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哲学随想を試しに書いてみる。9

2014/11/24 23:10 投稿

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実際、この「神」の語は前世紀末から比較すると、ずい分使いやすくなってはいる。
 世俗の良識、「敬して遠ざかる」を根底にした宗教アレルギーはいつの世も人の世にあって根深いものではあるが、今の世間を見渡すと、オウム事件やスピリチュアルブームなどを経てカルト(邪教)への警戒とともにオカルト(秘教)的な事物への関心、物珍しさもそこそこ高まっているようには見受けられはする。

 科学とともに哲学との比較対象として歴史・文学・幾何・数学を挙げたが、もう少しこの宗教とそれに先立つ神話の話をしてみようか。

 そもそも古典科学の基礎を築いたニュートンは敬虔なクリスチャンであり、その古典科学と近代科学の過渡期に活躍した天才科学者アインシュタインにしても、
「私は神のパズルを解くのが好きだ。」
「神はサイコロをふらない。」
 など、神への並々ならぬ関心を示す名言・金言を残しているようなことからも端的にわかるとおり、科学が神を否定する、などということは、

 実は、有り得ない。

 が、前世紀末、20世紀末とはそれが通じない、今にして振り返ってみれば、まことに不可思議極まりない時代であった。

 たしかに、世界や宇宙の創成、
「いかに(どう)世界や宇宙は生まれたか?」
 に関して科学は、天体観測や物理学理論によるビッグバンに基づく宇宙の創成、
や宇宙を漂うガス雲の集合による太陽系と地球の誕生、などの解答を持っている。
「いかに人間は生まれたか?」
 にしても、地質学と進化論によって説明される、類人猿からの進化、という解答を持ってはいる。

 一見、それが聖書に語られる創造神による天地創造やアダム創造・ノアの方舟、我が国における天つ神の詔による夫婦神・伊弉諾尊と伊邪那美尊の島産みを否定してるようには見える。
 もしそうなら、たしかに「神は死んだ。」ではある。

 が、しかし

 先に見たとおり、それらは「いかに(How)」という問いの形式に科学の根本概念である物質や物体、生物や種(しゅ)、といった概念でもって答えたまでなのであって、
「なぜ、ビッグバンや進化・大陸移動でそれらは生まれなければならなかったのか?」
とか、
「宇宙になった、現状、素粒子を最小単位とする物質物体とは何であるか?
 進化する種とは何であるか?」
 と問われれば、どんな科学者でも科学者である限りは答えようがないのである。

 だから、賢明な科学者はニュートンやアインシュタインがそうであったように、神や本質の話については口を噤み、黙々と自分の研究をするわけだが、科学に(本来は)宗教や哲学が担うべき人間や宇宙の起源の因果や意味を求めてしまう人は今なお散見する。


 少々、昔ばなしが過ぎて足踏みしてしまった感があるが、やはり今問題なのはそうした前時代の科学偏重の観念への反省を踏まえた「なぜ?」や「なに?」の在り方であろう。

 以上に見てきたとおり、科学の「どう?」により前世紀末では置き捨てられてしまった「なぜ?」や「なに?」(あるいは「だれ?」「いつ?」「どこ?」も)の疑問の渇望反動はオウム事件やスピリチュアルブーム、さらには自分探しブームに歴史ブーム(これは政治問題でもあるが)などといった噴出の仕方をして既に久しい。

 哲学は科学と違い、ポイントや制約を抑えさえすれば本来的に宗教の領分である神について語るのも自由自在ではあるのだが、それをするにしても、もう少し現在的世相的なものを反映したいものだという課題を確認しつつ今回は終わりにしたい。

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