鍛造の非生産的な話

自分の限界とサンタクロース

2013/02/26 00:20 投稿

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感謝

まずは皆さんへ私のできる最高の感謝の気持ちを示したいと思います。
テキストを打つためにキーボードを弾く指が震えるほどの感情の隆起を何とか抑えながら今ディスプレイへ向かっております。
強くではなく 熱く 感謝。ありがとうございますっ!!!

前回の記事 『大人ってすごい ニコ厨低年齢化への想い』に想定超えるアクセスと反響が集り、様々な皆さんの感情に触れさせて戴きました。
同論、反論、派生論、多くの議論が繰り広げられるきっかけを生めたことを私は誇りとして、1つの形なき勲章として心へ刻み込みたいと思います。

ゲーム制作

そしてもう1つ、本題へ入る前に私的な感謝を示させてください。
『今晩中でおまいらにゲーム作らせる講座』へアクセスし受講された方々、アナタ達の熱意はアクセス数として私へ伝わって来ました。ありがとうございます。
皆さんの生産した 楽しさ面白さを見れるいつの日かを想うだけでワクワクが止まりません!

本題

日々生活していますと自分の限界を感じることが多々あります。
そしてその経験は蓄積され我々は学習します。
「自分には無理」だと「夢は叶わない」と「報われない努力は無駄」だと。
私も一人の人間で、成人し社会に出てから数年程度しか経っていない若造ですが、そう考えてしまうこと感じてしまうことがよくあります。

学生時代

私は頑張っている学友を見て嘲笑したことがあります。
泥だらけで這いつくばって苦しそうな顔をする。そんな ダサいことを続ける学友を嘲笑したんです。
そんなダサいことをするのならば 賢く達観してテキトーにやってた方が良い。それが学生時代の私が得た結論でした。
そっちの方がクールでしたしね。最低限の行動で効率良く利益を得る実にスマートでカッコイイです。

本当は知っていた

でも本当は知っていたんです。
そうやって ダサいことを繰り返しついに目的を達成した者が真にクールでスマートでカッコイイ人間だと。
ダサい人間が目標を達成し表彰されカッコイイ人間に変わった時、学生時代の私は見て見ぬふりや知らないふりをしました。
自分が得た結論が達観ではないと気付いていたのに、気付いていないふりをしていたんです。
面倒なことは嫌という子供的な思考を隠すために、大人のふりをして、賢いふりをして自分は達観してるんだと思い込もうとしてたんです。
そんな学生時代の私は間違いなく 真にダサい人間でした。

誰も言わなかった

おそらく今私は 当たり前のことを言っていると思います。前回の記事もそうです当たり前のことなんです。
しかし誰もそのことを言いませんでした。良く言えば空気を読んで、悪く言えば見て見ぬふりをして、自分の得た 楽をできる結論を否定されたくないから誰も言いませんでした。
ダサい連中が実は真にカッコイイ人間で、カッコイイ人間が実は真にダサい連中であることを誰も認めたくなかったんだと思います。
這いつくばる人間を「バカじゃねーの?」と嘲笑して、這いつくばることを経て成功した人間を「天才だ」と言い訳して、そうやって自分の立場を守って来ました。
立場を守れる言葉だけを口にして過ごして来ました。

口にしなければならないこと

当たり前のことを口にしなければならないんです本当は。
「あの人は努力したから成功した」のだと「楽しさを自分で生産しているから楽しく生きてる」のだと「そんな人間になりたい」のだと、そんな当たり前のことを口にしなければならないんです。

限界はある

間違いなく自分自身には限界があります。
それが理性的判断であっても本能的判断であっても間違いなく自分自身には限界があるのです。人間ですから。
しかしその自分限界を他人の限界として口にするのは違うんじゃないかと思います。
自分の限界こそが一般的な常識だとして口にするのは違うと思います。
「夢をみるのは無駄」だと他人へ口にするのは間違いなく違います。

サンタクロースは居ない

ある程度成長すると口にするこのフレーズ。私はこのフレーズを口にする間は子供だと思うのです。
何故なら大人になれば サンタクロースは居ると気付くからです。
年に一度親はサンタクロースに遭遇するんです。枕元へプレゼントを置く瞬間に「あっ」と気付くんです。
大人は子供にとってサンタクロースなのだと気付かないうちは子供です。

あこがれ

良い子で居れば良い結果をもたらすサンタクロースは子供のあこがれであるわけです。
子供はそのためにクリスマス直前からであれ良い子で居ようとする 努力をします。
そして子供の努力は報われ子供は良い結果を手にする。

大人は「良い子で居ようね」と指導する、「サンタさん来てくれると良いね」と口にする。
そこで「サンタクロースは居ない」という大人にどう感じますか?
指導の機会をわざわざ自ら潰す大人は正しいのでしょうか?

サンタクロースはすごい 大人もすごい

子供がサンタクロースへ持つあこがれと大人へもつあこがれは同質のものだと私は感じます。
同質だからこそ、例え 自分自身が大人になった時に意外と大人は凄くないと知ったとしても「大人は凄くない」と口にするのは間違っていると私は思うのです。

誰かが「あの人のようになりたい」と言った時に 自分には無理だと感じたから「バカじゃねーの?そんなの無理だろ」と否定する言葉を吐いたり、「こういうことが出来たら良いね」と言った時に 自分にはできないと感じたから「無駄な努力すんなよ」と諦めさせようとしたりするのは間違っています。
自己保身は他人の可能性を奪ってまですることじゃないです。

サンタクロースで居たい

私は私の後から続いてくる方々にとってのサンタクロースで居たいです。
普段は楽しく面白いことが大好きな大人で居て、ある時に楽しく面白いオモチャを配るサンタクロースで居たいのです。
ゲーム制作の記事を書いたのはその一環です。私というサンタクロースから努力しようとする良い子へのプレゼントなのです。
そして私という大人はそこから生まれる楽しく面白いもので馬鹿笑いをしたいです。

自分の限界を知ることは悪いことではない。しかし 自分がダサい人間だと気付きたくないという理由で他人の挑戦を邪魔することだけはしないで戴きたい。 それはかっこ悪い。
出来るのならば応援を、よろしければアナタにもサンタクロースへなって戴きたいと私は思います。

以上です。長文にお付き合いいただきありがとうございました。


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