このところ自分と向き合う時間が多くて、そうすると人生について振り返る機会も増える。
何だか無意識に自己改革みたいなことを始めているようで、そうやってこれまでの自分を見つめると、自分の良いところも悪いところも見えてきて色々複雑な気持ちになるのだが、そんな時間の中で、ふと「時代」が気になり始めた。
どういうことかというと、自分の色々な年代を振り返ってみた時、その時々の自分の在り方に時代というものが大きな影響を及ぼしていることに気がついたのだ。
今という時代ならコロナ禍が一番わかりやすいだろう。
ただ、これはかなり突出したケースで、世界中すべての人の人生に強い影響を及ぼしているわけなのだけれど、ここまで強い影響でなくても、その時々の世相や世の中の空気感のようなものが、想像以上に毎日の過ごし方や生きかたに影響を及ぼしている、そんなことに興味をおぼえたわけだ。
僕は、何が正しいのか、自分が何を望むのか、これからどんな未来へ向かうのか・・・といった人生にとって重要なことは自分自身で探して決める、という自主性の強い生きかたをしているのだけれど、時代はその「何が正しいのか」というところに強く影響を与えている。
もちろん「正しいこと」が時代によって目まぐるしく変わるわけではないけれど、もともと「正しいこと」が決して一つではなく、さまざまな立場や状況で違うため、時代によってその色は少しずつ変わっていく。
僕が思春期から大人になる頃に特徴的だったのは、それまで真面目、真剣、本気、といった硬い印象が急に「ダサい」印象に変わっていき、反対に軽くてふざけた明るいノリが良い、とされ始めた風潮だった。
軽薄・軽妙・軟派なノリが良しとされ、真面目で真剣な雰囲気が暗くてダサいイメージになっていく。
そしてさらに、その新たな時代のノリを理解して素早く取り入れ身につけることが「ナウ」くて良いのだ、という風潮が世間を覆っていった。
ちょうどファションでもカリフォルニアの雰囲気を伝えるサーファースタイルが人気だったりして、軽くて明るいノリと良く合っていた。
もちろん例えばその当時、ボクシングに命を懸けていた若者がいたら、彼にとってそういった軽いノリはあまり関係もなく影響も受けなかったかも知れない。
けれどその頃の僕は高校生から大学生になる頃で、まだ自らの職業も命懸けで取り組むプロジェクトもなかった単なる学生だったから、そういった風潮をそのまま受けとめて、元々真面目だった性格に軽くて明るいノリを無意識のうちに取り入れていったに違いない。
そうしないと時代に取り残されてしまうからだ。
さて、Xと時代について考える。
まず30年以上前の記憶を辿った時にやはり僕が感じるのが、今とは時代が醸していた雰囲気が今と全く違う、というところだ。
30年だから当然と言えば当然のことなのだけれど、僕の場合、目の前にそのままメンバーがいるようなリアリティーの中でタイムスリップしているので、とても不思議な感じがする。
そんな中で圧倒的に感じるのは、たとえ途中でバブル崩壊という衝撃が襲ったにせよ、日本という国が海外と物理的に隔離されながら、ある種オリジナルな豊かさを順調に育み、享受していた・・・という時代感だ。
今のように海外の動きや情報がリアルタイムで流入してくる感じはなく、おまけに当時は経済力も圧倒的だったから、世界の中で日本が国として自信を持つことのできる雰囲気が国全体に満ちていたように思う。
その日本で、Xのメンバーは海外を見ていた。
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(ID:86548473)
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