亜尾道(あびみち)高校は、俺の住む永苺園から歩いて十五分くらいの場所――言い換えるならば、俺の住む河降市の北の端に位置する、小さな私立高校だ。
中途半端な発展しか遂げられなかった河降市の中でも、とりわけこの亜尾道高校の周辺は、緑が多い。具体的な立地環境を説明すると、丘とまではいかないもののちょっとした高台に建っていて、湖とまではいかないもののちょっとした池が近くにあり、森とまではいかないもののちょっとした雑木林が周囲を取り囲んでいる。……かといって、明光風靡な土地とまでは当然いかなくて、正門を出て百メートルほど坂道を下ったらすぐに大型スーパーが現れたりもするし、もう少し進むといきなり新興住宅街が広がっていたりもする。
どうしてそこまで詳しく知っているのかというと、それはもちろん自分自身が在籍しているからに他ならないのだけど、では四カ月近くお世話になっているこの高校の良さを挙げよと言われれば、俺も少し困ってしまう。……しいて言うなれば、OBはおろか現役の生徒からも寄付金を受け付けるといったアグレッシブさ、テスト用紙代までをも請求してくるといったバイタリティ――そして、お金さえ積めばどんなに怪しい人物でも簡単なテストと面接だけで入学させてしまうといった、ラヴ&ピースな精神だろうか。
――夏休みを約一週間後に控えた、ある月曜日の朝。
授業前の喧騒に包まれていた一年三組の教室が、担任の登場によって一気に静まり返る。
といっても、別に我が担任である町(まち)譲(じょう)治(じ)先生が、生徒からめちゃくちゃ恐れられている訳ではない。……四十人足らずの男女が一斉に黙り込んでしまった真の原因は、彼がこの高校ではまったく見慣れない、それでいて、ひどく愛らしい少女を伴って現れたことにあった。
緑色のブレザー、白いサマーセーター、赤い蝶ネクタイ、藍色と紺色のチェックスカートといった格好――すなわち亜尾道高校の女子の制服を身にまとったその少女が、教壇に立った町先生に促される形で、自己紹介を始める。
「……きょ、今日から、このクラスに転入することになった、先峰玲音です!」
なおかつ彼女は、緊張した面持ちでとんでもないことを言いだした。「そ、それでは、『いっぱつぎゃぐ』っていうのをやらせてもらいます! “意味を履き違えた笑うせぇるすまん”――ええ、この商品は、ヒヒヒヒヒ、かなりのお勧めの、ヒヒヒヒヒ、商品ですよ、ヒヒヒヒヒ」
おかげで、静寂どころか、張り詰めた緊張感すら漂ってしまう教室内であった。
「……ちなみに、先峰さんは那部坂君の御親戚だということです」
何事もなかったかのように町先生がそう述べた。極めて賢明な判断だと思う。「なので、席は那部坂の後ろということにしましょう。……では先峰さん、どうぞ」
なんだかとてつもないものを失ってしまった感のある少女が、頭を垂れながら教壇の真正面かつ前から五列目の席――すなわち、俺の後ろの席に腰掛ける。
てっきり、『全然受けないじゃないですか! ……そもそも、本当にこの時代では転校生がいっぱつぎゃぐとやらをするのが慣例なんですか!?』なんて風に怒られるんじゃないかと思っていたけど、後ろを振り向いた俺に対して、玲音は意気消沈した様子でこう言うのだった。
「も、申し訳ございません。……せっかく、クリエイショナーから『いっぱつぎゃぐ』とやらをお教えいただいたのに、まったく笑いを取ることができませんでした。完全に、あたしの力量不足です……」
そんなにしおらしく謝罪されてしまうと、かえってこっちが罪悪感を覚えてしまう。
「……ていうかさ」
当然のごとく集中しているクラスメイトの視線を気にしながら、俺は小声で、顔を俯けさせたままの彼女に耳打ちした。「おまえ……いきなり出てるぞ」
