「……密室殺人事件に遭遇する事と、理想の男性に巡り会う事と、どっちが難しいんやろうなぁ?」
私の大親友であり、また幼稚園時代からの幼馴染でもある溝端愛理(みぞばたえり)は、視線をうろつかせながらそう呟いた。
――エリの名誉の為に言っておくと、いくら大学の新入生歓迎コンパに喪服で出席してしまうくらい壮絶な天然ボケキャラである彼女とはいえ、このような突飛過ぎる発言を行った背景には、それ相応の事情があったのだ。
そして、その事情を詳しく説明する為には、時間をこの発言から十時間程度遡らせる必要があり、ついでに場所も、大阪有数の繁華街、難波(なんば)に移動させる必要があった。
二月二十二日の夕方五時。
大阪府大阪市中央区にある巨大ターミナル駅、『難波駅』で――具体的に言えば、そこの地下にある『ロケット広場』で――私は周囲の煩雑な風景を観察しながら、ある人物を待っていた。
どうしてこの場所が『ロケット広場』という名称なのかといえば、それはロケットが立っているからである。なんて明快な理由だろう。
もちろん、ロケットと言っても本物ではない。しかし、その規模だけは吹き抜けのフロアを目一杯活用しないといけないほどの本物クラスなので、単純な大阪人が、無駄に目立つこの場所を待ち合わせスポットとして活用するのも、自然の摂理だと言える。要するに、私も単純な大阪人の一人だった。
だけど、何故宇宙開発とはほとんど縁のないはずの難波駅に、このようなモニュメントが建てられたのかという理由については、大阪に住んで十九年になる私にもさっぱりわからなかった。というより、それほど知りたいとも思わなかった。
それよりも私が知りたかったのは、今待ち合わせをしている相手が、いつになったらこの場所に現れるのかという情報であった。残念ながら、その相手こと溝端愛理は、『約束の時間』という概念をほとんど理解していないような人物だったからである。
そんな訳で、とても洗練されているとは言いがたい難波駅構内において、私は色々な考え事をしながらひたすらエリを待ち続けた。
……案の定、彼女がようやく姿を現したのは、約束の午後六時から四十分も経過した頃であった。
「ごめん! 今回の一件はぜひなかった事にして!」
小走りで駆け寄って来たかと思えば、さっそく調子の良い事を口にするエリの頭を、私が強くはたく。
「あんたが遅刻するのは今回だけじゃないやろ!」
「じゃあ、今までのも全部なかった事にして!」
「どうせ次もやろ。本当にエリは時間にルーズすぎるねん!」
詰問する私に対して、彼女は情けない表情を浮かべながら、
「違うねん! 目覚まし時計が悪いんや!」
「あんた、この時間まで寝てたんか!?」
日曜日とはいえ、エリのその自由奔放な生活スタイルに改めて驚かされる私だった。「まぁいいわ。で、目覚ましが鳴らなかったって言い訳なんか?」
「いや、目覚まし時計を買い忘れてたねん……」
「そこからなん!?」
物凄い責任転嫁だ。
「そうやねん!」
全く悪びれる様子もなく、ちょこんと頷くエリ。
「はぁ……ちゃんと買っておきや」
怒りを通り越してこの少女が不憫にすら思えてきたので、私は優しくそう諭した。「そういえば、一緒に連れてくるって言ってたクミちゃんって女の子は?」
「ああ、なんでも急用が入ったらしくて今日は無理らしいわ」
彼女はあっさりとそう言い放った。
「ええ!? それはいつ連絡が入ったんや?」
「昨日の夜!」
「あんたはいつも報告が遅すぎるねん!」
もう一度エリの頭をはたく私。身長が一六八cmの私にとって、一五七cmしかない彼女は実に叩きやすい存在だった……なんて言うと、私がいかにも暴力的な女みたいに思われるかもしれないが、それは大いなる誤解である。……たぶん。恐らく。その可能性もある。
とにかく、一つだけ指摘しておきたいのは、上品かつおしとやかな私にそんな邪悪なキャラを演じさせてしまうほど、エリはいつも報告が遅いという事だ。こやつはせっかく人が映画に誘って、胸をワクワクさせながら予告編を見ている途中に、『実はこの映画、先週も見たんやけど、あんまり面白くなかったで』と耳打ちするような女なのだ。
よって、自然と私の語気も荒くなる。
「何回注意したらわかるねん! 報告はすぐに! 報告はすぐに! 報告はすぐに!」
