バブル経済 と 10代の人生 は一緒
世の中舐めていても社会全体が上手くいったのは、、、
ほんの一握りの「経済上昇時、バブル時」だけ。
それは、本人が、当事者たちが、というよりも、、、
一言でいえば、運がよかっただけ
例えば。
戦争を経験せずに人生を全うできる「人類」が何%か考えた事があるか?
「今」が、どれだけ幸せか、
「日本」が、どれだけ奇跡的な幸せか、、
私TAMは、基本超ポジティブで、良い所ばかりを探しまくっているのもありますが
それを差し置いても、今の現状。自分の周りの環境は、もう最高に素晴らしいものだと思っている
その素晴らしさを、特にIT機器やNet環境の急激な発達によりTAM活動が成り立っている所については何度も語っているし、また今後も別の機会に語るとして、、、
今回は、ちょっとダークな話を。
平和の中で生きて、平和の中で死んでいき、そして経済社会も上昇を続ける、しかも世界の歴史で1位?かという奇跡的な経済社会の発展を遂げた、戦後の日本。
第一次世界大戦で圧倒的発展を遂げたアメリカと、そして戦後の日本と、どちらが上昇率が上なんだろうか・・・ というのもまた今度にして。。。
1960年代後半~1980年代後半。 奇跡の20年。
その奇跡を体感できたレベルの人類が、どれくらいいるのか・・・
それを「標準」とする事が正しいのかどうか・・・
今の日本、「バブルが~」とか言う人が多い
例えば、税金、年金、公共事業、あたりは、今の世代に「借金」としてのしかかってくるからこそ、恨み節は多い。
まぁ確かに「株価や土地」や「為替(日本円の強さ)」や「成長率」を担保にして借金をした上でバブルが成り立ったとしたら、
例えば株価や土地や為替はバブル崩壊で半減しているので。
自分の力を2倍過信して、借金をしたり消費したりしてしまったツケが今来ている、とも言えるだろう。
分かりやすく例をあげると。土地を担保に借金して事業した人は軒並み潰れたし
年金や税収なんかも、運用成績が良く、ハコモノを沢山創ったりばら撒いたりしたけど
結局は将来の分まで使いすぎてしまった、、、
年金支出や福利厚生で払いすぎてしまった上に、さらに株等運用成績の悪化でダブルパンチ。
そこばかりに視点が行って、誰かのせいにしたいのが人間ってものなのだが・・・
結局それも含めて「環境」でしかないし「運」でしかない
自分の人生、1人の人間の一生というフォーカスをした場合には、外的要因の責任探しをした所で生産性は無い
(スキャンダルを楽しむレベルの民度でしたら、それが精神安定剤になるのかもね^^;)
さて。
世界の歴史から見たマクロ。
それと対比して、今度は1人の人生というミクロで同じ視点をもつと・・・
人間は、最初に「生まれ」てくる。
みんながちやほやする、何もしなくても生活できる、生きていける、
勉強しても遊んでいてもスポーツしていても芸術していても
趣味に没頭しても、アウトドアでもインドアでもなんでも、、、
努力しても、努力しなくても、無限の時間、体力、能力の伸び を享受できるティーンまでの若者。
何をやっても良い、何をやっても楽しい、何をやっていても、個人差はあれど「誰もが」上昇する、経験に従って伸びる、才能が伸びる、能力が伸びる
身長が伸びる、筋力がつく、、、
、、、
それはバブル経済のようなもの。
誰でも、伸びるのだ、誰でも、どんな環境でも、全てが新しく新鮮であり、可能性が拓けているのだ・・・
そして、気持よく「登って」いるように見えるその人生は、、、、
「努力」しなくても「登って」いけるものだから、勘違いする人が多い
たまたま、人生で上り調子のタイミングが誰にでも与えられる。
努力しても、しなくても。
いつしか山頂を越えたあたりで、自分が今まで登ってきた道と、これから先の道がどちらも見える時が来る。就職をする、20歳前後が精神的、体力的、時間的、能力吸収、山頂か。
(金銭的山場はまた後から来るが、これは議論から外す)
後はひたすら下っていく。体力も能力も。
暗記や、計算力、集中力、は、どんどん低下していく。疲れやすくなってくる。
