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自分に嘘をつくことなく心に正直に生きていると、社会の不条理に憤りを感じることはままあるものだ。"法の下の平等"とはいうけれど、そもそも必要とする権利は人によって違うもの。誰もが生きやすい社会をつくることはそうそう簡単なことではない。とはいえ、まずは誰かが声を上げ、国民の意識に働きかけることが大切である。

身を持ってそう感じた数々の体験がきっかけとなり、政治の世界へと足を踏み入れたのは、豊島区議会議員の石川大我さん。「仲間たちが暮らしやすい社会を作りたい」。その想いを胸にこれまで歩んできた道、そしてこれから目指す先について伺った。

世の中で"常識"とされていることにも、おかしなことがたくさんある

――石川さんが最初に政治に興味を持ったのは何歳ごろですか?

中学生のころにはすでに政治経済全般に興味があって、新聞も熱心に読んでいたし、社会の流れにも高い関心がありました。中学3年生の夏休みには、日本国憲法の前文を暗記するという課題が出て、初めて憲法というものの中身を知ることになるわけなんですけど。そのとき、自分が求めてることと憲法によって定められてることとの間に大きな隔たりがあることを感じました。

――具体的にはどのような差異があると思われたのでしょう?

僕は当時から男性のことが好きだったので、世の中の大半の人にとって常識とされることに違和感を覚えることが多かったんですが、憲法を学んでいく中でその想いが確固たるものになったんです。つまり、日本では同性を好きだと公言することが難しくて、仮にその気持ちを素直に表現したらいじめや差別にあう可能性が高いことに気付いたんです。なぜなら、憲法は男性が男性を好きになることがあることを想定して作られていないからです。

――ご自身の性的指向に気付いたのはいつですか?

小学校5年生くらいですね。当時、一つ上の先輩のことがなんとなく気になっていて、僕はその感情を"幸せ感"って呼んでるんですけど、なんとなく気が付いたらその人といることに幸せを感じている自分がいたんです。とはいえ、そのころはそういった感情を持つ自分がゲイだとか同性愛者だとかいう認識はありませんでした。はっきりと同性愛なんだという認識を持ったのは中学生になってから。自分は同性に対して、他の人とは違う感情を抱いてると気付いたんです。でも、当時は今より同性愛に対して否定的なイメージが強かったこともあり、自分の気持ちを誰にも晒すことはできませんでした。

――どうして「世間が否定的なイメージを持っている」と感じたのでしょう?

例えば、当時、お笑い芸人が演じるホモのキャラクターが一世風靡したことがありましたけど、漫才やコントでも、男が男を好きだということは"オチ"でしかなかったんです。これは、僕がカミングアウトして、その他大勢の性的マイノリティと交流を持つようになってから分かったことなんですけど、LGBTの当事者たちのほとんどが、例えばこういった番組がきっかけで自分の性的指向を知ると同時に、「この気持ちは絶対人には言ってはいけないものなんだ!」ってことに気付くんです。

――気付いたときからカミングアウトされるまでは誰にも相談することはなかったんでしょうか。

なかったですね。インターネットを通じて、自分と同じ同性愛者と初めて出会ったのが25歳のころなんですけど、それまでは、今考えると笑っちゃうんですけど、ゲイっていえばおすぎとピーコさんみたいなおねえタレントしか知らなかったので、自分が恋愛するなら、相手は年上のおねえ言葉の人以外にいないんだとずっと思ってたんですよ(笑)。でも実際に自分が好きになるのは同じクラスのかっこいい男の子だったりするので、どうしたものかというもんもんとした思いに駆られていましたね。

――思いを口にできないことで不便を感じたこともあるのでは?

そうですね。一つ例を挙げると、中学で憲法に触れて以降ますます法律への関心が高まって、大学では法学部に進んだんですけど、ゼミで自由テーマで研究発表していいと言われたにも関わらず、一番興味があったLGBTの人権について研究することができなかったんです。なぜかというと、「なんで石川君はそのテーマを選んだの?」って尋ねられたとき、「当事者だからです」って答える勇気がなかったから。

しかも、25歳のころ、ようやくインターネットで検索して同じ当事者たちと知り合うことになるわけですけど、それまでは同性を好きな自分に対して否定的な気持ちも持っていたんで、Yahoo! 検索窓に「ゲイ」だとか「同性愛」だとかの単語を打ちこむことにすら嫌悪感を覚えていたくらいなので、最初に検索先に辿り着くまでにはすごく時間がかかりましたね。

政治というツールをうまく活用して、誰もが楽しく暮らせる社会を作りたい

――でも、想いを共有できる人に出会ってからは、いろんな物事が大きく動き始めたでしょうね。

そうなんです。自分と同じような人がたくさんいて、彼らが自分と同じような体験を重ね、世の中に対して不条理さを感じていることを知ったことで、やっぱり自分が中学生のときから感じていたことは間違いじゃなかった! 自分の手でこの社会を変えていきたい! LGBTの仲間たちをはじめとするみんなが暮らしやすい世の中を作りたい! という想いが大きく膨れ上がりました。