「え……?」
一瞬、目を泳がせた後、「あ、うわ! だからサイズが小さいって最初に言ったのに……」
慌てたようにスカートの裾を引っ張り始める玲音。
「ち、違う違う! ……その『クリエイショナー』ってやつだよ。この高校内では、俺のことをそう呼ばないって、昨日の夜に約束しただろ?」
「あ……そうでした!」
両手をパチンと叩く彼女。「申し訳ありません、クリ……いえ、お兄様」
念の為に言っておくと、この『お兄様』という上品かつ古くさい呼称は、玲音側からの提案だった。別に俺は『那部坂君』でも『準君』でもかまわなかったんだけど、その案は『クリエイショナーの実名をお呼びするだなんて、あまりにも畏れ多い』というよくわからない理由で、却下されてしまった。おかげでこんな気恥ずかしい呼ばれ方になってしまったのだけど、それでも『クリエイショナー』だなんて辞書でいくら調べても出てこないような単語を用いられるよりは、はるかにマシだといえよう。……一応、俺達は親戚だという設定だしな。
それにしても、だ。まさか、転入手続きを申し込んだ次の日から、彼女が登校できるようになるとは思わなかった。前々から噂には聞いていたけど、どうやらこの金欠私立高校、お金さえ積めば、本気でどんなに身元が怪しい人間でも、そして夏休み直前というとんでもなく微妙な時期でも、気軽に入学させてくれるところらしい。
……やがて、町先生が一旦教室を出ていった後、何やら囁くような声が周囲から漏れ聞こえてきた。それと同時に、全員の、特に男子の一段と強烈な視線が、全身に突き刺さってくる。
そりゃあそうだ。クラスの中でも地味な、いや、はっきり言ってかなり嫌われているだろう俺に突然現れた、美少女の親戚なのである。関心が集まらない方が不思議ってもんさ。
とはいえ、俺に直接事情を訊こうと試みる男子は誰一人いなかった。……そもそも、この教室内で俺に気軽に話しかけられる人間は、ほとんどいない。逆に言えば、俺が気軽に話しかけられる相手も、ほとんどいない。
……そんな中、意外な事態が発生する。
男子ではなく、一人の女子が、小走りで我々の元に駆け寄ってきたのだ。
もっとも、彼女の目的は俺じゃないみたいだった。後ろの席で未だにもじもじしている玲音の両手をいきなり握りしめて、実に親しげな口調でこう話しかけたのである。
「うわぁ、久しぶりやぁん玲音! あんたも大阪からこっちに引っ越してきたんやなぁ!」
「…………え?」
ポカンとした表情で、その女子を見つめる玲音。「ええっと、その……あんた、誰?」
「ぅえええええ!? うちのこと、もう忘れてもうたんか!? ……ほら、小学校の時によく一緒に遊んだ、東(しょ)海(う)林(じ)張(はり)乃(の)やん! 張ちゃんや、張ちゃん!」
そこから速射砲のように紡ぎ出された彼女の言葉をまとまると――どうやらこの東海林張乃と玲音は、大阪の同じ小学校に通っていた、いわゆる幼馴染だったらしい。
しかしながら、小学校卒業を機に東海林が関東に引っ越したことにより、すっかり疎遠になっていたようでもある。……つまり、今日が約三年ぶりの再会となる訳だ。
……もちろん、俺の偽親戚があっけに取られるのも無理はなかった。東海林が懐かしげに振り返っているのは、あくまでも戸籍を借りているだけであるこの未来っ娘ではなく、本物の『先峰玲音』との想い出だろうからな。
それにしても、たまたま購入した戸籍が、たまたま転入先の高校にいる人間の幼馴染のものだったなんて……これは単なる偶然なのだろうか? あるいは、これすらもあらかじめ未来の人間によって仕組まれたものなのだろうか?