30も超え、40,50,と、下っていく、、、
そう。誰でも奇跡の20年間を持っているのだ。
それは、奇跡であり、そしてバブル経済を後から語るが如く
「あの時代に生まれれば、誰でも成功したし、誰もが人生謳歌したし、誰もが将来バラ色を思い浮かべ、世界の中心に自分が居るような感覚で、良い時代だったよ」
と言われる。
。。。
マクロとミクロ。
経済社会の中での戦後生まれて、そしてバブル、崩壊してなだらかにデフレになり下降していく。
そのマクロと、ミクロである「個人の人生」の流れ。
似ている所は沢山ある
もちろんバブル経済時期に努力した人は、そりゃ成り上がっただろうし。成り上がる難易度は低かったでしょう
人生若い内に、自分の能力や才能を見つけたり、伸ばしたり、努力したり、突き詰めたり、していたら、、
例えば試験勉強の吸収力も違うだろうし。スポーツや芸術の伸びも違うだろう。
経験値で補う系のものしか勝負できなくなってくる
・・・。
人間の10代は、バブル経済と同じ。誰でも上昇するが、崩壊してから気が付く。
そうなった時に、どうするのか・・・
「昔はよかった」と羨んだり、するのは、下っていった後から気が付くものだ
人生の「バブル」
それは、お金という意味ではなく、精神的肉体的、そして将来未来の可能性という意味でのバブル。
一度しか無い人生。 主観では無く客観で。 しかもマクロ経済と人生というものを比較した時に、面白いなと思ったので、書き連ねてみる・・・
____________________
このブログは、私TAMの個人的趣味である、、、
えーっと、、、
「経済」「心理学」「確率統計」「自己啓発」「精神論」「人生」「仕事術」「時間術」「宗教」「政治」「自主制作」「同人」「著作権」
あたりを絡めた視点での変な妄想をしております
音と一緒で、妄想が書いたり喋ったり出来る物理的量「以上」に思考が降りてくるので、
何百時間でも語れます、けど、人生時間が無い
書きなぐっているだけで精一杯ですね^^;
駄文失礼しました
世の中舐めていても社会全体が上手くいったのは、、、
ほんの一握りの「経済上昇時、バブル時」だけ。
それは、本人が、当事者たちが、というよりも、、、
一言でいえば、運がよかっただけ
例えば。
戦争を経験せずに人生を全うできる「人類」が何%か考えた事があるか?
「今」が、どれだけ幸せか、
「日本」が、どれだけ奇跡的な幸せか、、
私TAMは、基本超ポジティブで、良い所ばかりを探しまくっているのもありますが
それを差し置いても、今の現状。自分の周りの環境は、もう最高に素晴らしいものだと思っている
その素晴らしさを、特にIT機器やNet環境の急激な発達によりTAM活動が成り立っている所については何度も語っているし、また今後も別の機会に語るとして、、、
今回は、ちょっとダークな話を。
平和の中で生きて、平和の中で死んでいき、そして経済社会も上昇を続ける、しかも世界の歴史で1位?かという奇跡的な経済社会の発展を遂げた、戦後の日本。
第一次世界大戦で圧倒的発展を遂げたアメリカと、そして戦後の日本と、どちらが上昇率が上なんだろうか・・・ というのもまた今度にして。。。
1960年代後半~1980年代後半。 奇跡の20年。
その奇跡を体感できたレベルの人類が、どれくらいいるのか・・・
それを「標準」とする事が正しいのかどうか・・・
今の日本、「バブルが~」とか言う人が多い
例えば、税金、年金、公共事業、あたりは、今の世代に「借金」としてのしかかってくるからこそ、恨み節は多い。
まぁ確かに「株価や土地」や「為替(日本円の強さ)」や「成長率」を担保にして借金をした上でバブルが成り立ったとしたら、
例えば株価や土地や為替はバブル崩壊で半減しているので。
自分の力を2倍過信して、借金をしたり消費したりしてしまったツケが今来ている、とも言えるだろう。
分かりやすく例をあげると。土地を担保に借金して事業した人は軒並み潰れたし
年金や税収なんかも、運用成績が良く、ハコモノを沢山創ったりばら撒いたりしたけど
結局は将来の分まで使いすぎてしまった、、、