今だけで三回も注意してしまった。なかなかの好ペースだ。
「ごめん~! 次からは気をつけるわ~!」
泣きそうな顔で謝るエリ。これも、恒例の行事だった。
「……まぁ、仕方ないか」
諦めて腕を組む私。「だいたいさぁ、こんな寒い中で四十分も待たせてしまった友達には、何か手土産でも持ってくるのが常識じゃないかなぁ!」
「ああ、じゃあこれをあげる」
彼女は手に持っていたペットボトルを私に渡した。
「飲みかけのウーロン茶なんかいらん!」
「ううん、もう飲み終わってるで」
「じゃあゴミやん!」
いつもの事とはいえ、エリの天然ぶりにすっかり辟易してしまった私は、ゴミを片手にさっさと歩き始める。「もう行くで。時間がないんやからさ!」
「でさ、今日の相手は、その、良い感じなん?」
まるで何事もなかったかのように、エリは話題を変えた。いやらしいほどの笑顔を浮かべながら。
「良い感じとは?」
長い付き合いである私には、当然彼女の質問の意図が手に取るように理解できていたのだが、ここはあえてとぼけるように尋ねてみた。
「ルックスやん、ルックス!」
露骨な回答が返ってくる。「今日の為に、うちはだいぶ気合い入れてきたんやから!」
「あたしには、あんまりいつもと変わらんように見えるけどな」
「何を言ってるねん! これは合コン用のファッションやで!」
――そう、今日は合コンの日だった。それも、事実上私が主催の、である。
といっても、別に私が他人に男性を紹介できるほど男友達に恵まれている訳ではない。むしろ、唯一とも言える高校時代の男友達に、無理矢理セッティングを頼まれただけというのが実情だ。
元来、私はこの『合コン』というイベントが好きではなかった。だいたい、人工的な出逢いなんて邪道だと考えてしまうくらいの人間なのだ。それでも、この年齢になるまで異性と交際した経験が全くない私を気遣って誘ってくれる友人に対し、そう無下に断る訳にもいかない。そんな事情から、今まで何度か出席した事はあるものの、その成果は毎回芳しいものではなく、残ったのは誘ってくれた友人への借りであり、逆にこうやって開催を要望されるといったわずらわしい後日談くらいのものであった。
「……だから、あたしは合コンが苦手やねん!」
やり場のない苛立ちをエリにぶつける。
しばらくキョトンとしていた彼女だったが、やがて気を取り直したようにくるっと一周してみせた。
「ほら、今日のうちは輝いてるやろ?」
確かにエリは輝いていた。冗談ではなく、眩しいくらいに。
……だが、それは別に今日に限った事ではなかった。その事実は、幼稚園から小、中、高、さらに何の因果か大学まで一緒になってしまった私が、嫌になるほどわかりきっている。
彼女は、昔から常にアイドル的存在であった。いや、クラスや学年という狭い範囲に限れば、まさにアイドルだった。どれくらいエリの事をもっと知りたいという理由だけで私に接触してきた男が多かった事か。どれくらいエリの携帯番号を知りたいという理由だけで私の携帯番号を訊いてきた男が多かった事か……。
しかし、当の本人はといえば、自分の生まれ持った才能、言い換えれば恵まれすぎた美貌をほとんど自覚していないのだから、ある意味タチが悪かった。なので、黙っていても男が言い寄ってくる身分のはずなのに、こういった半ば強引とも言える出逢いの場に、喜々としてやって来る始末であった。
「ああ、輝いてるねぇ輝いてるねぇ!」
適当にあしらいながら、私は今度こそ本気で目的地へと向かい始めた。「さっきも言ったけど、あんたが遅刻したおかげで、時間に全く余裕がなくなったねん! ほら、早く行くで!」
「行くでって……結局、良い男がいるのかどうかわからずじまいやん!」
口を膨らましながらも、エリは軽い足取りで私の後に着いて来る。
「そんな事は、向こうに着いたら嫌でもわかるわ」
「でも、木村君の紹介やろ?」
同じ高校に通っていたエリは、私の唯一の男友達、木村和也も知り合いという訳である。「期待できないと言ったら言い過ぎやけど……期待できへんな」
「言い過ぎや!」
お決まりとも言えるやり取り。「そもそも、なんで期待できへんねん?」
