品陀リウキ (著者) No.2 (2015/06/22 17:24) >>1 コメントどうもありがとうございます。 ただ、言葉は道具(ツール)、というのは、意味が人の意志に成る 定義的なものである、とするある種の相対的かつ有限的な考え方に 基づくものであって、ここで扱っている言葉、ロゴス、とはもっと もっと大きく深い、それこそ、人の自我にツールとして従属するの ではなしに、逆に、人の自我や自己を含みこむような本来的な存在 となります。 だから、事物も事象も言葉が無ければ伝わらない、ではなく、 事物も事象も言葉が無ければその存在じたいがない、存在して いない。 ・・と、まあここまで行くと、ほとんど言霊(ことだま)という 考えに近くもなってきますが、その言霊、を意味するのも、 ロゴス:Logos、 なんですよね。 そうした、数学を超える純粋形而上学である論理学の深さが示唆 できたところで、そうした存在の根拠としての言葉・言語・論理論 の展開として、 次回はロゴスの哲人プラトンとミュトスの詩人ホメロスの対立に また触れてみようと思います。 とにかく大事なのは、自分たちは言葉の「中」にいるのであって、 言葉の「外」にいて言葉を道具として思いのままに使っている、と いう考えは、ありふれていながらも深い深い落とし穴にはまり込む 古くて新しい危険な罠なのだ、ということです。
コメントどうもありがとうございます。
ただ、言葉は道具(ツール)、というのは、意味が人の意志に成る
定義的なものである、とするある種の相対的かつ有限的な考え方に
基づくものであって、ここで扱っている言葉、ロゴス、とはもっと
もっと大きく深い、それこそ、人の自我にツールとして従属するの
ではなしに、逆に、人の自我や自己を含みこむような本来的な存在
となります。
だから、事物も事象も言葉が無ければ伝わらない、ではなく、
事物も事象も言葉が無ければその存在じたいがない、存在して
いない。
・・と、まあここまで行くと、ほとんど言霊(ことだま)という
考えに近くもなってきますが、その言霊、を意味するのも、
ロゴス:Logos、
なんですよね。
そうした、数学を超える純粋形而上学である論理学の深さが示唆
できたところで、そうした存在の根拠としての言葉・言語・論理論
の展開として、
次回はロゴスの哲人プラトンとミュトスの詩人ホメロスの対立に
また触れてみようと思います。
とにかく大事なのは、自分たちは言葉の「中」にいるのであって、
言葉の「外」にいて言葉を道具として思いのままに使っている、と
いう考えは、ありふれていながらも深い深い落とし穴にはまり込む
古くて新しい危険な罠なのだ、ということです。