「まぁ、気づかんかってもしゃあないかぁ。うち、だいぶ昔と変わってもうたからなぁ。……けど、あんたもえらい変わったなぁ! 小学校の頃は地味な子やったのに、めっちゃ可愛くなってるやん! ていうか、那部坂君と親戚やったんやぁ! 知らんかったわぁ!」
「……あのさ」
我に返ったように東海林の手を振り払った玲音が、冷たく言い放つ。「あたし、ちょっと用事があるから、話は後にしてくれない?」
それだけ言い残した後、我が共同生活者は、その場から足早に去っていってしまった。
「……あ、あれぇ? ……うち、知らん間に玲音に嫌われてたんかなぁ?」
眉を八の字にしながら尋ねてくる東海林張乃を、俺はとても直視することができなかった。
肩まで伸びたボブカットの茶髪、希望感に満ち溢れているくりくりっとした瞳、親しみの沸く丸い輪郭、全体的に実年齢よりもはるかに若く見える顔立ち――このかなり背が低くてちょっと肉付きのいい関西出身の少女に、三か月ほど前から一方的な好意を寄せていたからである。
なおかつ東海林は、このクラスで俺と口を聞いてくれる、唯一の女子でもあった。……といっても、別に向こうも俺に気があるとかそういうのじゃない。単純に彼女は、どんな人間だろうが分け隔てなく接してくれる、底抜けに優しい女の子なのだ。
「い……いや、そ、そんなことは、な、ないと、思うよ」
視線を泳がせながらも、俺がなんとかフォローを入れる。「き、きっと、あの、その、久しぶりだから、照れてるんだよ。……ほ、ほら、あいつ、素直じゃないし!」
間違いなく、照れているのは俺の方だったけどな。
「昔は素直な子やったんやけどなぁ……まぁ、もういうても高校生やもんなぁ……」
よくわからない感想でまとめた後、東海林は何の濁りも感じられない笑みを浮かべながら、俺の胸に軽く自分の拳を当てた。「おう、慰めてくれてありがとうやで、那部坂君!」
引っ込めた拳で作ったピースサインを残して、自分の席に戻っていく彼女だった。
しばらくの間、意中の女性と思わぬ形で会話を交わせた幸福に浸った後、俺はそんな天使のような東海林張乃との交流権を一方的に放棄した、極悪女の姿を追ってみる。
それはいたって簡単な作業でもあった。何故ならあの馬鹿女、あらかじめ『さっそく今日からマザーリアとのコンタクトを試みようと思っています!』と宣言していたからである。
案の定、俺が発見した時にはすでに、玲音は廊下側最後列の席――すなわち、星村凛子の席の傍らに立っていた。……ひどく緊張した様子の玲音に対して、星村凛子は目線を合わす気すらないらしい。自由な時間いつもそうしているように、彼女はひたすら読書に耽っていた。
それでもお互いの口が動いている以上、何らかのやり取りは交わされているみたいである。
転校生がいきなりこの教室内において最も無愛想な女子に話しかけるといった異常事態を見守るクラスメイトに混じり、俺も彼女達の会話に耳をそばだてる。……だけど、具体的な内容は何も伝わってこない。まったく和気藹々としていない、ってことくらいしかわからなかった。
「……那部坂」
唐突に、背後から朴訥とした声が聞こえてきた。振り向くと、このクラスで俺が唯一気軽に言葉を交わせる相手、真壁透の顔があった。「おまえにあんな親戚がいることも、その親戚がこの高校に転入してくることも、俺は今までまったく知らなかったぞ」
「あ、ああ……そういえば、言うのをすっかり忘れていたわ、ごめん」
「もしかしておまえ達は、俺の隣の部屋で一緒に暮らしているのか?」
「ええっと、まぁ、うん、そんな感じかな」
「ところで、那部坂。大変なことになってしまった」
「は? ……何がだよ?」
「俺がだ」
表情や口調を一切変えずに、彼は言った。「俺は恋をしてしまった。初対面の相手に対して、いや、そもそも女性に対してこんなに胸がときめいたのは、恐らく初めてのことだろう」
「……ちょ、ちょっと待て。まさかおまえ……玲音に恋をしてしまったっていうのか?」
「そうだ、激LOVEだ」
「マジかよ……ていうか激LOVEって何だよ……」
確かに、何故か一回り以上サイズの小さな制服を支給されたが為に、その造形が露わになってしまっている胸部と臀部は別にしたって、玲音は非常に魅力的な容姿の少女である。誰かが恋に落ちたって、全然不思議ではないだろう。
