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日本W杯第一戦 対コートジボワール戦の敗因

2014/06/16 10:56 投稿

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日本代表1-2コートジボワール代表 ○得点 本田圭佑(前半16分) ボニ(後半19分) ジェルビーニョ(後半21分) ○選手交代(日本のみ) 後半9分:長谷部誠→遠藤保仁/後半22分:大迫勇也→大久保嘉人/後半41分:香川真司→柿谷曜一朗

もうすでに終わってしまった試合、しかもそれが敗戦だったらなおさらのこと、について今更ぐだぐだと言うのはまったく無駄かもしれない。けれど、W杯第一戦 対コートジボワール戦は、四年間の日本の集大成としての試合であるべきだった。それが集大成なりえかったところに、四年間積み上げてこれなかったものの集大成という、負の原因の集大成があったはずなのだ。

日本の敗因、それはいままでいくども繰り返されてきたものであったし、いままで一度も乗り越えられなかったものだったように思われる。確かに、香川や大迫といったW杯初参加の選手が緊張で十分な活躍できなかった、というのも今回の敗因の一つかも知れないが、そうした個々のプレイヤーの出来不出来よりも、もっと決定的な敗因があった。

それは何か。強い相手と対戦して、先制した時の試合運びの下手さだ。八年前のドイツW杯でオーストラリアと対戦した時も、一年前のコンフェデ杯でイタリアと対戦した時も同じ原因で敗れた。どちらの試合も、そして今回の試合も、先制した後に守りに行くのか攻撃に行くのか意思統一が出来ず、結果逆転されて負けた。細かい試合の流れはそれぞれ違うが、大きな展開としてはほとんど同じだった。

今回の試合は、本田の一瞬のキレによって前半冒頭に運よく先制できたものの、後はひたすら攻めこまれていた。原因は主に2つある。一つは、プレス不足によってラインが下がっていたこと。二つは、いざ攻撃という時に相手陣内でパスミスが多く、というかすべてパスミスになり、カウンターを食らっていたこと。前線の選手はプレスにも行かず、いざボールをもったらロストするかパスミスするかというどうしようもない状態だった。大迫・香川は確かにひどかったが、本田もゴール以外はキープもできず、パスミスばかりだった。

しかし、それでも日本は先制していたので、一点有利だった。この状況において、どうかするべきだった。前線の選手がどうしようもない以上、後ろで防ぐしかなかったはずだ。もし監督がファギーだったら、ハーフタイムに活を入れて前線の選手を見違えたように生きかえらせることが出来たかもしれない。しかし、ザックはファギーではない。後半、前半ずっとダメダメだった前線の選手が見違えるようにプレーするようになる、などということは奇跡でもない限り普通はありえない。しかし、前線の選手をすべて入れ替えるには、交代枠を全部一度に使わないと出来ない。では、どうするべきだったか。

ぼくの考えでは、ここは、ひたすら守備に徹するべきだった。コートジボワールの選手たちが日本よりよく動き、能力もそれぞれ高いのは見た目に明らかだった。ここで、突然相手をうわ回るようなパフォーマンスを日本の選手たちが突然できるようになるわけがない。だったら、日本は引きこもってカウンターという、弱小チームがより強い相手と対戦するときの大道の戦術を取るべきだった。少なくとも、HTでそういう修正をするべきだった。もちろん、相手が先制していて、日本が追いかける展開だったらそれはしてはいけない。すくない可能性でも攻撃するしかない。しかし、日本が先制して、それを守りきれば勝ちなのである。そして、状況は日本が攻めこまれていて、前線の選手には精彩がない。この場合、どうするべきだったか。100人の監督に聞いたら、みな同じ答えをすると思う。「引きこもってカウンター」。本当にそれしかないのだ。

だがザックは何をしたか。後半八分に遠藤を投入してきた。長谷部→遠藤。遠藤は守備というかプレスに難がある選手なのだから、これは攻撃的な交代だった。ザックは、強い相手にリードしている状況で取るべき王道の策の逆、つまり守備的でなく攻撃的に行くという選択をしたのだ。これは、もし前線の選手に少しでも見どころがあれば機能したかもしれないが、あの状態ではどうしようもない。遠藤一人で前線の状況を変えれるわけがない。もし前線の状況を変えたかったのであれば、岡崎以外の本田・香川・大迫三人を替えるべきだった。これは大博打だが、遠藤一人を投入するよりはまだましだろう。さらにザックは大久保を大迫に化えたが、これも焼け石に冷水の策だった。

敵に奪われた2ゴールは、どちらもクロスを相手右からトゥルーズFCのセルジュ・オーリエに簡単にあげられて決められた。日本のサイドの守備が穴であり、とくにクロスをあげるのを阻止できないというのは前々から分かっていた欠点だった。アジア相手にもこの欠点は明らかだったのだから、アフリカ相手にこの守備の欠点を突かれるのはわかりきっていた話だった。日本のサイドの選手の台所事情もあるのかもしれないが、少なくともサイドの守備的な選手の控えが必要だった。日本の左は香川だったが、彼に替える守備的な選手が必要だった。

