昨夜眠りにつく前、何となく1964年という年のことを考えていた。
 
 僕の妹やhideが生まれた年。
 
 東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が開業した年。
 
 僕は2歳から3歳になる頃だから、記憶も曖昧だけれど、ただその頃の日本を想像するだけで心があたたかくなる。
 
 日本という国が、そして様々な人々が、少しでも豊かで明るい未来を作ろうと懸命に働き、生きていた時代への淡い郷愁のようなものだ。
 
 常に世界の歴史を学び続けている僕にとって、この時代の日本が歴史的に、珍しいほど平和で美しく感じるからだろう。
 
 そうやって人々がそれぞれの人生で懸命に未来を作ろうとしてくれたおかげで、日本は1945年には考えられなかったほど豊かになった。
 
 小学生の僕が、自分らしい人生を創る術がわからなくて焦燥感に駆られる毎日を過ごしていたのも、見方を変えれば自分を取り巻く環境が豊かだったから、と言える。
 
 実際、人に言えない孤独な焦燥感を除けば、幼い毎日は豊かで平和で、幸せに満ちていた気がする。
 
 
 
 
 歴史を見ればわかる通り、残念ながらこれもまた世の常なのだけれど、そんな風に豊かになっていった日本も、やがてその豊かさが間違いを引き起こす時が来る。
 
 それは80年代半ばに始まった。