だけど……よりにもよって、俺の唯一の友人が玲音に一目惚れしてしまうとは。
そもそも、この男はそんな色恋沙汰にまったく興味がないと思っていたのに。
……というのも、だ。今まではあえて触れてこなかったけど、ていうかこれからもあんまり触れたくなかったのだけど、この真壁透という男はぶっちゃけ、かなりのイケメンなのである。
涼しげな瞳、整った鼻筋、凛々しく引き締まった口元。そんな中性的ともいえる綺麗な顔立ちの上に、長身かつスマートな体型で、しかもサッカー部の将来のエース候補という、まるで一昔前の漫画やドラマに出てくる二枚目ヒーローみたいなこの男は、実際女子からの人気もかなり高いらしい。……それなのに、浮いた話一つ出てこないもんだから、もしかするとそっち系の人間なんじゃないかとひそかに疑っていたくらいなんだけど。
すっかり絶句してしまう俺の耳に、今度は聞き慣れない声が飛び込んできた。
「……真壁君」
ちょっと低音の効いているその声を間近で聞くのは、たぶんこれが初めての経験だった。「この前の一件だけども、別にあなたに手を引っ張ってもらわなくたって、私とあの車が接触することは、ありえなかったと思うわ」
ついさっきまで転校生と気のない会話を交わしていたはずの星村凛子が、いつの間にか、俺達の傍に近寄ってきていたのだ。
彼女が元いた席の方に視線をやると、玲音が一人で呆然と立ち尽くしている。どうやら、自分が東海林に対して行ったような対応を、星村にされたってことらしい。ざまぁみろ、天罰だ。
「ああ……そうだな、俺も同意見だ」
基本的に感情を表に出さない真壁の顔からも、この時ばかりはさすがにほんの少しだけ驚きの色が読み取れた。……恐らく彼だって、この心を固く閉ざした女子とちゃんと言葉をやり取りするのは、これが初めての経験なんだろう。
「とはいえ、私は絶対に他人に借りを作りたくないタイプでもあるの」
抑揚がないという点は共通しているものの、俺の親友とは違い、星村の口調には一切の親しみも感じられなかった。「……だから、いずれ何らかの形でお礼させていただくわ」
真壁との無感情対決に勝利した彼女は、それだけ言い残して、自分の席に戻っていった。
代わりに、玲音がこちらに向かってとぼとぼと歩いてくる。すれ違いざま、ぎこちない笑顔で会釈する彼女を、やっぱり無視する星村であった。
「……では、俺も自分の席に戻る」
急に踵を返す真壁。
「お、おい、なんでだよ! ……恋をしたんだったら、玲音と何か喋ったらいいじゃん!」
「無理だ。……今の俺には、荷が重すぎる」
そして、真壁も素早くその場を去っていった。やれやれ、なんて謙虚なイケメンなんだろう。
まもなく、がっくりと肩を落としながらの帰還を果たした変な髪型の少女に、俺は再び小声で尋ねてみる。
「で……コンタクトとやらは成功したのか?」
「ああ、その……すみません、全然駄目でした」
伏し目がちに答える彼女の表情は、敗北感に満ち溢れていた。「……やっぱり、めちゃくちゃ怪しいですよね、いきなり転校生が話しかけてくるだなんて」
「そりゃあそうだろうな」
しかも、相手はあの星村なのだ。うまくいく方がどうかしてるってもんさ。「……ちなみに、憧れの人と初めて喋ってみた感想はどうだったよ? 感激したか?」
なんでもこいつは、未来の世界でも、『マザーリア』こと星村凛子と実際に対面したことはないらしい。しかし、同じ女性として、ずっとただならぬ尊敬の念は抱いていたという。
「ええ、それはもちろん、すごく感激はいたしましたが……ちょっと、思っていたお方とは違いましたね」
「ああ、予想以上にひどい態度だろ?」
「いえ、ご性格はともかくとして外見が……あ、な、なんでもありません!」
慌てた様子でかぶりを振る玲音。
「おいおい……それで俺が納得すると思うか? 別に怒ったりはしないから正直に言えよ」
「は、はい、申し訳ございません。……そ、その、マザーリアはお若い頃、『絶世の美少女』だったとうかがっていたんですが……」
「まぁ、絶世とまではさすがにいかないか」
「それどころか、はっきり言ってブサイ……い、いえ、その、今度こそなんでもありません!」
「ブサイクって……おまえ、さすがにそれは言い過ぎじゃねぇの?」
苦笑しながら、俺はもう一度星村の方に視線を向けた。
