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今回は前回に引き続き、〝情動〟を消し去る方法についてです。繰り返しになりますが、イヤな出来事が降りかかることは自分の力で防ぎきれるものではありません。しかし、そのときのことをどう記憶するかは自分の問題です。脳は自分の身体の一部ですから、身に降りかかったイヤな体験や情動を無害なものにすることは、比較的たやすいはずです。自分で受け止め方を変えればいいのです。それをうまくやる、苫米地式の方法の一つ、というわけです。
前々回は「高い抽象度で考える」という方法、前回は「イヤな出来事の記憶に『うれしい、楽しい、気持ちいい、すがすがしい、誇らしい』という情動感覚を結びつける」という方法をお教えしました。今回は、3つめの方法として最後に、少しばかり高度な技術ですが、「脳を自己発火させる」という方法について説明します。
自己発火をすれば幸せになれる
発火というのは、脳のある部分が活発に活動することです。
少々専門的になりますが、脳の神経回路の活動電位がスパイク状に正の電位に変化する事をさしています。脳のこうした発火は、宗教の信者によく見られます。
キリスト教には告解というものがありますが、懺悔をおえた信徒は非常に強い幸福感に包まれる事が知られています。
つまり、この時、脳は発火しているわけです。
信徒は、こうした懺悔のさいの幸福感を忘れる事ができず、繰り返し神父に告解にやってきます。これは洗脳のカラクリと本質的にはかわりません。
その理由は主に2つあります。
1つは絶対的権力者が神父となる、ということです。
罪を許すのは建前上は神ですが、神は信徒との間に神父が入る事で、罪を犯すのは神父の仕事になっています。そのため、神父は事実上の絶対権力者になり、信徒は懺悔を行うたびに従屈的になっていかざるをえません。
それが、教会権力を生み出してきた源泉になっているわけです。もちろん西洋社会では、それが社会秩序の基盤となってきたというプラスの側面を忘れてはいけません。
もう1つは懺悔が持つ本質的な働きです。
罪を告白させるという方法は告白する本人のエフィカシーを下げる働きを持っています。
なぜなら、懺悔は「私はこんなことを駄目にした人間です、お救いください」と、あくまでも自らの能力を殺ぐための形式を持っているからです。
これは信徒のエフィカシーを下げて神父を絶対的存在に祭り上げる支配の論理ということができます。ローマ皇帝がキリスト教を国教にしたのは、こうした支配の論理を支える数々の形式が備わっていたからなのです。
信徒を奴隷化するこうした告解の仕組みにも関わらず、信徒は懺悔によって至福の状態に陥り、その脳はすでに述べたように発火しています。
前頭前野内側部の眼窩腹側内側部というところに洗脳されると発火する場所があり、そこが気持ちよくなって幸福感に包まれるのです。
実は、これが宗教のツボといわれている場所です。すでにその位置まで確認されています。脳機能の研究はそこまで進んでおり、洗脳とはその場所を発火させるパターンを前頭前野につくることだ、という考え方も生まれているほどです。
それにしても、CIAのように薬物を使って洗脳するわけではないのに、宗教が強烈な洗脳を行う事ができるのはなぜでしょう。
それは宗教的な洗脳が、文化に埋め込まれているパターンだからです。
神社にお参りに行き、お賽銭を投げて手を合わせると、とても安らかな気持ちになる日本人はけっこうな数がいます。
別に神道を信じているわけではないのに、初詣でをするとそのときだけ敬虔な気持ちになり、宗教のツボが発火し、幸せな気持ちがするわけです。日本人の脳は、文化的な洗脳の効果によって、正月に初詣でに行くだけで発火してしまいます。
子供のころから神社や鳥居を見たり神を畏れることの意味を説いて聞かされたり、パワースポットの存在や霊的経験があるかのように信じ込まされたりした結果、しらないうちにすっかり洗脳されているわけです。
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