僕がXのプロデュースに携わっていた当時、主に雑誌など紙媒体の宣伝担当をしていた工藤玲子さんと久しぶりに会ってゆっくり話をすることができた。
 
 工藤さんはソニーミュージックの入社年度が僕の一つ上で、しかも僕が入社する頃に人事部だったので全く頭が上がらない。
 
 でも実際のところ僕が工藤さんに頭が上がらないのは、無邪気でいつも笑顔で頭が良くて気が利いてしかも物事の本質を見抜く眼力がすごいという、とても豊かな人間性を深く尊敬しているからだった。
 
 おまけに仕事で不在気味の父親に対して、常に姉と妹と母親に囲まれて育ったからか、若干フェミニスト気味の僕にとって、工藤さんが当時社内から集められた5人の社員の中で唯一の女性だったので、なおさらだった。
 
 そんな工藤さん、現在はNYで音楽関係のお仕事をされているのだけれど、実は最近ある機会があってNY在住の工藤さんとリモートで会話をするために連絡してみたところ、偶然にも年末年始は日本に来ていることが判明し、急遽実際に会うことになったわけだった。
 
 I.o.You主催で3年前に「BLUE BLOOD」30周年記念イベントを開催した際にリモートで色々な話を聞いたけれど、実際に会うのは2015年以来、7年ぶりの再会となった。
 
 
 
 7年前は別の要件があってXにまつわる話をさほどしなかったけれど、今回はXにまつわるあの頃の話を色々とすることができた。
 
 今回話して僕が痛切に感じたのは、工藤さんが僕と全く同じようにXというバンドとメンバーの本質を理解していたからこそ、僕の表現でいう「愛のプロデュース」が実現した・・・というとても大事な真実だ。
 
 最初にXのライブを観た時の印象を工藤さんが話した瞬間、当時の会話が完璧に蘇った。
 
 それは1988年6月に行われた鹿鳴館のライブだったのだけれど、何しろその半年前に社内の制作関係者全員が僕の感じるXとは真逆の印象を持っていたわけだから、新たに発足したばかりのStaff Room 3rdという新セクションのメンバーライブを観てもらった後に聞く4名の感想に、僕はあまり期待をしていなかった。
 
 ところが、工藤さんがその時に語った感想には