「だって、木村君はほら、あんまり正統派な美男子ではないというか、個性的な顔というか、顔のデッサンが狂っているというか、目も当てられないというか……」
どんどん表現がキツくなっていく彼女の発言を、制止する必要がありそうだったので、
「はい! わかった。もういいわ!」
私が振り向いて彼女の口を塞いだ。「でもさ、“顔の整っている人間の友人は、顔が整っていなければならない”っていう理屈が正しいのならば、あたしはあんたの友達をやめんとあかんなぁ」
「なんで!?」
一転して表情を曇らせるエリ。「うちは友達をやめたくないで!」
う~ん、突っ込んで欲しい点が微妙にずれている。嬉しいのは嬉しいのだけど。
「あたしもやめたくないで」
苦笑しつつ、私は再び歩き始めた。「で、今回の開催場所は前にも伝えた通り、戎橋近くの飲み屋やから」
「じゃあ、結構ここから遠いんやね」
芳しい香りを漂わせているワッフル屋を、そこに因縁の復讐相手でもいるのかと勘違いするくらいに睨みつけながら、エリはそう答えた。
「そうやから急いでるねん! なのに遅刻してきて!」
「だからそれは日本の交通網、および国土整備の不備が原因やって!」
「さっきと言い訳が違ってる上に、スケールが大きすぎるねん!」
そんな他愛もない会話をしているうちに、我々は難波駅の外へと出ていた。
日曜日の夜とはいえ、さすがに大阪で一、二を争う繁華街だけあって、かなり多くの人間が駅前を闊歩している。隣接している百貨店の前を通り過ぎながら、私達は人の荒波に巻き込まれないよう力強く前に進む。
交差点で信号待ちをしている時に、突然エリが軽くしゃがみ込んだ。
「う~、寒い~!」
今時漫画でもみかけないような仕草で寒さをアピールする彼女。美少女の滑稽な姿を見ながら、私はある不可解な点に気が付いた。
「あれ、あんた手袋はどうしたん?」
「手袋?」
首を傾げるエリは、よく見ると片手しか手袋を穿いていなかった。
「いや、片方だけしかないやん!」
私が彼女の右手を指差すと、
「ああ、もう片方はなくしたねん」
「なんじゃそりゃ。器用ななくし方をするなぁ……」
呆れて思わず白いため息をつく私に、エリは満面の笑みを浮かべながら、
「そう? そんなに珍しい事じゃないで! うちはウォークマンのイヤホンを片方だけなくした事もあるもん」
「いや、あんたの中では珍しくなくても、あんた自体が世間では珍しいねん! それに、イヤホンって普通両方とも繋がってるもんやろ!?」
「なんか、引きちぎってしまったみたい」
「その状況が全く想像できへんけど……それより、他の手袋はなかったんか?」
「何種類かはあるけど、これが一番のお気に入りやねん!」
「じゃあ、なくすなよ!」
「……失ってみてから初めて気付く愛もある」
「あ、そうですか」
それ以上の追求は無意味だと判断した。ていうか、今までの追及も無駄だったような気がする。「とにかくさ、みっともないからもう片方の手袋も脱ぎや! そんな女と難波を歩きたくないわ!」
「うん、わかった……」
“マイペースという言葉を作った女”と一部から噂されるくらいのエリも、私の忠告には割合素直に応じるのだ。そういう訳で、我々が一緒に行動する時は、自然と私が主導権を握る形になるのが、昔からの慣例だった。「えい!」
……だけど、そんな私でも彼女の異常な行動を制御する事はなかなか難しい。なので、エリがお気に入りの手袋を近くのゴミ箱に捨てるといった暴挙に出たこの時も、ただただ唖然としてしまうだけの体たらくであった。
「ちょ、ちょっと、なんで捨てるねん! 勿体ないやろ!」
慌ててゴミ箱を覗き込む私に、
「でもさ、片方がない以上、もうこの手袋は意味がないって事やろ?」
珍しくまともな事を口にする彼女。
「そりゃあそうかもしれんけど……」
続けて何か言おうと思ったが、適当な文句が見つからなかったので、先を急ぐ事とした。あんまり考え込むと、私まで少しおかしくなってしまいそうだ。
「合コン! 合コン!」
早くも少し疲れが見え始めた私をよそに、エリは一人でテンションを高めていた。
「はぁ、楽しそうやな。まぁ正直言って、あたしはあんまり乗り気じゃないんやけど」
「なんでなんでなんで?」
いかにも不思議そうに彼女が訊いてきた。「そう言いながら、結構気合いが入ったファッションしてるやん? へへへへへ」
