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改憲はまた遥か先へ

2017/09/13 12:19 投稿

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1.改憲など夢物語に過ぎない
 以前から指摘するように改憲はまだ当面為し得ない夢物語である。
どんなに世論調査で改憲派が多数派であろうとも、それは改憲の正当性になりえても改憲になりえないのである。
 重要なのは改憲するための条文であって、改憲派が多数であることなどは条件になりえない。
辛辣な事実でいえば、護憲派も改正賛同するような条文であれば「改憲派少数」であっても改憲出来るのである。護憲派が護持したい憲法とは条文ではなく「憲法の精神」であることすら理解できない改憲論には到底理解出来ない話だろうが
2.自民党が1カ月ぶりに改憲論議を再開 10月にも9条改正のたたき台を党内に提示へ
産経新聞記事:自民党が1カ月ぶりに改憲論議を再開 10月にも9条改正のたたき台を党内に提示へ
上記記事を見て、「改憲は目の前」だと感じる改憲論者が居る。そのような人間は大概が単なる間抜けでしかない。
 そもそも、自由民主党は結党当時からずっと改憲を党是にしてきた政党であり、今日に至っている。1955年から今日まで一度として憲法改正議論において改憲草案を提示したことがないのである。
 半世紀以上も党是を実現していない政党など世界中でも稀有である
憲法改正のための国民投票法でも猶予期間が規定されたにも関わらず、未だに草案を議事に残せたことがない。同法成立受けて2007年に憲法審査会という憲法議論専門の委員会が発足して10年の経過を経ても草案を提出した議論さえ至っていない。
国民投票法制定時に想定したタイムスケジュールは全く進んでいないのである。
このような事実を鑑みれば、改憲の実現性を妄信出来るのは楽観論者でしかないだろう。
”実績なきものの大言壮語を信じろ”というしかない話である。
3.自衛隊合憲は、軍事力の必要・許容性のバランスは…日本維新の会、9条改正議論スタート
産経新聞記事:自衛隊合憲は、軍事力の必要・許容性のバランスは…日本維新の会、9条改正議論スタート
 日本維新の会はまだ自民党ほどの歴史がないが、条文化された草案すら提示できていないのが現状である。
 維新の場合は9条草案すら存在しない、法学的には理解不能な「憲法裁判所」、地方自治戦略上からの憲法改正論であり、自民党よりも劣悪なのは間違いない。
 現状、改憲派と目される政党の現状は、党内議論の段階でしかないのである
しかも、党内議論を集約した条文策定も出来ていないのであるから、その先行きは遠いというしかない。
4.議員立法の現実と国政議員の制憲能力
 そもそも国政議員に憲法条文を創造する能力はあるのだろうか?
根本的には国政議員には制憲能力はないと思う。(制憲権力はあるにしても)
明治憲法は現憲法に至るまで一度も改正していない。改憲論者は現憲法から改正されていないことを問題にするが、
明治憲法から今日まで 国政議員は 憲法改正する実務能力を発揮したことがない
もちろん議事録を経由して「憲法の変遷」として”解釈改憲”を為しているが、その多くは最高裁の憲法訴訟法と内閣法制局主導の憲法文理解釈で為したことであって、国政議員が主体的に制憲能力を発揮したことがないのである。
 要は、国政議員には制憲権力はあっても能力はない。能力がないが故に憲法の延命装置として「憲法の変遷」と解釈改憲に頼るしかなかった、のだろう。
 議員立法能力すら絶望的な国政議員に制憲能力を期待するのが現実的ではないだろう。
期待できるほどの実績がないのも間違いない。
5.私擬憲法時代という黄金期
 明治憲法制定当時に私擬憲法という民間起草憲法が200近く上程された。
先年、皇后陛下が論及された五日市憲法は数ある私擬憲法の中で一番高い評価がなされ、GHQ草案にも影響している。
 明治憲法条文の多くは井上毅氏によるものだが伊藤博文の功績化されているのは不思議だが、起草よりも制定に尽力した人だけが評価されるのが道理なのだろうか?
