「紅に染まった夜」の初日を観て、僕なりに見えた大切なこと、そしてそれをYOSHIKIに会って伝えたことを綴ってみた。



 音楽ユニット「ツダミア」のパートナー、水晶と会場に入ると、案内をしてくれたスタッフの方が、「機材トラブルでだいぶ遅れていまして…」と遅延状況を説明しながら、VIP招待者用のロビーに案内をしてくれる。

 待つ招待者用にサーブされるYOSHIKIワインを飲みながら、約1時間程の待ち時間を「Xという物語」を水晶に説明しながら、過ごすことにした。

 待っているファンに向けて会場に流れている X JAPANの曲が、僕の説明する「Xという物語」と連動するたびに、2人で泣いてしまう。

 そんな豊かな時間を無意識のうちに過ごしている理由を、僕は自分で分かっていた。

 その理由は、会場やスタッフの醸し出す空気の中にあった。

 いったい何があったのか。

 それは、僕が2014年にその可能性を察知して、まさにこのブロマガ「夢と夕陽」に書いてきた、夢のようなこと。

 そう、『X JAPANの輝く未来』だ。

 今日の会場とスタッフの雰囲気が、『X JAPANの輝く未来』が今日という日を包み込んでいる、と物語っていた。

 僕は、今日のステージを観て気づくこと、そこから見えてくることが、『X JAPANの輝く未来』ゆえに生み出されることならば、終演後に見えたことをYOSHIKIに伝えるのは、この何年かの中で最も重要なことに違いない、と思った。

 だから僕は、スタッフに念を押して確かめた。終演後にYOSHIKIと会って話したい事がある、と。

 スタッフはその場を必ず用意すると約束してくれた。

 途中、懐かしいあの頃のファンクラブ担当者と再会してHIDEの記憶を話し合ったり、金スマのインタビュー収録でお世話になったTBSテレビのディレクター小笠原さんと番組の収録エピソードを振り返ったりしているうちに、いよいよライブの始まる時間が近づいて来た。



 ステージに比較的近いVIP招待者用の席に着き、ライブ会場を見渡す。

 目が大型ビジョンの映し出す「紅に染まった夜」という赤い文字を捉える。

 間違いない。

 今、僕は、2014年のマディソン・スクエア・ガーデン公演でその日がだんだん近づいていることを察知した『X JAPANの輝く未来』の真っただ中にいた。

 マディソン・スクエア・ガーデン公演から今日までの4年間、そして30年前からの長い長い時間を緩やかに追想しているうちに、始まりの時が来た。

 「Miracle」をバックに流れ始めた映像を観ながら、今日が『X JAPANの輝く未来』そのものであることを僕は噛み締め始めた。

 そして演奏が始まりToshIの声を聴いた時、『X JAPANの輝く未来』がメンバー全員のエネルギーの結果であることに深い幸せを感じた。

 30年前には想像出来なかったであろう程に進化した、まさに全世界で通用する圧倒的なToshIのボーカル。

 そしてその声を完璧に支えるバンドの豊かな音。

 当たり前の事だけれど、やはり全ては音楽だった。

 音楽の素晴らしさで、 X JAPANは世界に通用するバンドになった。

 そして世界レベルの音楽をやっている姿に、この数ヶ月ファンが直面していた不安は影も形もなかった。

 それもまた、僕がそう信じてファンの皆さんへ伝えて来たことそのものだった。

 2014年に僕が気づいた、「YOSHIKIがXそのものになっている」という事実は、世界に通用するバンドであるために、その突出した人間力でYOSHIKIがメンバーを守り、リードしながら『X JAPANの輝く未来』へ向かっていった姿を表したものだった。

 では、Toshlの歌を含め、メンバーがちゃんと世界レベルであり『X JAPANの輝く未来』を実現した今日、既にまた次に向かっているはずのYOSHIKIは、何を見せてくれるのか。

 僕はそれを見て分かった本質をYOSHIKIに伝えたくて、ステージとビジョンを凝視していた。

 やがてその答えは、曲の合間に流れる、HIDEとTAIJIへの想いとYOSHIKIの心と身体の痛みが伝わる映像、そしてSUGIZOバイオリンソロの後で突然始まった、ある曲の演奏にしっかりと刻まれていた。