな変化をもたらした、ある
出来事と、僕自身が、人生を映画のように作品にしていくんだ、と考えて毎日を過
ごしてきた背景に、実際には何があったのかを、少しお伝えしたいと思います。
また、人生は映画という考え方と作曲家/音楽プロデューサーという職業の関係も、
今回のお話でわかって頂けると思います。
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前回までご紹介してきた曼荼羅図というアイデアは、ちょうど僕が大学を卒業して、
会社に入った直後に思いついたものでした。
今思い出してみると、なぜそういう事をしていたのか、よくわかります。
その当時、僕はある決断をして、ソニーミュージックという、業界の中では大きな
会社の社員になったばかりで、自分らしい人生を創っていくために、新たなスタンス
を再び、作り直さなければならなかったんです。
会社の社員になったばかりで、自分らしい人生を創っていくために、新たなスタンス
を再び、作り直さなければならなかったんです。
その原因は、それから1年前ほど前に、僕が自分に下した、ある決断から始まって
いました。
(当時の正式な会社名はCBSソニーグループでしたが、わかりやすく今回はソニーミュージックと表記します)
ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー
いました。
(当時の正式な会社名はCBSソニーグループでしたが、わかりやすく今回はソニーミュージックと表記します)
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14才でビアノと作曲を始め、生きる目的を音楽に決めて、自分らしい生き方を形に
したくて毎日を送っていた僕は、大学の最終学年を迎えた頃になると、演奏やアレン
ジ、サウンドプロデュースが、少しずつ仕事として成立し始めていました。
その頃の僕は、当然のこととして、フリーランスの作曲家/プロデューサーという
道を突き進むつもりでいたのです。
したくて毎日を送っていた僕は、大学の最終学年を迎えた頃になると、演奏やアレン
ジ、サウンドプロデュースが、少しずつ仕事として成立し始めていました。
その頃の僕は、当然のこととして、フリーランスの作曲家/プロデューサーという
道を突き進むつもりでいたのです。
そんなある日、演奏とライブアレンジを担当していたソニーミュージックの、ある
アーティストのマネージャーから、突然、うちの会社のディレクターにならないか、
という誘いを受けました。
アーティストのマネージャーから、突然、うちの会社のディレクターにならないか、
という誘いを受けました。
僕は、音楽的な部分ならともかく、スタッフの素養など微塵も持ち合わせていない
ことを自分自身で分かっていたので、驚き、戸惑いました。
ことを自分自身で分かっていたので、驚き、戸惑いました。
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