この文章は、あくまで私個人の独断と偏見で出来上がっています。決して、作品の正確な評価として受け取らないで下さい。
また、この文章の全部・または一部の転載を禁止し、秘密裏に転載した際に生じる事故・訴訟については、私は一切責任を取りません。
「銀の猫」(著・朝井まかて)について。
女中奉公で老人介護をする、江戸の女性の話だった。
読み終わって、先ずなにより時代劇であることの意味があるのかという気分が真っ先に浮かんだ。
地の文はある程度、江戸らしさが滲む文であったが、女性の話し言葉は先ず現代女性のそれであった。木に竹を接いだような会話文であった。
また、酷く個人的な感情だが、江戸の女といえば、婦喧嘩の末の方に、夫が「てめぇ叩き斬ってやらぁ!」ときたら「ええ、ばっさり斬って頂きましょう」と啖呵きってドカッと座り込むような肝の据わった女性が、私の頭の中に居座っているので、現代的な繊細さを持った弱々しい女性と江戸が結びつかなくて、時代劇として読むことが私には、出来なかった。作家からすれば「そんなもの知るか」という話だが。
そして、老人介護と放埒な母を持った主人公の身に起こる事件とその顛末のどれをとっても現代でそのまま通用するものだったのだ。が、文章全体からにじみ出る現代の臭気に押されて、現代と江戸の共通点を見出したというような小さな感情の昂ぶりが、ほとんど起こらなかった。むしろ、これは本当の江戸の知識なのか知らん、架空の似非江戸時代の話ではないかと疑う気持ちの方が優ってしまった。
ただ、話自体は、静かな心地良さともの悲しさを混ぜ合わせた良いものだったと思う。かえすがえす、なんで時代劇にしたのか、勿体ないと余計な愚考をするばかりである。
これはあくまで個人的な感想なので、自分で一読して真偽を確かめない限り、私の評を使うと恥をかく蓋然性は高いので御注意下さい。