 明治憲法も外国人御用学者の賜物なのはタブーなのはご愛敬だが、私擬憲法時代のような改憲の盛り上がりは見られない。
 憲法という未知のものを必死に創造してきた私擬憲法時代の先人に比べて、現代の改憲論者
のレベルは低いことは条文すら議会議論に至っていないことでも分かるだろう。
 草案レベルで完成に近いと評価される私擬憲法と比肩して、現代の改憲草案の数はどれほどだろうか?
条文化されていない草案を含めても私擬憲法時代の草案よりも数が少ないだろう。
なんとも悲しい状況というしかない。
 現憲法制定時にGHQが”自主憲法制定の時間を与えなかった”という批判はあるが、
「国政議会で制憲能力があった」というだけの実績はない。一度として明治憲法を改正した実績もないのだから能力があったと言い張るのは無理がある。
 それを理由にしてGHQ草案を正当化するものではないが、皇統断絶の国際世論を背負った極東委員会と皇統護持を図ったGHQの意向を考えれば、皇統護持のために押し付けに至り、それを制憲議会で受任した、という既存の制憲通史の見方を支持するしかない。
6.日本の憲法学者の質に問題があるか?
 巷説では日本の憲法学者に対する疑義が提示されているが、その多くが暴論だと断言できる。
 憲法とは一般法と次元が異なる領域を過分に有している。その象徴たるのが自然法・国際法である。
 人権論に過分に浸食する自然権論は法実証主義思想の強い我が国では顧慮されないが、現憲法3章の基本的人権の法理論は法実証主義だけでは到底整合性はつけられない。
もっとも我が国の総理大臣が「国家の自衛権は自然権」などというトンデモなのだから仕方ないかもしれないが、自然法による人権起源の憲法論などは憲法学者と自然法論者でしか為し得ない領域である。その領域に迫って憲法学者を批判している論者など皆無である。
 自然法に通じることは国際法と憲法にも通じる。多くの憲法学者が国際法との整合性から論及しているが批判者の多くが国際法の知見を無視して評論している。(Ex敵基地攻撃論)
 もちろん憲法学者に批判される余地は過分にある。延々と「憲法の変遷」という憲法の延命措置に安住し 健全な立憲主義体制の憲法典を創造するための研究を実施したとは断言できないだろう。しかし、憲法学者は制憲権力を有しない存在であり、彼らは制憲権力の傍らで助言するだけの存在である。
では、制憲権力は憲法学者に耳を貸していたのか?と言えば、否というしかない。
要は、憲法学者に問題があるにしてもその問題は制憲権力の怠慢によるもの、であって憲法学者に対する批判の多くは暴論である。
7.憲法改正はまた遠ざかった
 改憲論者は「護憲論者のせいで改憲できない」などというが現有議席で見れば改正原案を通せる改憲議席数である。それでも改憲出来ないのは改憲派で一致できる条文がないからである。
このような基本的な事実すら自省できないのだから、改憲など夢物語だろう。
延々と改憲護憲のポジショントークを繰り返すのオチでもあろう。
 私は 護憲論者でも改憲論者でもない。条文を是々非々で判断する。
延々と改憲護憲の二元論を続ける限りは改憲など為せないだろう。
現憲法改正はまた遠ざかったと言えるが、それは改憲論者の怠惰と堕落の結果であり、護憲派の成果ではない。
 今、必要な改憲論とは、護憲派も応じられる憲法改正であって、9条の神学論争ではない。
改憲実績を創造せずに一足飛びに改憲を為そうなどという実績なき大言壮語を慎むべきだろう。
もっとも改憲論者の大勢が”実績なき大言壮語”の自覚もなく「多数派の矜持」に縋っているのだろう。こうやって延々に改憲を為せず最高裁と内閣法制局依存の解釈改憲による憲法の延命措置に頼り続ける立憲主義体制の歴史を継続するのかもしれない。
 ある意味では日本の立憲通史は研究素材としては興味深い。
シニカルに言えば、平和主義実験国家日本、革新的な英米憲法モデル国家・憲法の変遷による憲法延命実験という憲法学的な魅力的な素材と言えるかもしれない。



 
 


  











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