同性でなければとても許されないくらい嫌らしい目つきで私の全身をじっくりと観察しながら、エリがそう返してきた。「それにしても、ほんまにハマちゃんは大学に入ってから変わったよなぁ」
「そうかなぁ?」
不覚にも、少し照れてしまった。
ちなみに、『ハマちゃん』というのは私の事である。濱本綾香(はまもとあやか)だから、ハマちゃん。実に安易なニックネームだ。
「うん。髪もだいぶ伸びたし、化粧も上手くなったし、なんか洗濯されたって感じやな!」
「“洗練”、ね」
そこまで私は汚れていない。
「元々顔立ちは整ってるんやから、もっとモテてもいいのになぁ……」
彼女からすれば褒めているつもりなのだろうが、暗に私がモテない事を揶揄されているようで少し複雑な心境になってしまった。
「こんなにごつい女は誰も相手しないんやろうな」
投げやり気味に返答すると、
「ごついってほどごつくはないやろ。まぁ、ずっとバレーをやってただけあって、結構がっしりはしてるけどさ。スタイルは良い方やと思うで? もっとモテてもいいのになぁ……」
なんだか嫌味に聞こえてきたぞ。
「それに口下手やしなぁ、あたしは」
「でも、性格も純粋でめっちゃ良い子やのに。もっとモテてもいいのになぁ……」
これは完全に嫌味だ。
「もうええねん!」
彼女の言葉を遮るように私が声を張り上げる。「それより、あんたはどうやねん?」
「どうやねんって……オリンピックが?」
「いつオリンピックの話をした!? まだ少し先やし、そもそもあんたは参加するつもりなんか!?」
「じゃあ、何がやねん?」
「良い人とかいないの? 今、気になっている人とか」
「それがいないから、今日こうやって来てるんやろ」
憂いを帯びた表情、なんて高尚なモノではなく、単に困ったような表情になるエリ。しかし、それは正直女である私の目にも、ひどく魅力的に映るのだった。
そんな彼女がここしばらく独り身なのは、ひとえにその異常な理想の高さが原因だろう。
「あんたは男に対して注文が多すぎるねん! 確かに見てくれは可愛いかもしれへんけどさ、妥協って言葉を知らなさ過ぎるわ」
「いや、知ってるで。“対立した事柄について、双方が譲り合って一致点を見いだし、おだやかに解決する事”やろ」
「そうじゃない! 妥協するって事を知らんって意味や!」
「だから知ってるで。“対立した事柄について……」
「ああもう!」
けしてエリがわざとボケているのではないという事をよく理解している私は、かえって余計に苛立ちを覚えてしまう。「……ならば聞こう。あんたの理想の男性とは?」
「ええっと、めっちゃハンサムで、背が高くて、優しくて、面白くて、そこそこお金を持っていて、うちを束縛しなくて、頭が良くて、ファッションセンスがあって、歌が上手くて、高学歴で、でも少し影があって……」
普段はとても甘ったるい喋り方のエリを早口にさせたいのなら、彼女の好みを尋ねてみればいい。――こんな何の役にも立たない裏ワザの効力を、改めて実感する私だった。
もっと言えば、突っ込むのも馬鹿らしいので、一人で夜空を見上げながら延々と語り続けるエリをほったらかしにして、目的地へと向かう私でもあった。
「ちょっと待ってやぁ! ひどいわ~!」
一分後に息を切らして追いかけてくる彼女。漫画みたいな女だ。「人に好みを言わせといて、ハマちゃんは教えてくれへんの!?」
「あ、そういう抗議なん!?」
放置された事に対しては特に怒っていないらしい。やはり予想がつかない女である。「別に、あたしは理想なんてないで」
「うちはわかるで。長い付き合いやから!」
エリがニタニタしながら顔を寄せてくる。
「な、なんやねん」
「そうやなぁ、ハマちゃんの理想は……例えば演劇部の部長とか!?」
「はぁ!?」
おおいに戸惑う私。「どういう意味や!?」
「そりゃあ、今日の合コンに乗り気じゃないやろうな。だって、ハマちゃんには憧れの桜井さんがいるんやもん!」
「桜井さんは関係ないやろ。だいたい、あの人はあんたに……」
「あ、木村君や!」
わざとなのか自然になのか、とにかくエリはこの微妙な会話を途中でぶった切るように前方に向かって大きく手を振った。「おおい! 木村君~!」
