品陀リウキのブロマガ

哲学随想を試しに書いてみる。15

2014/11/30 22:58 投稿

  • タグ:
  • 教育・教養
  • 哲学
  • 数学
  • 宗教
  • 無限
さて、0(無)の前では何も始まらず、終わらず、∞(無限)に比べれば涅槃寂静も壱も無量大数も同じだった。

 1を0で割り、0と∞をかける、などという数学のタブーに踏み込んだのも、ひとえに、宗教が提示する「有(1)と無(0)の連結」という神仏の神秘・奇跡に、論理数理でいくらかでも接近せんがため、であり、

 そもそも本来的に信仰信心によってのみ認められる事柄、ということを逆手にとり、理性に先立つ直観直知をもって途中証明を非合理かつ、果てしなく強引に省いて得たその答えとは、


 1÷0=∞ 0×∞=1

 a÷0=∞ 0×∞=a  (0<a<∞)


 ・・・という、ラディカル極まりないものだった。
 これを言葉にしてみると、

 無から有を見ると有は無限である。 1÷0=∞
 無を無限に重ねると有である。   0×∞=1
 無を有限に重ねても無は無。    0×a=0  
 無限を有限に重ねても無限は無限。 ∞×a=∞   ・・・(0<a<∞)

 となる。
 こうしてみると、無の数0と無限の数∞がその他の有限の数に対し、いかに絶対的かがわかる。

 この際なので、タブーついでにさらにラディカルに、以上に挙げられなかった組み合わせ、も考えてみよう。

 すなわち、

 0を0で、∞を∞で割ったら、どうなるか?


 これには、宗教…とりわけ、ただ一つの絶対者を崇める一神教…が、既に神学をもって答えている。

 絶対者は絶対者以外に対して絶対だが、絶対者は絶対者のみによって測れるので、

 1÷1や2÷2、その他、全ての有限数a (0<a<∞)が、全ての有限数自身で割ったときと同様、

 0÷0=1
 ∞÷∞=1  1≠b  (0<b<1かつ1<b<∞)
 

 である。

 残るは0÷∞もしくは∞÷0くらいなものだが、さすがに悪ノリはこのくらいにしておこう。

 飽くまでも求めているのは、論理数理においてそもそも不可能な有と無(無限)の連結に
関する示唆だったということを忘れてはならない。
 

    ・
    ・
    ・
    ・
    ・

「無と無限は有と有限に対し絶対であるが、無は無限に重ねることで有・有限になり、無を無で、無限を無限自身で測ることによって、それは有・有限のただひとつの一者となる。」

 ・・・これをもって数理が直覚・直観において下した結論とし、ここにこれ以上踏み込むのはやめることにするのが賢明だろう。

コメント

コメントはまだありません
コメントを書き込むにはログインしてください。

いまブロマガで人気の記事