映画三枚颪

映画三枚颪「検察側の罪人」正義は常にたったひとつ。

2018/08/24 19:48 投稿

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新作映画「検察側の罪人」を見てきましたので、その感想などをレビューしていたいと思います。
ネタバレもたくさん含まれますので、映画館へ行く前にこのレビューを読むのはおすすめできませんのでご注意を。



見てきました映画は「検察側の罪人」です。

アニメや漫画の実写化以外の、ちゃんとした邦画を映画館で見るのはいつぶりでしょうか。
邦画の予告を見ても心惹かれることがなかなか無いんですよね。
そして後でTVで見たとして「この映画劇場で見ればよかったーー!!」ってならないんですよね。

この映画も正直、TVで見たらそうはならなかったと思います。
でも見終わった今はこう言えます。
劇場で見て良かった。本当に良かった。

批判されるのを覚悟で正直にいうと僕は「洋画>邦画」という価値観を持っている人間です。
このレビューを書いている今もそう思っている部分はぬぐいきれません。
けれどもその先入観をそろそろ捨て去らなければならないかもしれません。
この映画を見て、やはり正しい映画体験は映画館でしか体験できないんだなと思いました。
あとでTVで見て面白かったか、そうでなかったかは大したバロメーターにはならないという、とても当たり前なことをこの映画で初めて理解できたような気がします。

ということで映画の本編に触れていきたいと思います。


メッセージ性を映画に求める人ならば、この映画ほどぴったりなものはないでしょう。
犯罪、そして犯罪者を ”どうするのか” という非常にシンプルな命題をこの映画は投げかけて来ます。非常に具体的でシンプルな命題ですね。けれども一言では答えづらい命題です。

「正義は人の数だけある」という着地点もよくありますが、僕はそういう着地点はハッキリと言って嫌いです。それはただの逃げ口上であり、実際にはそのどれかを選ばなければなりませんし、どのような形であれ誰もが選んでいるはずです。
選んでいるのに、選んでいないふりをしようとするのは良い行いとは言えません。

ですので、まず僕の考えを申し上げるとします。
この場合、松倉は無実の冤罪の被害者であり、最上と弓岡こそが裁かれる必要があるだろうと思います。松倉は場合によっては検察や最上を訴えることもできるかもしれません。
検察や最上はきびしく糾弾されるべきだと思います。



ですがこの文章、書いていて非常に気分がよくありません。なんというか反吐が出ます。
松倉に対して、同情や憐憫は一切感じません。(そういう感情を持たれないように作られている)

上映中も、松岡が無罪判決のパーティーをしているときには吐き気と涙を堪えながらスクリーンを見ていました。
なにより沖野検事による松倉の取り調べの内容は非常に重かった。
だからこそ松倉がタップダンスを踊りだしたあたりは、ぶつけどころのない激しい不条理感を感じていました。

なぜならスクリーンの中でおきていることと、本質的に同じことが実際の現実でも起きているわけで、それに対して一般市民や警察、検察は法に定められたこと以外はできないからです。
何がおころうとも、その犯人を裁く法がないなら、誰にも裁くことはできないからです。
どれだけ惨いことしようと、どれだけの命を踏みにじっていても、裁く法がないなら手をこまねいていることしかできない………。

けれども、非常に許しがたいですが、これはやはり受け入れざるを得ません。
それが”法”というものだと思っています。
国家という枠組みの中において、自分の感情と相反する仕組みが必要なことがあります。
つまり法とは公共益のために存在するものであって、個人のために存在するものではないということです。よくある加害者のため、被害者のためという議論は非常にナンセンスだと思います。

僕はそう考えています。


さて、それでは映画の中身の話をしましょう。

最上検事の行動が突飛すぎて説得力がちょっと足りなんじゃないかといったところや、橘事務官と沖野検事がいきなりくっつく必要性など、細かいところは甘いところも多いですが、原作ものである以上仕方ないところもありますし、なにより大きな視点で見ると全体的によくまとまったいい映画だと思います。甘いなーと思っても別のところで説得力をきっちり持たせて来ます。伝えたいことを伝えるために、飽きずに見てもらうために、押さえるべきところをきっちり押さえて、作りたいものを作りきったような印象です。
メッセージ性に偏りすぎると同じ話の繰り返しだったり、ただただ暗い話だったりしますが、この映画は見ている人を釘付けにするという意味で、娯楽性にもかなり配慮されている映画だと思います。