気が付けば、もう戎橋近くまで歩いて来ていたようだ。彼女の言うとおり、ちょっと先には木村が立っていた。
「ういっす」
ざっくばらんに片手をあげた後、彼は周囲を見渡した。「あれ、他の女の子は?」
「え? ……あ、ああ、ごめん」
目線を逸らしながら私が答える。「色々と声は掛けてみたんやけど、エリしか見つからなかったねん」
「ええ!? こっちは俺を合わせて六人もいるんやけどな……」
あんまり正統派な美男子ではないというか、個性的な顔というか、顔のデッサンが狂っているというか、目も当てられないような木村の顔が、明らかに曇った。
「う~ん、やばいよなぁ、二対六じゃあ……」
頭を掻きながら呟く私に、
「……ま、溝端さんがいれば大丈夫か」
軽い調子で手を叩く木村だった。
「うん! うちはちゃんと場を盛り上げるで!」
にこっと笑いながらガッツポーズを取る彼女。彼はそういう意味でエリに期待しているのじゃあないだろうが。
「それにしても、結構集まったんやなぁ」
なんとか話がまとまったので、少し安堵しながら私が声を掛けると、
「世の中にはまだまだ寂しい男がいっぱいいるって事ですわ」
木村は早足で歩き始めた。「だから、ハマちゃんもまだまだ諦めたら駄目でっせ」
「別に諦めてなんかない!」
「そうやで、ハマちゃん!」
楽しそうな声で会話に参加してきたのは、もちろんエリ。「来世もあるんやからさ!」
「スパンが長すぎや! あたしは現世では幸せになれんのか!」
笑えないジョークだった。
大阪の道頓堀に掛かる戎橋――この橋は、お祝い事があれば飛び込み台になるという変わった特性と共に、ホストやナンパ目的の男性が多く集まるという特徴を持っているので、『ひっかけ橋』とも呼ばれている。木村からは、今日の合コンの開催地について“「戎橋」の近くにある飲み屋”だとしか聞かされていなかったが、なるほど、それ以上の説明が不要、というより困難なほど、その店は戎橋のごく近くに存在していた。
「あ~あ、俺は何の楽しみもなくなったなぁ」
『幻夜』と書かれた看板を見て、「げんよる? まぼろしナイト?」と、おおよそ可能性の低そうな読み方から連呼するエリを尻目に、木村はわざとらしく肩を落とした。「ハマちゃんも溝端さんも昔からの知り合いやから、口説く訳にはいかんしな」
「その前にあんたには彼女がいるやろ!」
そう突っ込んだ後、私は率先するように店へと足を踏み入れた。
店内は、予想に反してなかなか広かった。百人くらいは入れるのかもしれない。洋風の内装に、少し暗めの照明、そして流れるジャズなど、いわゆる大人の雰囲気を醸し出している。日曜日の夜にしては賑やかだったので、ひょっとすると隠れた有名店なのかもしれない。
そんな中、私とエリは木村によって一番奥の席へと案内された。
灰色で長方形のテーブルを前に、五人の男性が並んで座っている。
「お姫様達を連れてきたぞぉ!」
親父くさい表現と大袈裟な手振りで、木村が彼らに私達の到着を報告した。
いつもならば、一番緊張してしまう瞬間のはずだった。私みたいな女に一目惚れするといった酔狂な男なんていないと、そして理想はあくまで理想なんだと頭ではわかっていても、やはりそこは仮にも女の子である。いくらがさつで荒々しく男っぽい私でも、『ひょっとすると、私に相応しい素敵な男性との出逢いがあるかもしれない』なんて馬鹿な妄想を、ちょっとだけとはいえ繰り広げられる瞬間であった、はずだ。
だけど。
今回だけはそんな心境になれなかった。そこには、ただ呆然と五人の男を観察する私がいた。
「どうも、二人しか集まらなかったみたいやねん」
約束の時間よりもだいぶ前から集まっていたらしく、既に軽く出来上がっている状態の五人は、木村の言葉を聞いてあからさまに落胆の表情を見せた。
しかし、エリが私の背後から顔を出すと、その表情は一気に明るいものとなるのであった。男って、なんと分かりやすい生き物なんだろう。
彼らの印象は、多種多様といった感じだった。遊び人風な男もいれば、真面目そうな男もいたし、それなりに顔が整っている男もいれば、整っていない男もいた。
もっとも、男なんて(あるいは人間なんて、と言い換えてもいい)その容姿からはなかなか中身を窺い知る事ができないというのが、私の数少ない、本当に数少ない恋愛経験から得た貴重な教訓でもあるので、この段階で何かを判断するという事はなかった。ついでに言えば、判断するつもりもなかった。
