この2週間ほど、若干イレギュラーなスケジュールをこなしてきた。
 
 そうすると、例えばXについてあまり関心がないような、いつもと違う人たちとたくさん出会うことになる。 

 新鮮な気持ちになるし、少し新しい視点で自分にまつわることを見るきっかけにもなる。
 
 またその一方で、たまたま販売時期でもあったため、自分らしさが凝縮された、このブロマガの新刊小冊子「Innocent Eyes -Bright Future-」に関する作業も並行していた。

 その結果、僕の人生と「Xという物語」の関係について、いつもと違う感覚で見つめることになった。
 
 ブロマガの作業で、「Xの輝く未来」がもう始まっている・・・という、そもそも気づく人が稀な事実について想いを馳せながら、外ではYOSHIKIさんてボーカリストではないんですか、と首をかしげる人と会うわけだから・・・。

 
 
 
 そうしてまず感じたのは、2019年という「今」の人たちにとって、X、特にお茶の間でその存在感を感じさせるYOSHIKIやToshlが、僕が過去感じてきた以上に『レジェンド』となっていることだ。
 
 また一方で、ファンでない人たちにはXというバンドは全く理解できない、という30年間何も変わらない傾向もそのままある。

 
 その結果、Xというバンドも、そのリーダーのYOSHIKIという人も、Toshlというボーカルの人も、『何かよくわからないけど凄いらしい』・・・という風潮が世間に定着していることを実感する。

 で、今の時代は「情報過多」の「ネット社会」だ。

 つまり「膨大な薄い情報がものすごい勢いで流れ去っていく」時代だ。

 そこで、『よくわからないけど凄い』というXに関するイメージだけが、世間に広がり続ける結果となる。

 では、そんな風潮を僕がどう受け取っているかというと、結果的には良いことだと思っている。

 なぜなら、そもそもその存在すら正しく理解されていなかった30年前とは違って、そのイメージが決して間違いではないからだ。

 言うなれば、確かにXというのは、『よくわからないけど凄い』のだ。
 
 このブロマガでも何度か披露した、1988年初夏に僕が書いたXに関する企画書の中にも、次の一文がある。

 ・・・彼らはまるで踏み絵だ。頭でわかろうとする人と、いきなり感じてしまう人を、はっきり分けてしまう。頭でわかろうとした人は、「よくわからん」とか「まだ未熟だ」と残して去っていくが、ステージから眼が離せなかった事実と、思わず体が動きそうになった事実が頭の隅にこびりついてとれない。そうして「ともかくエネルギーだけはすごいね」と友人にもらすのだ。

 そう。結局、Xというバンドはわかる人には瞬時にその魅力や本質が伝わるけれど、わからない人にはどうしても理解できないのだ。

 ただ、今が30年前と違うのは、たとえわからなくてもXというバンドが、どうやら『凄い』らしい・・・という認識が、あの頃よりもずっと正しく伝わっていることなのだ。
 
 その『凄さ』が、『世界的な活動と評価』によって生まれていて、その結果『レジェンド』という言葉に繋がっているのは、明らかだ。

 やはり日本人は相変わらず「世界で評価される」という事実にはこうべを垂れる傾向があるようだ。

 そう考えると、日本で成功し海外進出を意図しながら解散を余儀なくされた頃と、世界的な舞台でビヨンセと同じ時間帯にステージを展開し、ロックの未来に期待を寄せる海外メディアに絶賛される今とでは、世界というステージにおいて、Xの存在感はとてつもない違いがあるし、それを成し遂げたメンバー、特に四半世紀以上という長い年月をかけて、海外に拠点を置きながら活動を続けてきたYOSHIKIには、そのエネルギーと努力に深い感動を覚える。

 だからこそ、たとえわからなくてもXというバンドが『凄い』らしい・・・が今の日本人の一般的な認識であることに、僕は喜びを感じるのだ。

 
 
 そんな風に「今の世間にとってのX」を感じていたタイミングで、少しばかり残念な気持ちになったことがあった。
 
 それは、10日ほど前にSNSで見た、KISSとの共演を果たしたYOSHIKIに対するネガティブな意見だった。