じゆうちょう

[記録に見る第二次大戦]原子爆弾の誕生と投下決定 中編

2015/05/23 22:05 投稿

コメント:4

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前回からの続きです。

1945年5月4日、原子爆弾の完成が間近になったことを受け、その実戦使用や戦後の核政策を検討するための暫定委員会が米国で発足しました。暫定委員会が同年5月末に提出した決定事項に対し、原爆開発に携わった科学者らはどのように反応したでしょうか。


□科学者らに衝撃走る
  • 原子爆弾は、日本に対して早期に無警告で使用すること
  • 原子爆弾の投下目標としては「労働者住宅に囲まれた軍事工場」地帯とすること
これらの決定事項は、原爆開発に携わった科学者らに衝撃を与えました。彼らの多くは当初の目的どおり、対ドイツ戦での使用を前提に協力していたからです。また彼らは、「無警告投下」について、戦後に同じく核保有国となるであろうソ連側からの不信や反発を招くことを危惧していました。


□科学者らの提言、政府に通じず
この決定事項を受け、1945年6月1日ドイツから米国に亡命した物理学者ジェームズ・フランクを中心とした科学者の委員会が、「マンハッタン計画」の所管である米国陸軍省の長官に提言を含めた報告書を提出しました。報告書の中には、暫定委員会の決定事項に批判的な次の提言が記されていました。
ドイツのロケット弾ほどの無差別攻撃性を持ち、しかも、その数百万倍の破壊力を持つ武器を極秘裡に用意し、かつこれを突如として使用する国が、このような武器を撤廃するための国際協定を望んでいると宣言したところで、世界の人びとを信用させることはきわめて困難であろう

― シャーウィン、加藤幹雄訳 『破滅への道程』
しかし、この提言は陸軍長官に取り上げられることはありませんでした。米国陸軍長官のスティムソン自身も「今後数年以内に」ソ連が原爆を保有する可能性が高いと予想していましたが、それでも米国政府は米英による核独占の姿勢を変えませんでした。


□ヤルタでの取り引きと、ソ連対日参戦への手掛かり
数ヶ月遡った1945年2月4日、ソ連随一のリゾート地であるヤルタで、米国(ルーズベルト)、英国(チャーチル)、ソ連(スターリン)の各首脳が戦後の利益分配について会談し、協定が結ばれる出来事がありました。世に言う、「ヤルタ会談」です。協定の内容には、原爆投下前後の日本、そしてソ連の運命を握る約束が含まれているので、ここで一部抜粋しておきます。
三大国即チ「ソヴィエト」連邦、「アメリカ」合衆国及英国ノ指揮者ハ「ドイツ」国カ降伏シ且「ヨーロツパ」ニ於ケル戦争カ終結シタル後二月又ハ三月ヲ経テ「ソヴィエト」連邦カ左ノ条件ニ依リ連合国ニ与シテ日本ニ対スル戦争ニ参加スヘキコトヲ協定セリ
現代語に直すと、次のような内容です。

“3大国、すなわち「ソビエト連邦」、「アメリカ合衆国」および「英国」の指揮者は、「ドイツ」が降伏し、かつヨーロッパでの戦争が終結して2~3ヶ月経ってから、「ソビエト連邦」が次の条件で連合国に加わり、対日戦争に参加するべきことを協定した”

つまり、米英が

「美味しい条件(→「次の条件」とあるもの)を提示するから、
 (「日ソ中立条約」を一方的に破棄する事になるが)対日参戦してほしい」

と申し出て、ソ連がこの申し出を呑み込んだ、ということです。ここでソ連は、後の対日参戦への手掛かりを掴んだことになります。対日参戦の条件は次の3つです。
  1. 外蒙古(蒙古人民共和国)ノ現状ハ維持セラルヘシ(→(ソ連サイドの)モンゴル人民共和国は、現状維持してください)。
  2. 千九百四年ノ日本国ノ背信的攻撃ニ依リ侵害セラレタル「ロシア」国ノ旧権利ハ左ノ如ク回復セラルヘシ(→1904年、日本の背信的な攻撃(日露戦争のこと)で侵害された帝政ロシアの旧権利は、次のとおり(樺太南部の領土返還、大連港・旅順港の権益、南満州鉄道の権利、満州の主権は中華民国が保有する)回復してください)。
  3. 千島列島ハ「ソヴィエト」連邦ニ引渡サルヘシ(→千島列島はソ連に引き渡します)。
引用の出典:国立国会図書館>サービス一覧>電子展示会>日本国憲法の誕生>憲法条文・重要文書>ヤルタ協定
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j04.html