だが、すぐ隣にはその教訓を得ていないのか、もしくは全く生かされていない女の子がいた訳で、彼女は席に着くなり露骨なほど不機嫌そうな顔つきになって、ついでにすぐさまチューハイを注文したのであった。テレパシーに頼るまでもなく(誤解されては困るが、私にそんな能力はない)エリの最低基準を超える男性がいなかったという事がわかる。その証拠に、もし彼女のお気に入りの男性がその場に一人でも存在したのならば間違いなく披露しないであろう悪癖、すなわち喫煙を、迷う素振りも見せずに初めてしまった。エリの見た目と行動のギャップに、男達も一瞬困惑したような顔つきになる。
だけど、それも長くは続かなかった。彼らはまた笑顔でエリを見つめるのだった。つくづく、美少女って得だと思う。
私とエリに酒が行き渡って、自己紹介も始まらないうちに、対面に座っていた一人の軽薄そうな男が口を開いた。
「あのさ、ちょっと聞きたいんやけど」
うっとうしさしかアピールしていないような長髪をかきあげながら、彼はこう言った。「二人は姉妹なん?」
――またである。
本当に、また、だった。
これは、我々二人が揃って初対面の人間に出会うと、必ずといっていいほど浴びせかけられる質問であった。
もちろん私とて、周囲から絶世の美少女と称されるエリと自分の顔立ちが似ているなんて自惚れてはいない。しかし、五歳の時からずっと、そう、ほとんど毎日のように行動を共にしているせいなのか、どうやら私とエリからは同じオーラのようなものが放たれているらしいのだ。……友達というには、似すぎているオーラが。
よって、こうやってまるで挨拶代わりに『二人は姉妹なのか?』と尋ねられる訳なのだが、明らかにこの場合、姉、つまり年長者だと思われているのが、見た目も少し幼さを残し、なおかつ声も可愛らしいエリではなく、ごつい体型で気の強そうな顔をしている私だと相場が決まっているのだから始末に終えなかった。というより、とても不愉快だった。なんにしても、女性として同年齢の人間よりはっきりと歳上に見られるのは気分の良い事じゃない。だいたいそれ以前に、私は(エリも、だろうが)この台詞をとっくに聞き飽きていた。相手からすれば初めてなのかもしれないが、私達からすればもう食傷しまくっているフレーズなのである。
なので、こういった時は毎回お決まりのように、
「違いますけど!」
と、私が憮然とした表情で答えるのであった。「あたしとエリは同い年です!」
「え?」
そのあまりに剣呑な反応に、「あ、ああ、そうなんや」
少し気圧されたように答える相手であった。
――ああ、これで間違いなく私の第一印象は最悪となっただろう。
されど、それは悲しむべき事ではなかった。悲しい事に、全く悲しむべき事ではなかった。……何故ならば、どうせその後の印象も悪いに決まっているからだ。『男を知らないウブな女性』といえば聞こえはいいが、要はスポーツしか知らずに育ってきた私にとって、可愛い女を演じるという概念すらよく理解できないのである。エリが『時間厳守』という概念をよく理解していないのと同じように。
一方、演技をするまでもなく可愛い女である彼女も、テンションはかなり下がっているご様子だった。根はとても良いヤツなのだが、いかんせんまだ精神年齢が子供なものだから、こういった場での社交辞令みたいな行動が全くできないのである。けれども、そんなツンツンした態度がまた男の心をくすぐったりするのだから、全く世の中って本当に上手くできていない。
はたして、この宴席は自然と、まるでエリに対する記者会見のような様相を呈するのであった。
「エリちゃんってさ、趣味は何なん?」
「趣味? 寝る事と食べる事」
「エリちゃんの得意な科目って何?」
「家庭科。御飯が食べれるから」
「エリちゃんの特技って何?」
「すぐ寝れるところ」
全く話題を振られない私が退屈そうに酒をちびちび飲んでいる横で、エリはなげやりな解答を次々と連発していた。仮に質問を投げかけている男達が彼女の喜びそうな美形揃いならば、それぞれ『趣味はピアノです』『得意な科目は家庭科。料理が作れたり編み物ができたりするから!』『特技は詩を書く事です!』といった感じの乙女チックなものに変化するところだろうに。
