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哲学随想を試しに書いてみる。13

2014/11/28 21:54 投稿

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数学は幾何学と不可分であり、幾何学は点や線・平面・立体、図形などを用い、どこまでも純粋に位置や空間・・・
すなわち、

「存在はどこ(Where)であるか?」

 を問う学問である。「どこ?」の地平空間はxy平面だろうが、複素数平面だろうが多次元立体上だろうが構わない。

 空間はまた、時間とも対であるため、そこから「いつ(When)?」の学問である歴史…この場合は歴学・年代学、などの在り方も見えてくるのだが、ひとまずそれは置いておこう。


 さて、数学の禁忌(タブー)、
 1÷0 である。

 これについては、数学上の様々な専門的概念を用いるよりも、基本的な算数的に考えてみる方が話が早い。

 たとえば、普通に有限の自然数を用いたごくごく初歩的な計算では、
 6÷3=2 であるが、割る数3に割られた数2を掛ければ、元の割られる数が出るので、
 当然ながら、
 3×2=6 と掛け算にひっくり返せるのは小学生でも解ることである。

 つまり、1÷0の答えになるのは、それをかけることで0を1にすることが出来る数、ということになる・・・が、
 しかし、知ってのとおり、0(無)には何をかけても、0(無)である。
 先の、無理数をかけようが、虚数をかけようが、複素数をかけようが、0は0である。

「有るもの(1)は有るもの(1)であり、無いもの(0)は無いもの(0)である。」
 ここで論理学と数学の存在論は完全に一致を見る。

 では、この問いには数学者の言うように、答えは無いのか?

 焦る前に、数、というものを今一度よく見直してみよう。
 先の無理数や虚数、複素数、さらには負の実数を除き、基本の自然数…
 1、と0の間を見ると、そこには微小数の世界が広がる。

 それに日本的呼称をすると、まず、1の10分の1である分(ぶ)、その10分の1である厘(りん)、その10分の1である毛(もう)、さらに10分の1、10分の1と続き……糸・忽・微・繊・沙・塵・埃・渺・漠・模糊・逡巡・須臾・瞬息・弾指・刹那・六徳・虚空・清浄・阿頼耶・阿摩羅・涅槃寂静……などなど、果てしなく続いていくが、

 決して、0…零、には、至らない。

 同じことは、大きな数にも言える。この問題の鍵はそこにあるといえる。

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