『夢を見せてくれる』
 
 これがエンターテインメントの基本的な役割であり力だ。
 
 多くのアーティストが、それぞれ特有の世界を持っていて、その世界の持つ華やかで美しい、エネルギー溢れる力が、ファンに夢を見せてくれる。


 
 30以上年前、最初にXというバンドと出会った頃、僕はバンドを探していた。
 
 どんなバンドを探していたのか、というと、これまで見たことのないようなバンドを探していたのだ。
 
 つまり僕にとって「これまで見たことのないようなバンド」というのが「夢を見せてくれる」バンドだったのだ。
 
 なぜなら、僕はその頃まで音楽人生を歩んでいて音楽の本質がわかっていたし、レコード会社にいて新しい才能を見つける仕事をしていたからだ。
 
 そんな僕には、探していて出会うバンドは皆、海外のバンドに似ていたし、曲も何かと既視感があったし、スタイルもやろうとしていることも、海外のアーティストから何かしらの影響を受けているものばかりだったからだ。
 
 つまり多くのバンドは、それぞれのファンに夢を見せてくれていたかも知れないが、僕には夢を見せてくれなかったのだ。


 
 でもXは違った。
 
 他のバンドとは全く違っていた。
 
 つまり、どんなバンドにも似ていなかった。
 
 「これまで見たことのないようなバンド」だったのだ。
 
 あまりに他と違いすぎて、最初はそもそもバンドとして意味がわからなかった程だった。
 
 バンドとして意味がわからなかったから、その存在を知ってからしばらくの間、僕は魅力にも気づかなかった。
 
 最初にその魅力に気づいたのは、バンドとしてではなくてメンバーの人間一人ひとりについてだった。
 
 人間があまりにも魅力的だったから、意味がわからなかったバンド、Xに魅力があるのだ、と気づいたのだ。
 
 僕の心の中で「意味がわからないバンド」が「日本一になれるバンド」に変わるまで、メンバーと会って1ヶ月もかからなかったのは、Xが「これまで見たことのないようなバンド」だったからだ。
 
 僕に「夢を見せてくれる」バンドだから、日本一になれる、と途中で僕は気づいたのだった。
 
 
 
 そんな風に僕が気づいたことを、その当時Xを好きだったファンは、当たり前にわかっていた。
 
 みんな、自分が好きな理由を頭で考えたり、その魅力を言葉にしたりすることなく、ただただ目を輝かせながらライブを観て、身体を動かし、叫んだ。
 
 好きな理由や意味など何もいらなかったのだ。

 ただひたすら、ワクワクして、興奮したのだ。
 
 Xがそこにいてくれれば、それで良かったのだ。
 
 Xを観て、同じ空気を吸うだけで大丈夫。
 
 一生懸命頭を使って理解しようと努力しているうちにすっかり忘れてしまった、一番大切なものを思い出すことができた。
 
 無理をして我慢を続けて、辛いから泣きたくても泣かないようにして閉じ込めてしまった感情を、取り戻すことができた。
 
 見たところ、みんなそうだった。 


 
 
 あの頃から30年経っても、Xは変わらない。
 
 世界中に増え続けているファンと、30年以上前に日本の小さなライブハウスで叫んでいたファンは、話す言語が違っても心は同じだ。

 赤い布が引き裂かれた瞬間、爆音で始まる鹿鳴館のライブも、台風による公演中止という判断の下った幕張メッセで、無観客ライブという前代未聞のライブを敢行するのも、同じことだ。
 
 それはXというバンドのメンバーが、ずっと同じ生きかたをしているからだ。
 
 その生きかたが、ファンに夢を見せてくれるからだ。