以前も書いたけれど、元々このMemoriesシリーズでは、5月から「1989年春から1991年春までの流れを書きとめるための副章」を書いていたのだ。
だが、取り上げる内容がとても深くなってしまったり、その時々で思い浮かぶイレギュラーなテーマを時々挟んでいるうちに、半年近く経ってもまだ1989年の秋から先に進んでいない状態が続いている。
したがって、このあたりで一度先に進めておきたい、と思った。
ちょうどあれから32年経った同じ「秋」でもあるので。
1989年の秋というのは、「日本全国にXというバンドの存在を明らかにする」という目的において、とても重要な時期だった。
Xの音楽がそのまま形になったアルバム「BLUE BLOOD」を4月にリリースしソニーミュージックの販路によってそれを日本全国に流通し、そのアルバムを携えたキャンペーンと全国ツアーを開始し、夏の大型野外イベントでとてつもないスケールを新たな観客やメディアに示した上で、小ホール展開だった春の全国ツアーから大ホールクラスの会場でのLiveへとスケールを広げながら、何よりも1ヶ月間にこなすライブスケジュールが春の4倍に迫る勢いとなり、つまりXは1989年の秋、一気に日本全国へその存在を刻みつけるという目標のもと、熾烈なスケジュールで活動を開始したのだ。
だが、取り上げる内容がとても深くなってしまったり、その時々で思い浮かぶイレギュラーなテーマを時々挟んでいるうちに、半年近く経ってもまだ1989年の秋から先に進んでいない状態が続いている。
したがって、このあたりで一度先に進めておきたい、と思った。
ちょうどあれから32年経った同じ「秋」でもあるので。
1989年の秋というのは、「日本全国にXというバンドの存在を明らかにする」という目的において、とても重要な時期だった。
Xの音楽がそのまま形になったアルバム「BLUE BLOOD」を4月にリリースしソニーミュージックの販路によってそれを日本全国に流通し、そのアルバムを携えたキャンペーンと全国ツアーを開始し、夏の大型野外イベントでとてつもないスケールを新たな観客やメディアに示した上で、小ホール展開だった春の全国ツアーから大ホールクラスの会場でのLiveへとスケールを広げながら、何よりも1ヶ月間にこなすライブスケジュールが春の4倍に迫る勢いとなり、つまりXは1989年の秋、一気に日本全国へその存在を刻みつけるという目標のもと、熾烈なスケジュールで活動を開始したのだ。
では、そんな1989年の秋に僕はどんな気持ちで毎日を過ごし、メンバーはどんな様子だったのか。
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メンバーの音楽への向き合い方
津田さんのメンバーを信じて、大丈夫と
背中を押して、ファンが 信じてついて行く!
エックスは 世界的な音楽を導き出した
素晴らしいアーティストだと改めて思いました