品陀リウキのブロマガ

哲学随想を試しに書いてみる。29

2015/01/15 21:30 投稿

コメント:3

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知るところのもの―心・精神を語る上で必要だった、その中心的作用である観念と概念についての基本的な説明も出来たので、少し、卑近な話をしてみよう。

 もう最近というほどではないだろうが、概念、という言葉が極めて正確かつ感動的効果的に使われた名作アニメーションに、このニコニコ動画でも大きな話題になった・・・

 『魔法少女まどか☆マギカ』

 という作品がある。

 この作品のラストにおいて、果てなき闘争の阿修羅道を歩む覚悟とともに、偉大なる自己犠牲の精神を以て「魔法少女」の概念(実質的に、女神)となってしまった、まどかという少女の健気さに心打たれると共に、初めて「概念」なる語を知った視聴者諸兄も多いのではないだろうか。
 この作品では、先の「永遠の0」とも重なる崇高な魂や絶望と希望の問題に加え、作中でも触れられた感情などにも関する有意義なテーマや、アインシュタインが「人類は地球より早く冷めていく。」という言葉で示唆したエネルギーを巡る熱力学第二法則についてのトピック、それにタイムパラドックスと平行世界や宇宙の創成と終末、などなど、有意義なファクターが目白押しだった。

 この作品の情念を支えるうえで重要な役割をはたしたKalafinaの主題歌「Magia」にしても、件の「思い」という言葉が実に示唆的である。

 思い、ゆえに、まどかは神の概念になってしまったし、思い、ゆえに、ほむらは悪魔の概念になってしまった。


 先の概念の説明では、思い、すなわち思惟、と概念の間に思想、があったわけだが、思想というものはその規定性や体系性において、どこか魔法や魔術にも似ており、思春期の少年少女の強い強い物思い・思惟が、覚悟を決めたあの魔法少女まどかのように、そうした思想をすっ飛ばして概念に辿り着いてしまうことも、実は、そう珍しいことではない。
 まどかやそれを追うほむらの作中におけるとてつもない飛躍は、そんな物思う少年少女の精神世界でもあるのである。
 世の中にはそうした飛躍を内面世界で経験し、それを知りつつも、年少ゆえの表現の不味さや滑稽さ(あるいはそもそもの表現の不可能性)のせいで、作中のマミさんのように『厨二病』などと呼ばれているような気の毒といえば気の毒な子たちも、相当数いるものと思われる。

 そも、こうした哲学などの言葉も、そんな『厨二病』語録の宝庫のように巷では思われ同一視されているかもしれないのだが、
 一応、弁明しておくと、哲学で用いられる概念語には飽くまでもその考究対象である存在や万物を捉えるための厳密なルール(つまり、思想を思想たらしめる規定性や形式、体系性)があり、そのいわゆる概念語にまず感性的感動を覚えそれを口にしないではおれない、愛すべき若者たちの拙い表現とは、その点において、一線を画するのである。


 これはかつてプラトンが哲学・哲人の国から、詩人ホメロスを追い出さねばならなかった、根本的な原因であり、

 それを噛み砕いて言えば、
 ロゴス(論理・哲理)とミュトス(詩歌・韻律)の違い、とも、言う。

コメント

ロランP
No.1 (2015/06/12 17:56)
しかし、なんで哲学って
世界全体でみたら軽視されるのか、私は、理解しかねます。

ま、それだけ人間は目を通した物質社会を第一に考えており

それを真に見抜く心眼

まぁ、心や精神のことまで頭が回ってない

ってことでしょうか。
めにみえないから
ロランP
No.2 (2015/06/12 17:57)
たとえば、人を動かしてるのは肉体ですけど、

それを真に動かしてるのは心なのに。

ほんと、難しい。
品陀リウキ (著者)
No.3 (2015/06/13 06:30)
 そうですね。
 物と心の違い、これは先でも言うとおり、鬼と神の違いでも
ありますが、ほんとうにこれがなかなか分別されてないん
ですよね・・
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