品陀リウキのブロマガ

哲学随想を試しに書いてみる。33

2015/02/19 08:00 投稿

コメント:2

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正統派の哲学は押しなべて理想・理念を前面に出して扱うものなのだが、それに反して、埴谷雄高が妄想・妄念を追わなければならなかったのには、その正統のソクラテスの弁論法への個人的な反感もあったようではあるのだが、それにもまして、キルケゴールの『死に至る病』と、ニーチェのニヒリズムが、極めて深刻な問題として喫緊に差し迫っていた、というどうにも抜き差しならない事情があったのである。

 埴谷自身、自らを『死に至る病』の罹患者、すなわち、絶望者、と自称し『死霊』の作中人物にははっきりと、「ニヒリズムの克服」という言葉を発させている。

 ニヒリズム…すなわち、虚無、についてはドイツの幻想文学の大家、ミヒャエル・エンデも「果てしない物語」で真っ向から取り組んでおり、命、を追った宮崎駿氏にしてもナウシカと虚無の化身との対話を描いているのだが、埴谷が、そしてなにより、我々が、いかにしてあの20世紀末期の虚無を乗り越えたか、はそろそろ再考してもいい頃合いだろう。


 まず、キルケゴールの死に至る病…絶望、とニーチェの虚無主義とは、まったく同じものである。
 埴谷自身はそれを、「自同律の不快」と表現した。

 虚無は漫画版「風の谷のナウシカ」や「果てしない物語」、絶望は「魔法少女まどか☆マギカ」で扱われた極めて重要なテーマだったわけだが、それも、ここ百年来の思想史、すなわち、人類全体の精神性の大問題の反映だったのである。

 絶望の哲人キルケゴールと、虚無の哲人ニーチェ。

 埴谷に先立ってこの同根の問題に直面したこの二人の哲人の同一性を語るには、やはり、それに更に先立つ弁証法の大哲人ヘーゲルの、有限と無限を巡る考察に再び立ち戻らねばならない。
 「魔法少女まどか☆マギカ」において絶望は感情の問題、「風の谷のナウシカ」において虚無は生命の問題、という描かれ方をされ、それも決して間違いではないのだが、


「絶望とは有限性における無限性の喪失、もしくは、その逆である。」(キルケゴール)


 というキルケゴールの命題・箴言にみるように、その実はもっぱらに有限性(≒人間)と、無限性(≒神)の関係の問題であり、それゆえにニーチェのあの有名すぎる命題・箴言、


「神は死んだ。」


 で端的に表される虚無、とつながり、ぴたりと符合するのである。

コメント

ロランP
No.1 (2015/06/12 17:21)
昔は、皆が心から神様を信じてたから、神は生きてたと思います。

いまは、あんまり信じられてないので
神は死んだのかな、と思います。

神が死んだ後の神話は、大抵残った人間たちが
なんとかやってく感じですよね。

一人一人が意思をもって真っ直ぐ生きてけるようにならんとなーと、思います。
品陀リウキ (著者)
No.2 (2015/06/13 06:20)
ニーチェのこの言葉にはまた触れる予定です。
とりあえず今は、
 本当に「神は死んだ」のか?

 と疑義を呈しておきたいと思います。
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