またテンポが良いおかげで非常に見やすいですね。
140分という長い尺ですが、なんならもっと尺があっても話は十分作れるだろうというぐらいに、丁寧に抑えめに尺を使い切ったような感じがします。
5分進めばちゃんと5分話が進むと言いますか(笑)

橘検察事務官と沖野検事が辞表を出したあたりからは一気に時間を詰めて来ましたが、これは人によっては気になるのかも知れません。
僕としてはこの映画の特性を考えれば英断だったかなと思います。
スクリーンの中で何が起きて、何がどういう着地点になるのかがはっきりしてきたシーンで、ああいった小休止というか、間を入れてくれると何かと考えられる時間があって丁度良いです(笑)

ただ私が一番すごいと思うのはその臨場感ですね。

特に最上が弓岡を撃ち殺すシーンですね。

このシーンは臨場感がありすぎて、僕は精神的なダメージを負ってしまったほどです。
最上は拳銃で弓岡を至近距離から撃つのですが、1発できれいに死んでくれないんですね。
1発受けた弓岡は断末魔としか言いようのない悲鳴をあげて、最上から少しでも離れようともがくんです。死ななかったことに驚いた最上は弓岡に何発も銃弾を撃ち込みます。
動かなくなるまでです。

この時の弓岡の姿が僕は忘れられません。

察するにあまりある体中の理解不能な痛み、命への執着、人間の生存本能、銃を向けられる恐怖。
殺人という行為のすべてが表現されたかのようで、筆舌に尽くしがたい光景でした。
二人も人を殺している最低のクズですが、そういったところとは別のところで、なぜか僕は非常に罪悪感を感じていました。これは僕が甘すぎる性格だからなのでしょうか。
とにかく恐ろしいシーンでした。

これ以外にもいろいろなシーンで非常に説得力の高い臨場感あるシーンが多いです。
撮り方が良いっていう部分もあるかもしれません。

あとはエンディングにも触れておく必要があるでしょうか。
無罪になった松倉は諏訪部によって交通事故に見せかけて殺されます。もちろん最上の依頼による犯行でしょう。沖野検事は一連の事件の犯人は最上検事だと確信していますから、最上検事を問い詰めに行きます。
そこで最上検事からある種の開き直りをされるわけですが、沖野検事はそれを正しいと同意することも、法に反する行為だと断罪することもできぬままに最上検事のもとを去ります。
そしてその現実という不条理に慟哭。

僕は正直わからなくなりました。

大切なのは慟哭のあとです、沖野検事にっても私たちにとってもです。
そのあとこそが大切なのです、ただ慟哭するだけでも、「正義は人の数だけある」と逃げるだけでもダメなのです、
でも映画の中で、どこまでやるのが正解なのでしょうか、監督なりの答えを必ず提示したほうが良いのでしょうか? 各々が考えて、それをぶつけ合ったほうが良いのでしょうか?
今のところはっきりこっちだと言い切れない感がありますね。


あとは沖野役を演じる二宮さんが役にマッチした非常に良い演技をされていましたね。
理想を貫くことに葛藤しながらも、けっして暑苦しくなくさわやかな新米検事という役とのマッチングが好印象でした。

キムタクは二宮さんと並ぶこと、正義に燃えるあまり行き過ぎた行動をするという役周りもあって勢いのある演技が求められていましたが、個人的にはクールな役のほうが合っているような気もします。(HEROとかみたいな?)
もっと狡猾でえげつない役だったならハマっていたような。
まあ、それでは物語が歪んでしまいますか。
いきなり悪の教典のような話になってしまっては台無しですね。


ほかにも触れられる点はたくさんありますが、以上 感想&レビューでした。
とてもいい意味で邦画らしく、非常に見ごたえのある映画だと思います。
ストーリー自体は非常にシンプルで誰にでも理解できるものになっていますので、私のように邦画に幻滅しつつも、しっかりとした映画を楽しみたかったという人でも確実に価値ある映画だと思いますので、ぜひぜひ皆様も劇場でご覧ください!

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