あなたのいないその場所で。

ジャパニメーションは、児童ポルノなのか。

2015/12/08 07:48 投稿

コメント:121

  • タグ:
  • 思想
  • 心理学
  • 児童ポルノ
  • アニメ
  • 文化
珍しく実際的なことを書いてみよう。

まずこの問題を考えるには、児童ポルノという概念を考えなくてはならない。

新しい概念が生まれたからには、それなりの「感情」がある。感情とはつまり動機であり、わざわざ概念を作り出すだけの理由があるということになる。

考えられる理由は2つある。

1、子どもの人権を保護するため。

2、社会秩序というリスク管理のため。

主にこの二つの理由から、児童ポルノという概念は作り出されたと考えられる。

1に付随する感情は、被害にあった人々の怒りや被害にあった人々への同情だろう。つまり、事実に付随する感情なのである。

2に関しては、自分や自分の家族がそういった目に合うかもしれないという不安や恐れだろう。これは、可能性に付随する感情である。

1の感情から生まれる対処は、児童ポルノの製造/販売の禁止である。

2の感情から生まれる対処は、危険人物の排除である。

1に関しては、正当性を疑う余地がない。実際に起こった事件から、同様の被害を防ぐためにそれを取り締まる。児童ポルノが商業となることで、また実際に画像が出回ることで被害がでるのだから禁止する必要がある。これは銃や麻薬を取り締まる論理と同じである。

2に関しての正当性は、ほとんどないようなものである。銃で人を撃ってみたい願望と、銃で人を撃つことにはあまりにも大きな隔たりがあるからだ。それは麻薬も同様である。この論理で行けば、銃を扱う映画や麻薬で恍惚とする表現のある小説はすべて取り締まる必要性がでてくる。不倫や恋の逃避行を扱った作品も同様の対処が求められる。

つまり、2の感情から生まれる帰結はおしなべて

私に危険を予期させるようなものは取り締まってほしい。不安になりたくないから」ということなのである。

しかし、これはおかしな話である。現実問題として、性欲は常に危険を孕んだものとして存在しているし、恋は常に社会的規範とはなんら関係のないところに存在している。そう、これは感情の問題なのである。感情とは我々のコントロール外のものごとである。

「殺したいほど憎い」という感情は、我々がどうこうできるものではないし、どうこうする必要もない。実際に誰も被害にあっていないのだから。

しかし「殺した」となれば、話は別である。精神鑑定上、問題があったとしても何らかの制裁や処置はとる必要がある。そうしなければ社会契約は機能しないからである。

最近、いわゆる「萌えポスター」がセクハラになるだのと議論になっているが、これはバカのする議論であって耳を貸す必要がない。

セクハラになるとすれば、テレビや映画で性的に描写される女性はみんなセクハラなのだろうか。女性ファッション誌の表紙に裸で映る男性写真は、男性に対するセクハラなのだろうか。

なぜ実写が問題視されにくくアニメ絵が問題視されやすいのか、とはそういうことに過ぎない。

つまり「オタク文化」が自分達とは異質であり、自分達の世界においてリスクになり得るがために排除したいという、ただの恐怖心から来るわがままでしかない。

昨今のポスター問題や海外から見ればジャパニメーションが児童ポルノに見える問題というのは、どちらも田舎や海外であり、ジャパニメーションに親しみのある文化と別の文化圏に位置しているという問題に過ぎない。

この「別の文化圏に属している」ところに、無理にそれを押し付けたのならば、まだ議論の余地はある。(昨今の話題は、ジャパニメーションファンが無理やりポスターを貼ったり、海外の人々に見せ付けたわけではない。むしろ情報化社会において、他文化に理解を示さない態度こそが問題だと言える)。

ジャパニメーションそのものが「セクハラ」であるとか、性表現が「セクハラ」であるというのは、それこそが「男尊女卑」なのである。つまり、男性の理論による女性への配慮。もしくは、女性の理論を男性が偽装した配慮。下心が見え見えのレディーファーストを行うやさ男や政治家の手法のようだ。女性の性的描写をセクハラだと言ってしまえば、人間そのものがセクシャルな存在であるという生物的な前提を否定することになる。(確かに現代に至るまで女性ばかりが性の客体とされているため、そのことを議論することは納得できる。つまり女性の性表現を減らせということではなく、男性の性表現を増やせというような議論。)

男性も女性も、ある文化の許容範囲内において性を楽しむ権利がある。日本においては、このような形で発展され、若い人に男女問わず受け入れられているのだからそれでいいのである(また別の視点で、この発展の仕方が有害であるとか有益であるという議論は可能である。しかし、国家はここ(思想/表現/文化)にまで関与すべきかというまた別の議論を生むこととなる)。

実際に被害にあっている児童や被害者を置き去りにして、被害者のいない性表現そのものを児童ポルノやセクハラよばわりすることは、問題の本質から目を逸らしているとしか言いようがない。

コメント

delta
No.124 (2015/12/12 23:24)
No.92です。
>>96
そうですよね、おかしい部分がありますよね。分かりやすい説明ありがとうございます。
説明された以外の部分については相変わらず理解ができません。

読んでいたら謎な部分がまだありました。児童ポルノのくだりで『殺す』という例えは不適当ではないかと。性的なコンテンツの話なのに、どこから殺す殺さないの話が出てきたのかと。
あと、途中から「児童ポルノ」と「セクハラ」がごっちゃになって、話があっちこっちに飛んでいるので混乱するのだと思います。
逆に解決した部分は『児童ポルノはおかしな話』『セクハラもおかしな話』、だからのうりんポスターがセクハラかどうかについては『オタク文化が異質だから排除したいだけ』という結論が理解できました。その結論に至る過程の説明はさっぱ... 全文表示
癒々奈
No.126 (2015/12/13 15:17)
>>124

おそらくは児童ポルノという言葉の定義の問題でしょう。
①児童と思われる年齢のキャラクターの性的な描写をアニメや漫画作品で表現している作品
②実在する現実の子供が大人によって性的に搾取、写真や動画撮影されて頒布されることによる人権の侵害、この2つは同列ではないということを記事の主さんは言っているのだと思います。(①は実在児童が存在しない空想のキャラクターなので、ただの漫画アニメ動画でしかなく、②は実際に存在する子供の人権が侵害された児童ポルノである。)

児童ポルノは実在する人間に被害が出ないかぎり、二次元媒体や3DCG動画は光の点と点、インクの点と点の集合体であるわけで実際に人権が侵害されているわけではない…ということになります。

ただし、例外として三次元の実... 全文表示
delta
No.127 (2015/12/21 00:19)
>>126
その犯す犯さない、排除するしないの児童ポルノが、主題の『ジャパニメーションは、児童ポルノなのか。』へどうつながるのでしょうか? ジャパニメーションは関係なく、ただ単に『児童ポルノの規制はおかしな話』としか読めませんでした。
途中から「のうりんポスターセクハラ問題」の話になってジャパニメーションも児童ポルノも関係なくなったので>>124の結論に至りました。

世の中に女性の性表現が多く、男性の性表現が少ないことを「男尊女卑」という考え方は初めて聞きました。
それは需要と供給の関係であって、求められるから多いだけです。男性を重くみているわけでもなく女性を軽んじていることでもありません。
映画館のレディースデーや、女性専用賃貸物件は女尊男卑でしょうか?
否、需要があるから、価格弾力性が高いからです。
なので『男性の性表現を増やせという議論』にはなりません。

コメントを書き込むにはログインしてください。

いまブロマガで人気の記事