これらの証言を全て鵜呑みにするならば(全て事実とはいえ)、エリはとんでもない駄目人間という事になるが、それでも彼らは嬉しそうに頷くだけであった。全く世の中って混迷したラビリンスである。
それでも、エリと、ついでに私が嫌悪感丸出しの表情を延々と保っているうちに、さすがに男達の熱狂も徐々に冷めていき、開始一時間後にはしらけたムードだけが場を支配するようになっていた。
そんな逆境の中で、木村は必死に場を盛り上げようと奮闘していた。すべり知らずとも言える、高校時代のエリのエピソードを披露するといった、ある意味かなり卑怯な手段を用いてまでして。
安さにつられて、つい三日前に購入していた事を忘れて二台目の携帯電話を契約してしまった事。
運動会で、百メートル走を千メートル走だと勘違いして、全力疾走で走る周囲をよそに一人悠然とスタートしてしまった事。
友人の母親を友人本人だと思い込んで、三十分も話しこんでしまった事。
これらは全て、私が木村に教えた実話である。冷静に考えてみると、こんな女の子を恋人にしたらひどく疲れきってしまうのがオチだろうが、そこを力技で「エリちゃんって天然で可愛いなぁ!」だなんて言わせるようにできるのだから、本当に世の中って人間という名の魔物が蔓延る伏魔殿である。私だったら、そのまま病院にでも連れて行かれかねない。
そう、天は人の上に人を作っているのだ。こういう時、私はいつも一万円札を破りたくなる。勿体ないから絶対そんな事はしないけど。
だが、木村の健闘も虚しく、この合コンも夜八時半に、盛り上がりを大きく欠いたまま終了する事とあいなった。なんせ、片方が全く会話をしようという意志がないのだから、当然の成り行きである。
「……あ、今日はごちそうさまでしたぁ!」
会計は当然男側だという強いメッセージ性を含んだ、エリの無邪気な声がレジ前で響く。こういうところだけは、しっかりしている。
「あのさあのさ、この後カラオケでも行かへん?」
さっきの軽薄そうな男がそう語りかけてきた。二次会で挽回しようという腹積もりらしい。確かに、エリはなんとしてでも落としたい女だろう。
「ごめんなさい、あたしには門限があるねん!」
唐突に声を発した私を、エリは驚いたような表情で見つめた。当然、一人暮らしである私に『門限』など存在しないという事実を踏まえてのリアクションだろう。
でも、私にはこの居心地の悪すぎる交流の場をこれ以上続ける必要性が、どうしても見出せなかったのだ。
「あ、そう。……なぁなぁ、エリちゃんはどうなん?」
私の事なんてどうでもいいといった風に、彼はすぐさまエリへと視線を移した。
「え? ……あ、ああ、うちも門限があるねん。ごめんな」
私が帰ると言った以上、エリがこの場に残るはずもなかった。「じゃあ、またね」
それでもしつこくメアドを聞こうとする男と、恨みがましい木村の目線を振り切るように、我々は早足で『幻夜』を後にした。
「……どうやった?」
外の肌寒い空気に再び晒される事となった私が、聞くまでもないとはいえ、一応儀礼的にエリに合コンの感想を求めると、
「うちの今の気分を例えると、“本能寺の変”の時の武田信玄やな」
「とっくに死んでるわ! それを言うなら織田信長やろ!」
「つまり、全然駄目って事」
苦々しそうに彼女は首を横に振った。こういった仕草ですら愛らしいのだから、一万円札とは言わなくても千円札は破りたくなってしまう。……夏目漱石に恨みはないけど。
「そうか。まぁ、あんたの顔を見てたらだいたいわかったけどな」
「で、ハマちゃんはどうなん?」
「そうやなぁ、あたしの今の気持ちを例えると、“関ヶ原の戦い”における石田三成って感じやわ」
「とっくに死んでるわ!」
「いや、生きてたやろ!? 家康は不戦勝やったんか!?」
「……要するに二人とも得るものはなかったって事やな」
そこまで理解できたのならば、エリにしては上出来である。「だけど意外やな。ハマちゃんも全然駄目やったなんて」
「どういう事?」
「ほら、右から二番目に座っていた……加藤君やったっけ? あの子なんて、ハマちゃんのモロ好みっぽい雰囲気やったけどなぁ」
