2015年7月5日に配信されたブロマガ記事を復刻版としてお届けします
僕が、Xの制作をしていた当時の想い出と共に、大切に保管してある数々の資料。
その一部を以前、2013年の9月に「津田直士 資料室」と題してご紹介しました。
http://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar338685
http://ch.nicovideo.jp/tsudanaoshi/blomaga/ar338685
3回にわたって掲載したその資料を今回、再びまとめ、新たな資料も追加して掲載します。
レコーディング時に使用したノートや譜面、詳細なスケジュールなどを改めて見ていると、
当時の記憶が鮮やかに蘇ります。
当時の記憶が鮮やかに蘇ります。
濃密な時間の連続。
闘いの日々。
本当に命がけでした。
本当に命がけでした。
そして何より、音楽に対する情熱がとてつもなく強かったことを、残された紙が語りかけ
てくれます。
てくれます。
資料をご紹介しながら、そこに眠っている当時の空気も、僕なりにお伝えしていきたいと
思います。
思います。
ぜひ楽しんで下さい。
( ※ 過去の資料をご紹介する上で、当時関係していた人達に迷惑がかかったりすることのないよう配慮し、
基本的には僕自身が記したまたは監修した資料、及び僕の視点に基づいて選択された公式な資料に限定して
いきたいと思います。)
( ※ 過去の資料をご紹介する上で、当時関係していた人達に迷惑がかかったりすることのないよう配慮し、
基本的には僕自身が記したまたは監修した資料、及び僕の視点に基づいて選択された公式な資料に限定して
いきたいと思います。)
ではまず最初。今回は僕が「ART OF LIFE」のレコーディング中、1993年に書き上げた、
ライナーノーツの手書き原稿です。
ライナーノーツの手書き原稿です。
最近、「ART OF LIFE」の制作にまつわる記憶を整理するために、1991年から93年まで
の資料を確認しているのですが、アルバム「Jealousy」のレコーディング終了後、東京ドー
ム公演や全国ツアー、オーケストラ共演ライブやV2の活動、そしてテレビ出演など、
恐ろしい過密スケジュールの中、なんとか「ART OF LIFE」を形にしよう、としている様子
が、資料を見るとわかります。
の資料を確認しているのですが、アルバム「Jealousy」のレコーディング終了後、東京ドー
ム公演や全国ツアー、オーケストラ共演ライブやV2の活動、そしてテレビ出演など、
恐ろしい過密スケジュールの中、なんとか「ART OF LIFE」を形にしよう、としている様子
が、資料を見るとわかります。
結局「ART OF LIFE」のレコーディングは、Xがソニーミュージックとの契約終了後に、
世界進出を目指して新たにアトランティック・レコードと契約、X JAPANとなってから、
再開することになりました。
世界進出を目指して新たにアトランティック・レコードと契約、X JAPANとなってから、
再開することになりました。
東京ドーム3Days公演とTAIJIの脱退を期に、世界進出を目指すメンバーと離れてソニー
ミュージックに残ることを決意した僕でしたが、「ART OF LIFE」の制作だけは、ソニー
ミュージックからのレンタルプロデューサーという形で変則的に参加。
無事、完成までを共にすることができました。
ミュージックに残ることを決意した僕でしたが、「ART OF LIFE」の制作だけは、ソニー
ミュージックからのレンタルプロデューサーという形で変則的に参加。
無事、完成までを共にすることができました。
つまり形式的には92年の春にXから離れていたのですが、その夏から再びメンバーと共に
熱いレコーディングの日々を過ごし、翌年93年の夏に、本当の意味で、僕はX JAPANから
離れたのでした。
熱いレコーディングの日々を過ごし、翌年93年の夏に、本当の意味で、僕はX JAPANから
離れたのでした。
この原稿を書いたのは、93年の5月ですから、全ての楽器はレコーディング済み、最後の
ボーカルレコーディングをしている頃。
ボーカルレコーディングをしている頃。
そろそろ「ART OF LIFE」のレコーディングも終わりが見え始め、心のどこかで、メンバ
ーとの別れを意識して、1987年からの6年間を振り返りながら、書いていました。
ーとの別れを意識して、1987年からの6年間を振り返りながら、書いていました。
何度も書き直しを繰り返し、最終的にまとまった文章を、ていねいに清書したのが、この
原稿です。
原稿です。
最後にこの原稿をゆっくり読み返し始めた途端、視界がボヤけ、啜り泣きをしながら読み
続け、最後の一行で、僕はとうとう号泣していました。
続け、最後の一行で、僕はとうとう号泣していました。