年金支出や福利厚生で払いすぎてしまった上に、さらに株等運用成績の悪化でダブルパンチ。
そこばかりに視点が行って、誰かのせいにしたいのが人間ってものなのだが・・・
結局それも含めて「環境」でしかないし「運」でしかない
自分の人生、1人の人間の一生というフォーカスをした場合には、外的要因の責任探しをした所で生産性は無い
(スキャンダルを楽しむレベルの民度でしたら、それが精神安定剤になるのかもね^^;)
さて。
世界の歴史から見たマクロ。
それと対比して、今度は1人の人生というミクロで同じ視点をもつと・・・
人間は、最初に「生まれ」てくる。
みんながちやほやする、何もしなくても生活できる、生きていける、
勉強しても遊んでいてもスポーツしていても芸術していても
趣味に没頭しても、アウトドアでもインドアでもなんでも、、、
努力しても、努力しなくても、無限の時間、体力、能力の伸び を享受できるティーンまでの若者。
何をやっても良い、何をやっても楽しい、何をやっていても、個人差はあれど「誰もが」上昇する、経験に従って伸びる、才能が伸びる、能力が伸びる
身長が伸びる、筋力がつく、、、
、、、
それはバブル経済のようなもの。
誰でも、伸びるのだ、誰でも、どんな環境でも、全てが新しく新鮮であり、可能性が拓けているのだ・・・
そして、気持よく「登って」いるように見えるその人生は、、、、
「努力」しなくても「登って」いけるものだから、勘違いする人が多い
たまたま、人生で上り調子のタイミングが誰にでも与えられる。
努力しても、しなくても。
いつしか山頂を越えたあたりで、自分が今まで登ってきた道と、これから先の道がどちらも見える時が来る。就職をする、20歳前後が精神的、体力的、時間的、能力吸収、山頂か。
(金銭的山場はまた後から来るが、これは議論から外す)
後はひたすら下っていく。体力も能力も。
暗記や、計算力、集中力、は、どんどん低下していく。疲れやすくなってくる。
30も超え、40,50,と、下っていく、、、
そう。誰でも奇跡の20年間を持っているのだ。
それは、奇跡であり、そしてバブル経済を後から語るが如く
「あの時代に生まれれば、誰でも成功したし、誰もが人生謳歌したし、誰もが将来バラ色を思い浮かべ、世界の中心に自分が居るような感覚で、良い時代だったよ」
と言われる。
。。。
マクロとミクロ。
経済社会の中での戦後生まれて、そしてバブル、崩壊してなだらかにデフレになり下降していく。
そのマクロと、ミクロである「個人の人生」の流れ。
似ている所は沢山ある
もちろんバブル経済時期に努力した人は、そりゃ成り上がっただろうし。成り上がる難易度は低かったでしょう
人生若い内に、自分の能力や才能を見つけたり、伸ばしたり、努力したり、突き詰めたり、していたら、、
例えば試験勉強の吸収力も違うだろうし。スポーツや芸術の伸びも違うだろう。
経験値で補う系のものしか勝負できなくなってくる
・・・。
人間の10代は、バブル経済と同じ。誰でも上昇するが、崩壊してから気が付く。
そうなった時に、どうするのか・・・
「昔はよかった」と羨んだり、するのは、下っていった後から気が付くものだ
人生の「バブル」
それは、お金という意味ではなく、精神的肉体的、そして将来未来の可能性という意味でのバブル。
一度しか無い人生。 主観では無く客観で。 しかもマクロ経済と人生というものを比較した時に、面白いなと思ったので、書き連ねてみる・・・
____________________
このブログは、私TAMの個人的趣味である、、、
えーっと、、、
「経済」「心理学」「確率統計」「自己啓発」「精神論」「人生」「仕事術」「時間術」「宗教」「政治」「自主制作」「同人」「著作権」
あたりを絡めた視点での変な妄想をしております
音と一緒で、妄想が書いたり喋ったり出来る物理的量「以上」に思考が降りてくるので、
何百時間でも語れます、けど、人生時間が無い
書きなぐっているだけで精一杯ですね^^;
駄文失礼しました
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