その言葉に、私はふと記憶を蘇らせてみる。
……言われてみれば、確かにその加藤という男は私のタイプだったかもしれない。いや、タイプとまではいかなくても、いかにも私が好きになりそうな雰囲気はあった。幼馴染はやはり目ざとい。
「そうかなぁ?」
とぼけてみせる私。
「絶対にそうやって! うちが言うんやから間違いないわ」
「そこまで言うほどでもなかったんじゃない? 第一、仮にそうだとしても、あたしはあんな場じゃあ上手く喋れんし」
「ハマちゃんはな」
エリが低いトーンで言った。「何にしても慎重すぎるわ。だからいつも失敗するねん!」
「……そうかもな」
珍しく彼女の忠告が心に染みる。
そんな私の様子を察したのか、
「まぁ、ハマちゃんには憧れの桜井さんがいるもんなぁ!」
エリは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「またそれか!」
私が顔をしかめる。「さっきから何やねん!?」
「あ、そうそう!」
その抗議を制止するように、大声をあげる彼女。「ハマちゃん、今から暇?」
「……え?」
「あ、門限があるんやったっけ?」
嫌味っぽい口調でエリが訊いてくる。
「ああ、あるな。……明日の午前八時や」
つまり、私が大学に行く為に起床しなければならない時間。
「じゃあ、まだ時間はあるなぁ」
「気分直しに、今から二人でカラオケでも行こうって事ですかね?」
我ながら妥当な推理だと思われたが、
「違うで!」
ニタァと笑った後、彼女は言った。「今から桜井さんの所に行こうって事です!」
……正直、エリのこの提案には心底驚かされた。
「な、なんでやねん?」
予想外の展開に、私は思わず声が裏返ってしまう。「どこからそんな流れになったねん?」
「いいやん。ちょっと顔を覗きに行こうよ!」
彼女の意図が全く読み取れない私は、しばらく言葉を失った。
だが、やがて大きく頷いた後、
「……そうやな。それも悪くないな」
「悪くない?」
てっきり、もっと反発されるとでも思っていたのだろう。エリは拍子抜けしたような顔で聞き返してきた。「どういう意味?」
「実を言うとな、あたしも桜井さんには用があったんや」
「用? もしかして告白でもするんかな?」
「違うわ! ただ、あんたに手を出そうとした事に対して注意をする為にや!」
私がきつく睨みつけても、エリは一向に動じる様子もなく、
「だから、それは誤解やと思うけどなぁ」
「部員の前で注意するのもかわいそうやから、行くなら今日みたいな休日がいいやろ」
先ほどから我々の会話に出てくるこの桜井という男――桜井俊祐(さくらいしゅんすけ)は、私達の通う大学の演劇部を事実上仕切っている人物である。そして、薄々お気付きかもしれないが、私とエリはその演劇部の部員でもあった。
「そんな、注意なんて別にいいで。こういうのは慣れてるし」
さりげなく自慢を織り交ぜるエリ。「そもそも、今回の件は本当にそういうやつじゃないって!」
「いやいや、あんたが鈍感なだけや!」
「ハマちゃんこそ考えすぎやって! それにさ、注意なら電話ですればいいのに」
「直接言ってやらんと私の気がすまん! なんなら、殴ってやろうかってすら思ってるんやから!」
「おうおう、嫉妬が燃え上がるなぁ!」
茶化すようなエリの頭を強くはたいた後、
「だいたい、あの部室は異常なほど電波状況が悪いから、電話が全く繋がらへんやろ。やっぱり、会いに行った方が早いってもんやわ」
「怖い怖い! ……まぁ、なんやかんや言っても、つまりハマちゃんは桜井さんに会いたいって事やね!」
おどけるように肩をすくめる彼女に対して、
「……別に、もう会いたくはないけどさ」
これは本心だった。偽らざる、私の本当の気持ち。
でも、その言葉を額面通りに受け取るほど素直なエリであるはずもなく、
「じゃあ、早く行こう行こう!」
はしゃぎながら、私の腕を引っ張る始末であった。
結局、この時点では彼女が桜井にそこまで会いたがる理由が全くわからなかった。……それでも、私はまさしくエリに連れられるがまま、電車へと乗り込むのであった。
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