□ルーズベルト大統領、死す
ヤルタ会談から2ヶ月と少しした1945年4月12日、静養先のウォーム・スプリングスで、ルーズベルト大統領は死去しました。死因は脳溢血で、御年63歳でした。連合国側、特に米国の国民には衝撃が走りました。

ニューディールから第二次大戦までの12年間、米国にとっての多難な時代に、彼は米国の最高指導者の地位にありました。肉体的疲労が極限に達していたことも知られていました。2月のヤルタ会談のおり、誰の目にも痛々しく感じられるほどの衰弱ぶりでしたが、それでもスターリンやチャーチルを相手に戦後構想について議論をリードし、まとめていました。

ヤルタ協定はソ連に大幅な譲歩をした形で纏まったもので、後年批判もありました。しかし彼は戦時中に形成された連合国の協調を戦後にも維持することが世界平和の鍵と考え、ソ連に妥協せざるをえなかったとの見方もあります。

ルーズベルトは、首脳間の個人的なつながりを大切にする・・・いいかえれば属人的な信頼関係をベースとして外交する大統領でした。そのため、彼の外交ノウハウは形として後世には残されていませんでした。

彼の後を継いで大統領となったのは、元副大統領のトルーマンでした。ルーズベルトの前述の性質もあって、彼は外交経験に乏しく、外交能力は全くの未知数でした。トルーマン大統領は、チャーチルやスターリンを相手に、果たしてどのような外交を繰り広げるのでしょうか。また、彼は原子爆弾をどのように捉え、利用するのでしょう。


つづきます。

[参考にした図書]
[参考にしたWebサイト]

コメント

(著者)
No.2 (2015/05/24 06:51)
ロランさん、

ルーズベルトさんが亡くなったことについては、オカルト的な俗説もあるんやけど、物議を醸しそうなので止めとくのぜ〜!「そんな訳ねえだろ!」という感じのトンデモで、各方面を怒らせそうで不謹慎きわまりないからのぜ。検索すると出てくるかも、、、
原爆投下の流れ自体は変わらんのぜ。
品陀リウキ
No.3 (2015/05/24 21:10)
 ルーズベルトは人種差別感情も凄かったらしいですけど、政治家
としての狡猾さしたたかさは間違いなくアメリカ歴代大統領でも
随一でしょうね。D4Cとか使えるかもです。
 ただ、日本を訪れたことのあるアインシュタインも原爆投下を
やめて欲しい旨の手紙をルーズベルトに送ったりしており、人種
差別感情を抜きにしてもまだ逡巡の形跡があることから、
その存命中には原爆投下が中止される可能性もあったのが・・・
ですね。


 ちなみにヤルタ会談に出てきた満州では、戦後に中国もソ連
も略奪行為をやりすぎて、せっかく日本が開発整備してた
インフラまで破壊しつくしてしまい、肥沃だった満州は不毛の
地に逆戻りしてしまったそうです・・ 
(著者)
No.4 (2015/05/24 21:31)
リウキさん、

「D4C」ってなんのことかと調べたら、スタンド能力のことやったんやね!ジョジョはストーンオーシャンまで読んで、その続きがないと思っていたので知らなかったのぜ~ 「スティール・ボール・ラン」が続編やったんやね!
確かに政治家の人は、スタンド使いであってもおかしくないくらいの能力者がおおいですよねw

満洲は写真で見る限り、立派な町並みでしたのぜ! あじあ号という列車も走り、近代的な建物が並んでキレイでしたのぜ! 首都は「新京」という名前なので、2ちゃんねるの冗談で「新京ラブストーリー(東京ラブストーリーのもじり)」とかいうのがあって笑いましたのぜ! 「カンチ」役は「莞爾(かんじ)」すなわち石原莞爾さんとか。

満州の略奪については大戦末期、精鋭がほぼ南方に行って守備がうすくなった関東軍の装備・武器を、中共軍がソ連にお伺い立てて国共内戦に使っていたという話がありますのぜ。 ワイの父方のお祖父さんも満州に行っていて、ソ連にシベリアまで連れて行かれた人でしたのぜ。 生きて返って来てくれなければ、ワイは居なかったので、感謝してますのぜ。
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