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映画『羅生門』の真相!3人は死刑を望んで嘘をついた?芥川龍之介『藪の中』との違いは?

2016/11/02 09:49 投稿

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夫の霊は多襄丸との決闘の敗北を隠したくて、


潔く切腹して死んだと証言した。

妻を目の前で強姦された大失態も隠したかったし
妻に「(何故自害しない?だって!多襄丸を)この男を殺してから自害しろというなら男らしい夫だが(太刀も取らずに妻に自害を迫るのは卑怯な夫だ!決闘して多襄丸を殺してから言い直せ!)」
と決闘での決着を迫られたことも、隠したかった。

そして、女がついた嘘も、決して死刑が怖くてついた責任逃れのずるい嘘とは言えない。

芥川の『藪の中』は、3人が3人とも死罪を求めて嘘をついた不可解な事件
その矛盾する証言を並べたところで終わってしまう。
彼らは一体何を隠し、殺人以上の如何なる罪を隠さんとして偽証したかは教えてくれない。

女の嘘も夫の嘘と同じで、決闘の末に夫が無様に負けて殺された
という点を隠したくて決闘が行われた真実を証言せず、
山賊に身体を奪われながら自害しなかった妻としての恥を自覚しながら、
それを無言で責められた事に堪えかねて自分が夫を殺したという話をでっち上げた。

その後悔の念は本物で、夫の目の前で多襄丸に犯された妻
身を任せた女のサガを悔やんで、池に身を投げて自害を試みた事実を検非違使に訴えている。

嘘の動機は、夫の霊と同じで
操を奪われた罪を自覚した恥を知る妻として死ねるなら、
夫殺しの罪を負って死罪になる方が恥知らずの女として生き続けるよりはましだ
と考えた。
この点で彼女も決闘の敗北を恥をじて偽証した夫同様、
当時の日本人らしい価値観から嘘をついただけだったと言える。

更に、多襄丸の嘘も動機は同じだった!

「頼むから俺の妻になると言ってくれ!こうして頭を下げて頼むから、俺に着いて来ると行ってくれ。お前が望むなら山賊を止めて汗水流してまじめに働くぞ」
とまで言ってしまった情けない山賊だったことを隠したかっただけで、
死罪を逃れたくて付いた嘘ではなかった!

また、「(女に煽られるまでは決闘で夫と勝負を付けよう)夫を殺して女を連れて逃げようなどとは(女に『お前も男じゃない!』と図星を指されるまでは)考えもしなかった。」と樵の証言通り話し
「俺と立派に戦ってあの男は死んだ」のだから、
「妻を奪われながら自害を迫った、身勝手で情けない夫だった」
という点は検非違使に隠して証言し、夫の霊を慰めてやっただけだ。

映画『羅生門』の第一稿は芥川龍之介の『藪の中』を脚色した「雄雌」というタイトルの短編だった。
そのシナリオ企画に、同じく芥川の『羅生門』の内容を加えて融合し、矛盾の無い4つ目のキコリ証言をオリジナルで考案し、「人間の良心の強さを実感させる、善は悪に必ず勝てる
という理想的リアリズムで逆転のハッピーエンディング」を書き加えるという偉業を成し遂げたのは
橋本忍ではなく黒澤明監督の方だった。

そもそも『藪の中』は今昔物語を原作に書かれた、クリスチャン芥川龍之介の大改造物語だった。
今昔物語の最後は、
「山賊に簡単に騙されて妻を奪われたこの夫と同じ失敗をしてはいけない!」
こう結んで、妻が夫を叱り付ける台詞で終わっている。

夫が恥じて自害した、
妻も己を恥じて自害した、
多襄丸と立派に戦って夫は無念にも討ち死にした、

という武勇伝に変えて三人三様の立場を弁護して、違う証言を語らせた芥川の真意は
キリスト教の性善説にあったと黒澤明は読み取った。

世界の映画人は『羅生門』の映像美と映画技術の高さ以上に
黒澤明その人の
人間の本質は善なる良心にある
という理想を信じて付け加えられたストレートなメッセージに感動し拍手を贈り続けてきたのだ。

女の短刀を盗んだキコリが、
その罪の償いとして赤ん坊を引き取ると決意したことを
多くの日本の観客は気付かずに、この映画のハッピーエンドを批判してきたことと違って・・・

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