作品と完成までの3年間、そしてYOSHIKIへの想いが溢れたからです。
そんな、僕の個人的な想いを、ライナーノーツという形で、大切な作品に同封してくれた
YOSHIKIとメンバーに、未だに深い感謝と感動を憶えます。
YOSHIKIとメンバーに、未だに深い感謝と感動を憶えます。
次は「ART OF LIFE」で使用した、YOSHIKI直筆のオリジナル譜面の面影。
1990年の夏、YOSHIKIと2人でスタジオにこもって基本形を創り上げた時から使い始めた、僕の宝物
です。
残念ながら、本人の直筆なので、中身をお見せすることは出来ませんが、その表紙をちょっとご紹介します。
これが僕の宝物、YOSHIKI直筆のオリジナル譜面の表紙です。
そう、曲があまりにも長いので、ノートに譜面の写しが貼ってあるのです。
中は、残念ながらお見せできませんが、YOSHIKIの中に生まれたこの曲と、
そこに込めた魂のすべてが音符になっています。
100年残る音楽を創り続ける音楽家としての圧倒的な才能が、
ここに刻まれているんです。
そしてこちらは僕が書いた譜面。
レコーディングとは別な用途で、ピアノソロの概略を抜き出したものですね。
何か、自分の作業のためだったかも知れません。
写真③は、アルバム「Jealousy」のLAレコーディングで苦楽を共にした戦友、レコーディ
ングエンジニアのリッチ(Rich Breen)。リッチは僕の英語の先生でもありました。
写真③
写真⑤
写真⑥
今回、新たに追加掲載するのは、用途別の譜面2つ。
レコーディングやテレビ出演など、大切な作品の内容を何らかの目的のため、きっちりと把握したり、相手に伝えるためには、臨機応変にその目的に応じた譜面を作ることも大事。
中は、残念ながらお見せできませんが、YOSHIKIの中に生まれたこの曲と、
そこに込めた魂のすべてが音符になっています。
100年残る音楽を創り続ける音楽家としての圧倒的な才能が、
ここに刻まれているんです。
そしてこちらは僕が書いた譜面。
レコーディングとは別な用途で、ピアノソロの概略を抜き出したものですね。
何か、自分の作業のためだったかも知れません。
改めて大切に保管してあった資料を見ているうちに、いくつか新たな発見があったりもしました。
そんな内容を、資料と共にご紹介します。
まずは写真① 実はこれ、ソニーミュージック(当時はCBSソニー)の社内報なんです。
1989年の春ですから、ちょうどXのメジャーデビューのタイミングですね。
メンバーの写真は、ライブだから渋谷公会堂だと思います。
1989年の春ですから、ちょうどXのメジャーデビューのタイミングですね。
メンバーの写真は、ライブだから渋谷公会堂だと思います。
僕の本「すべての始まり」にも書いてある通り、まだその可能性が周りに理解されてい
なかった中、やっとアルバム「BLUE BLOOD」も完成、これからが勝負という、メンバー
も僕も、熱い火の塊となってエネルギーが爆発していた時期なんです。
なかった中、やっとアルバム「BLUE BLOOD」も完成、これからが勝負という、メンバー
も僕も、熱い火の塊となってエネルギーが爆発していた時期なんです。
おそらく僕のインタビューをまとめた内容なんだと思いますが、その熱い火の塊と化した
僕が語り、説明するXというバンドが、いま読むとなかなか面白いんです。
僕が語り、説明するXというバンドが、いま読むとなかなか面白いんです。
新人ディレクターが新人バンドを手がけながら、よくこれだけ自信と確信があるな、と
いうところ、また一方で、勘違いされないよう、用心深く抑えめな表現をしているところ、
そして、まだ新人バンドであったXに対して、全く今と変わらないリスペクトを持っている
ところ。
さらには、何よりもまだ戦いの前夜にもかかわらず、すでに未来を見ていて、確信がある。
「すべての始まり」の原型が、もうここにあるんです。
今回発見して、結構驚きました。
写真① (※ 字が読めるサイズに加工したため、少々横に広がっています)
いうところ、また一方で、勘違いされないよう、用心深く抑えめな表現をしているところ、
そして、まだ新人バンドであったXに対して、全く今と変わらないリスペクトを持っている
ところ。
さらには、何よりもまだ戦いの前夜にもかかわらず、すでに未来を見ていて、確信がある。
「すべての始まり」の原型が、もうここにあるんです。
今回発見して、結構驚きました。
写真① (※ 字が読めるサイズに加工したため、少々横に広がっています)
ちなみに写真②は、その記事が掲載された社内報の目次ページ。
懐かしいですね。
写真②
懐かしいですね。
写真②
写真③は、アルバム「Jealousy」のLAレコーディングで苦楽を共にした戦友、レコーディ
ングエンジニアのリッチ(Rich Breen)。リッチは僕の英語の先生でもありました。