細かいことを言うと、香川を替えるタイミングと控え選手の問題だったが、監督の交代策を見ると、そうした細い脚面にも対応できていないどころか、大きな局面での采配も間違っていたと言わざるをえない。もともと、このチームは攻撃的なチームで、点を取られても攻めきって勝つ、というのがモットーだった。しかし、サッカーの試合には90分間の間にいろいろな局面が生まれる。一点入る毎にフォーメーションと選手を替えるなんてことはザラにあるし、攻撃的になる局面もあれば守備的になる局面もある。しかし、日本代表は、つねに攻撃の選択肢しか持っていなかった。これは、準備不足という以前に、チームとして幼稚だ。

たとえば、この試合で後半守備的に行くとしたらどういう選択肢があったか。一つは、4バックを5バックにする。二つは、ボランチを一枚増やして三人にする。三つはサイドハーフの選手を守備的な選手に入れ替える。最低でもこの三つの選択肢があった。一つ目の策なら、前線の選手を一枚減らすことになるので、フォメを変える必要がある。二つ目の策でも同じ。3つ目の策ならフォメを変えなくてもいい。いい監督なら、どんな状況にも対応できるように、取るべき策のリストを持っていなくてはならない。果たしてザックにそれがあったのか。ぼくになかったように思える。彼には、ひたすら攻撃的に行く、という選択肢しかそもそもないような気がするのだ。

これでは、刻々と状況ががらりと代わるサッカーという競技を戦えない。W杯という大舞台で戦う選手や監督の心境というのは想像できない。きっととてつもないプレッシャーがかかって、頭も体も十分に働かないだろう。しかしだからこそ、そういうときのために準備が必要だった。つまり、選手の体も監督の頭もうまく働かないことを想定して、そういうときに冷静さを取り戻すための機械的な取り決めというのも持っておくべきだった。この試合の敗因は一つには選手の気持ちがうまくノレなかったことにあるのだろうが、そういう事態を想定して、ダメなときの第二の案というのを持つべきだった。どんなダメなチームでもプランAとプランBを持っておくものなのだ。ある盗賊チームがいて計画を立てているとしよう。彼らのプランAが息の合ったコンビプレイ炸裂の理想案だとしたら、その代わりのプランBはダメダメなときでもなんとか逃げ切れるプランだ。日本の選手たちも同じく、うまくいかない時のプランBを持つべきだった。

これは監督にも同じことが言える。今回のように少し守備的だがやや攻撃的な戦術がうまくいかないときは、思い切ってより攻撃的にするか、さらに守備的にするかの選択肢が必要だった。そしてその選択肢は、事前に紙に書いておいて、こういうときはこうするという取り決めのようなものを作っておくべきだった。そういうプランがあると、いざどうしようかという時に改めて事前に考えた策を見て、冷静さを取り戻すことができる。しかし、ザックは明らかにそういう準備をしていなかった。つまり、選手も監督もプランBを持っていなかった。

これは要するに、マネージメントの失敗である。ということが言えるのは、日本が先制してリードしていて攻めこまれていたにもかかわらず、それに応じた対策を取れなかったことにある。一つには状況を冷静に分析できなかったのだろうし、二つには状況に対する策を持っていなかったように思わる。

もしこれが相手が先制していてそのままズルズル負けたのだったら、ただ日本が弱いというだけでいいのだが、先制していて負けたというのは、力の差があったというよりかは、有利をうまく守れる策を取らなかったという、マネージメントの部分で負けているということを意味する。使った戦術や戦略で負けたというのでさえない。そうではなく、適した戦術や戦略を準備していなかったから負けたのだ。それがマネージメントの部分での負けという意味だ。

責任は選手よりも監督にある。選手には試合ごとに出来不出来というものがある。それがサッカー選手というものだ。監督はそれをカバーする策を持っていなければならない。おそらく監督は選手を過信しすぎた。香川や本田の今期の出来を見れば、彼らの出来にムラがあることは知っていたはずだ。この二人が機能しないとき、どうするのか、そういう策がなかった。彼らならいけるはずだという根拠のない信頼は、裏返しの信頼のなさの結果だ。つねに自分たちの力100パーセント出せれば勝てるというのは、ある種の自信のなさに裏打ちされた強弁でしかない。理想的にいかない場合でも、なんとかぎりぎり勝つ。あるいは引き分けることができる、そういう自信をもつことが本当の余裕だ。

ザックは、代表監督を四年間努めていたので、そのあいだ、週に一度は試合があるクラブのリーグ戦を監督していなった。もし毎週リーグ戦を戦っている優秀な監督だったら、サッカーの試合には多様な局面があることを知っているし、それに対する策を自分の引き出しに持っていることだろう。しかし、一見経験豊富に見えたザックにはそれが欠けていたと言わざるをえない。彼は長らく選手を評価することにあまりに慣れていたせいで、自分を厳しい状況において試すというトレーニングをしていなかったのではないだろうか。

日本がGLを突破するにはきっとあと二戦勝しかない。これで、日本はふっきれて良くなるだろうか? 選手と監督にそこまでのメンタルの強さがあるだろうか? たとえ自分たちの目指すサッカーをあと二試合で表現できたとしても、試合のなかで迎える様々な局面に柔軟に対応し、勝っていたらその勝ちを守り、負けていたら攻めに出る、そういう変化をつけられるだろうか? サッカーの試合に勝つには、ただ強いだけでは勝てない。状況の分析とそれに対する対策をどう取るかという、意思統一のための決まり事を持っておく必要がいるのだ。これは、チームで戦うときの必須の条件であるが、日本代表はこのことを、「自分たちは強い」とひたすら思うことでないがしらにしてきたように思われる。

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