流れからいって、我々が自分の話題をしているってことくらいはわかるはずだろうに、彼女は一切こっちの様子を窺うこともなく、読書を続けている。
なるほど、確かに薄気味の悪い女だ。ここだけの話、彼女のことを悪く言うやつも、少なくはない。……けれど、あいつの容姿までをけなす人間は、ほとんどいないはずだ。腰辺りまでストレートの黒髪を伸ばし、化粧っ気もまったくなく、常に灰色のストッキングで生足を隠すといった古風かつ不気味なスタイルを貫いているとはいえ、彼女はどこからどう見たって、美人の範疇に属する女性なのである。細面の輪郭に切れ長の瞳が印象的な、和風美人だ。
そんな星村凛子のことを、いくら自分も容姿が整っているとはいえ、『ブサイク』とまで言い放つくらいなんだから、玲音はよっぽど美的感覚に厳しい女なのかもしれない。……正直、俺だって裏ではどう思われているのかわかったもんじゃねぇな、こりゃ。
「だいたいさ、おまえは未来の星村の姿を知っているはずだろ?」
「はい、肖像画では何度も拝見させていただいたことがあります」
「だったら、過去にどんな顔だったのかも、想像がつきそうなもんだけどな」
「それが……マザーリアはいつも人前では覆面をかぶってらっしゃったので、肖像画でもお顔は描かれていないのです」
「覆面をかぶってるって……何だよそりゃ?」
ひょっとして、将来星村は変態趣味にでも目覚めるんだろうか? あるいは、すでにもう目覚めてるんだろうか? ……ちょっとだけそんな妄想を繰り広げた後、俺は大事なことを思い出した。「あ、そうそう。……おまえ、さっきの東海林さんに対する態度は何だよ?」
「……え?」
きょとんとした顔つきで訊き返してくる玲音。「東海林さんって……その、誰ですか?」
「それすら覚えてないのかよ!」
その反応からいって、少なくとも彼女自身は、自分の購入した戸籍が転入先の高校にいる人間の幼馴染のものだと、あらかじめ知っていた訳ではないらしい。「ほら、最初におまえに話しかけてきた、ちっちゃな女の子のことだよ。いくらなんでも、あの対応はひどすぎるだろうが」
「ああ、あの女ですか。しかしですね、クリ……お兄様。あたしはあの女のことをまったく知りませんし、そもそも今回のプロジェクトとは無縁の存在ですし、それに馴れ馴れしく下品な女でもありましたし、知能の低そうな女でもありましたし……」
「うるせぇてめぇ!」
俺の天使に対して何てことを言ってくれるんだ、コラ! 「口答えすんじゃねぇよ、馬鹿!」
「も、申し訳ございません!」
途端に玲音が机に額を擦りつける。つい調子に乗って怒鳴りつけてしまった俺も、そんな彼女の様子を見て、はっと我に返った。ただでさえ周囲のクラスメイトから注目されている中で、この状況は非常にまずい。これではなんだか、俺が自分の従姉妹だけには強い男みたいじゃないか。……まぁ、実際のところ、それに限りなく近いんだけどな。
「……そのさ、うん」
なるべく穏やかな声で、俺は諭した。「……とりあえず、頭を上げてよ」
「いえ、あたしとしたことが、畏れ多くもお兄様に口答えしてしまうだなんて……この場で死んでお詫びしたい気持ちです!」
「だから頭を上げろって! 俺が悪かったから!」
「そんな……お兄様は、何一つ間違っていません!」
「じゃあ、俺の言うことを聞いてくれ。頼むから!」
「わかりました……」
ゆっくりと頭を上げる彼女。よく見れば、額に赤いあざみたいなものができていた。かなり強い勢いで机にぶつけたせいだろう。さすがに心が痛む。
「と、とにかくさ……俺や星村だけじゃなくって、他のみんなともなるべく仲良くしろよ。このクラスに馴染まないと、おまえの作戦とやらもスムーズにはいかないってもんだぜ」
「……なるほど、そう言われてみればそうですね! やっぱりお兄様は、大局から物事を判断してらっしゃいます! ますます尊敬の念が深まりました!」
今度は胸の前で両手を組みながら、キラキラとした瞳で俺を見つめてくる玲音であった。
いずれにしても、我々の関係性に対する疑念をクラスメイト達に抱かせるには、充分すぎる光景だっただろう。半ば諦めた俺が、大きな溜息を吐く。
そうこうしているうちに、町先生が再び教室に姿を現した。彼は一限目の授業、すなわち国語科の担当教師でもあるからだ。
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