品陀リウキ(著者) のコメント

品陀リウキ (著者)
No.7 (2015/06/24 21:08)
>>6
>>5
ロランPさん、とまと船さん、重ねてのコメントありがとう
ございます。

 そうですね。とまと船さん、言葉と意味との関係性を端的に
逆説表現すると、

 言葉の内容を意味、意味の形式を言葉、

 という具合に言うことが出来ます。
 感覚的に言うと、内容である意味は不可視ですが、形式で
ある言葉は音声として発声される言語やこのように視覚でき
る記号としての文字・文章のように可視できる、というわけ
ですね。

 言語は耳を塞げば聞こえなくなるし、文字は見なければ見え
なくなりますが、それでは、果たして意味は一体、どこにある
のか?また、どうすれば無くなるのか?そもそも意味とは有っ
たり無かったりするものなのか?さらにはいつから有ったのか?

 ・・・と、まあ、こうした素朴な問い方がこのロゴスという
難題の不思議さの端緒になるものと思われます。

 よく、道徳律的標語として、
「言葉の乱れは心の乱れ」
 と言いますが、当然こうしたことにも大いに関係があるので
しょうね。一応、悪い言葉を心に思っていると、その悪い言葉
に対応した観念が心に生じ、実際にそれに対応する実体・実存
を外界に見出してしまい、さらにはそれを招いてしまう・・

 という具合に観念論や実存論の次元で説明のつく部分もある
にはあるのですが、言葉を道具化する定義、の次元の話になっ
てくると、冗談抜きで学問の開祖であるアリストテレスと喧嘩
するくらいの覚悟も必要になってきますし、それを経ないこと
には虚無の根本にも触れられないので、これからどう進めた
ものか本当に悩むところであります(^^;;

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