知的で誠実で穏やか、人としての魅力に溢れ、音に対する感覚は抜群、グラミー賞の受賞作
もある、アメリカで第一人者のレコーディングエンジニア。
もある、アメリカで第一人者のレコーディングエンジニア。
当時、アメリカ音楽業界では、レコーディング、特にリズムトラックは音質的なこだわり
からか、まだまだアナログが主流。
からか、まだまだアナログが主流。
そんな中、デジタルマルチレコーダーSONY3348を4台フルで使用しながらの、緻密な
Drumsレコーディングは、このリッチがいたからこそ可能だったのです。
Drumsレコーディングは、このリッチがいたからこそ可能だったのです。
写真③
次の写真④ この、津田資料室のアイコンに使っている写真は、当時のレコーディング
トラックシートです。
トラックシートです。
マルチレコーダーによるレコーディングの、どのトラックにどのパートをレコーディン
グしているのかを記録するシートです。
グしているのかを記録するシートです。
通常、レコーディングエンジニアは、効率よくレコーディングを進め、自分がちゃんと
トラックを把握するためにも無闇にトラックが増える事を嫌い、アーティストは、たくさ
んトラックを使いたがり、レコーディングした素材をなるべく消去しないでおきたいため、
トラック数が増えていく傾向にあり、僕はいわば、ちょうどその間にいる立場でした。
トラックを把握するためにも無闇にトラックが増える事を嫌い、アーティストは、たくさ
んトラックを使いたがり、レコーディングした素材をなるべく消去しないでおきたいため、
トラック数が増えていく傾向にあり、僕はいわば、ちょうどその間にいる立場でした。
だから、リッチには、なるべくトラックをたくさん使わせてもらうようにあれやこれや
の手を使ってお願いし、その代わりに、責任持って、僕自身が複雑なレコーディング状況
を把握、常にレコーディングの段取りを決定指示できるよう心がけていました。
写真④
の手を使ってお願いし、その代わりに、責任持って、僕自身が複雑なレコーディング状況
を把握、常にレコーディングの段取りを決定指示できるよう心がけていました。
写真④
写真⑤ この資料は、アルバム「Jealousy」のレコーディング時に使用していた、レコ
ーディングが無事完了したパートを塗りつぶしていく、レコーディング進行チェック表。
ーディングが無事完了したパートを塗りつぶしていく、レコーディング進行チェック表。
タイトルがいくつか、仮タイトルですね。
これをひとマス塗りつぶす瞬間は、苦労が実った充実感と、まだ塗りつぶされていない
マスへの気合いが交じった、何ともいえない気分でした。
マスへの気合いが交じった、何ともいえない気分でした。
ART OF LIFEの、Drums以外のパートは、この後3年間、塗りつぶされることはなかっ
たわけですね。
たわけですね。
写真⑤
ちょっと面白いものを。
写真⑥は、レコーディングで皆が音に集中している中、ふと気がついて、咄嗟に判断、
そっとYOSHIKIに伝えるために書いた走り書きだったと思います。
そっとYOSHIKIに伝えるために書いた走り書きだったと思います。
オーケストラレコーディングの時だったかな。
レコーディングは常に臨機応変なジャッジが必要。ゆったり、大きく構え、音楽の持つ
可能性を最大に引き出しつつ、一方で一瞬の判断の上、秒速で動くことも大事。
可能性を最大に引き出しつつ、一方で一瞬の判断の上、秒速で動くことも大事。
創造と段取りのバランスが微妙に要求される、レコーディングスタジオでの時間が、僕
はあの頃から今まで、ずっと好きです。
はあの頃から今まで、ずっと好きです。
写真⑥
今回、新たに追加掲載するのは、用途別の譜面2つ。
レコーディングやテレビ出演など、大切な作品の内容を何らかの目的のため、きっちりと把握したり、相手に伝えるためには、臨機応変にその目的に応じた譜面を作ることも大事。
それも当時の僕の、重要な仕事でした。
こちらは「Say Anything」の譜面。1小節=1.6秒という書き込みがあるので、放送やタイアップなどに関わる、短縮版エディット用の譜面のようです。
そしてこちらは「Week End」の譜面。
レコーディング作業の中で、何らかの必要に応じて作った譜面ですね。
通常、レコーディングのマスター譜面は、コード進行と全体の構成がきちんと網羅されたものですから、この譜面は副次的な目的だと分ります。
いかがだったでしょうか。
他にも資料は色々ありますが、どれも僕にとっては宝物です。
当時の想い出と情熱が資料に刻み込まれているからです。
また機会があれば、他の資料もご覧頂こうと思います。
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