2001年に東ティモールを選挙監視団の一員として訪れて以来、今回、二回目の訪問をしました。
東ティモールは長くポルトガルの植民地でした。
独立を勝ち取ったいわばゲリラの闘士の中にはポルトガルやポルトガルの植民地だったモザンビークで大学に行き、ポルトガル語で高等教育を受けた者もいます。
他方、東ティモールには数十にのぼる言語があり、テトゥン語、正確にはコマーシャルテトゥンとかディリテトゥンと呼ばれる言葉が一応の公用語になっています。
インドネシアにしばらく占領されていたためとインドネシアのテレビ放送を多くの人が見ているため、インドネシア語を理解する人も多くいます。
独立回復後、東ティモールはポルトガル語とテトゥン語を公用語にして、英語とインドネシア語なども公用語ではないが使われています。
子供たちは家では元々の地方言語を話し、多くはテトゥン語を理解します。テレビでインドネシア語の放送を見て、
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