品陀リウキのブロマガ

哲学随想を試しに書いてみる。44

2015/07/05 07:43 投稿

コメント:25

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以前、ロゴス(論理)に対置されるものとしてはミュトス(詩歌)がある、と言い、それは、ロゴスの哲人プラトンと、ミュトスの詩人ホメロスの対立から端を発していることも示唆したが、それについて再度述べておかなくてはならないだろう。

 先述した無垢に絡んで見てみると、無垢な子供はその持ち前の不安、に突き動かされつつ、極めて言葉、というものに飢えている存在である。そして、子供はまず言葉を理解するのではなく、学習するのだ、とも言ったが、本来的に直接的なその無垢なる欲求を満たす言葉の具体的な形式をこそ、詩、というのである。

 詩は、言葉の論理や意味などのみを必ずしも必要とはしない。
 それは韻律すなわち音感や、語感が掻き立てる感情・情念の上により立脚しており、そこで用いられる言葉の論理性はその隠し味のようなもの、つまりその必要条件のひとつであって、必ずしも十分条件ではない。

 たとえば、これは文化人類学的なアプローチなのだが、次のような情景を思い浮かべて欲しい。

 ニューギニア・アフリカなど、いわゆる南方の未開社会・部族社会ではその言語は恐ろしく多様で、それこそ、集落・部族ごとに全く体系の異なる言語があり、ひとつの地域に数十・数百の部族に数十・数百の言語があることなどざらなのであるが、さて、そんな所に突然放り込まれたとしたら、さてどうするか?
 当然、もっともそうした状況に順応しやすいのは無垢なる子供である。
 先にも言った通り、子供はその未発達な知性や理性のみでは言葉とは向き合わない。

 文字通り体でもって、言葉を身につける。

 知性の認知や理性の理解の能力で大人に到底及ばない子供ではあるが、感性に基づく感覚や習性に基づく学習の能力は逆に、大人の方が子供に到底及ばない。学習の学、学ぶ、とは「まねぶ(真似ぶ)」である。子供はまず言葉の口真似から初め、その言葉の使われる状況やその言葉のもたらす事態に体で文字通りにぶつかっていく。他者に試行錯誤で投げかける言葉の必然の帰結のひとつとして、時には喧嘩もし、その言葉を発することで生まれる状況や事態を直接に生きることで、それらの言葉を文字通りに血肉にし、身につけていく。そしてそうしたことは、特に異言語に放り込まれずとも、普通の赤ちゃんが普通にやっていることでもある。

 異言語や初めて知る言葉は、その意味より先に、その音感や訛り・イントネーションの味わいの妙がまず心に染み入り、それがその当人の口で発声されたり、書かれる文字として手に馴染んだりして、繰り返し繰り返しその体に味わわれること(すなわち、習性)によって、その心にも刻まれていくものなのだが、とうぜん、先述の詩と、そしてそれを歌う歌唱もまた、その体を使って言葉を血肉にすること、に含まれる。
 歌唱の韻律や調律は学習・習性の習、習う、にかかる単純な繰り返しの妙についてのルールで、たとえば、京都の人の「~どす。」、大阪の人の「~や。~やで。」、九州の人の「~ばい。~たい。」といった語尾に典型的な地方訛りも本質としては、そうしたものであり、ミュトスである。

 詩歌・ミュトス(Muthos)とは、以上のように基本的には感性と習性による言葉との向き合い・付き合いなのであり、詩歌の神ムーサ(Musa)に仕えるホメロスと、そして全ての詩人・歌い手の立場もこれなのである。一方、「最も賢き者はソクラテス。」と哲人プラトンの師に神託を下したとされるのは、知恵、即ち、理知・論理(Logos)の神・アテナであった。

 言葉、にはこうした合反するミュトスとロゴスの性格が常に同居していることを知っておかなくてはならない。同じく言葉に立脚するも、詩人の立場はミュトスであり、哲人の立場はロゴスである。
 そして、日常言語・会話においても、言葉自体を感性的に楽しみ合っているなら、それは詩歌を口にしていることであるし、言葉の意味をもって何らかの事象を伝達し合っているなら、それは哲理を口にしていることである。ミュトスとロゴスは自覚され、どちらかが捨象されない限りは、ほぼ常に混合されている。

 ミュトスなしにロゴスは無いし、ロゴスなしにミュトスもまた、無い。
 ミュトスとロゴスをひっくるめて言葉、なのである。

コメント

まろんの君
No.25 (2015/08/02 22:18)
「ロゴス」と「ミュトス」・・・「ミュトス」は初めて聞いた概念で、個人的な趣味の世界にとって、いい意味でゾクゾクするものを感じました。勉強になりました。ありがとうございます!
sagishi
No.26 (2015/08/03 04:24)
まろんの君さんのニコレポを追ってこの記事に来ましたが、実に愉快で良かったです。私自身、詩を書くので普段から自覚的な部分ですね。論理的意味に立脚しつつ飛躍し、全体の字面や印象、音韻の統一感によって詩的強度を構成する。

また、田中小実昌『ポロポロ』や諏訪哲史『アサッテの人』などがこの記事のことでは良い例の小説ですね。
品陀リウキ (著者)
No.27 (2015/08/03 23:42)
ロランPさん、あまり機能の凝りすぎたソフトはかえって使いにくいです
から、最初はシンプルなので慣れた方がいいと思います。


まろんの君さん、コメントありがとうございます。
 えてして概念というのは、既に知られていながら知られていないもので
すが、自分の文章でそれに気づいて頂けたというならもっけの僥倖ですー
とにかく自分の目的はここではロゴスとミュトスの弁証統一として言葉
の本質を明らかにすることですが、片面のミュトス単体でもまだまだ研究
考究の余地はあるフロンティアなんでしょうね。


 sagishiさん、どうも初めまして!
 なんだか題名だけでも音態の凝った感じのする小説ですねー。
 詩というのは音楽的であるのみならず、絵画的でもありますし、
韻の繰り返しが単なる繰り返しではなく、螺旋の上昇として成る
ものとして描くのは本当に難しいですけど、本当にぞくぞくする
楽しさがありますね。
 さて、どこまで上昇することができるか・・・rise up!!

 On to Sein!!
 事象そのものへ!!
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