そして、その実現のためには4つのことが必要だと考えたんです。1つは、当事者同士がつながれる場を提供すること。僕の場合も、LGBT当事者と出会うまでは、社会を変えるどころかカミングアウトすらできずにいましたが、仲間と出会ったことによって、講演会をはじめとするさまざまな活動ができるようになりましたから。

2つめは、当事者以外の人に、LGBTに関しての正しい知識を得てもらうための施策を考えること。3つめは、僕自身をはじめとするLGBT当事者が、TVなり雑誌なりに出て情報を発信していくこと。そして4つめとして考えたのが、政治を駆使することだったんです。

僕は、政治というのは自分たちの生活をよくするツールだととらえているんですが、そのツールを上手に使うことで、LGBTの人、障害のある人、外国から日本に移り住んでいる人といった、今まであまり政治に相手にされなかったマイノリティの声を政治に届けて、すべての人の生活をよりよくしたいとの想いから、政治家になることに決めました。僕は、マイノリティにやさしい社会って、すべての人にやさしい社会だと思うんです。例えば自分がマジョリティ側にいると思っている人でも、妊娠や子育てをきっかけに一時的にマイノリティになることだってあるわけですから。

議員の中にLGBT当事者がいることで、一緒に働く仲間の意識にも変化が!

――豊島区議会議員として二期目を迎えられましたが、議員仲間や豊島区役所で働く方々と、その想いを共有できていますか?

僕は2011年から豊島区議会議員として活動させていただいているんですけど、初当選から二回目の活動をスタートさせるまでの間にも、周りの人たちの意識が変わっていっていることを実感しています。例えば、最近、区内に新しいスポーツ施設が設営された際、「性同一性障害のために更衣室を使いづらい人への対応は?」と質問したところ、「だれでも更衣室」を設置しているとの答えが返ってきたことがありました。役所の人たちが、「石川はこういう質問をするだろう」という予想のもと、先回りして、施設スタッフにLGBTに対する研修の養成をおこなってくれていたんです。こういうふうに、小さなことからでも変えていくことで、社会は少しずつよくなっていくはず。議員の中に一人の当事者がいることで、全職員がLGBTのことを考えて政策や施設の運営などを考えるようになったことは非常にうれしいですね。

――ここ数年、LGBT差別やいじめが原因で未成年者が命を落としたというニュースを多く見掛けます。そうした事態を防ぐために、教育面でのサポートも充実させてほしいです。

大半の当事者は、子どものころに自分が性的マイノリティであることに気付くものなので、教育の中で正確な情報を伝えていくことはとても大切です。つい最近、宝塚大学看護学部の准教授が、ゲイ・バイセクシャル男性の自殺念慮率(=自殺を考えたことがある確率)は、そうでない男性の約6倍にものぼるという調査結果を報告していますが、実際のところ、本当のことを誰にも言えずに悩んでいる子どもは大勢います。

そうした子どもたちをサポートしたいとの想いから、2002年、仲間たちと一緒に、当事者のための友だちづくりのイベント「ピアフレンズ」をはじめました。イベントには毎回40人くらいの参加者が集まりますが、彼らの話を聞いていても、やっぱりみんな同じような悩みを抱えているんだなということがよく分かります。

僕自身、カミングアウトするまでに20年以上の歳月を要したわけですが、カミングアウト後に、同じ中学に通っていた同級生や下級生から「実は僕もなんです」なんて連絡をもらい、実は中学時代から当事者が身近にいたことを知りました。

―ーどうやって周囲にカミングアウトしたんですか?

2000年頃から、ペンネームでLGBTに関する講演活動をおこなってはいたんですが、実名でのカミングアウトとなると本の出版になります。2002年に講談社から『僕の彼氏はどこにいる?』という本を出版しているんですが、この本にはそれまでの僕の人生を綴っているんです。

なぜ本を出版するに至ったかというと、1998年に乙武洋匡さんが上梓された『五体不満足』という本に出合って以来、「この本のゲイ版があれば分かりやすいのにな...」とずっと思っていたんですが、あるときふと「そうか! 自分が書けばいいのか!」って気付いたんです。

「ゲイ」って聞くと、「普通じゃない」というイメージを抱いてしまう当事者以外の人ってすごく多いと思うんです。でも、「ピアフレンズ」参加者たちの話を聞いていてもいつも感じることですが、みんな、LGBT以外の人となんら変わらないんです。そのことを多くの人に知ってもらうためにも、乙武さんの本のように当事者のヒストリーが詰まった本を作りたいと考えました。

成功するまで挑み続けられるのは、支えてくれる仲間たちがいるから

――出版はスムーズにいきましたか?

全然(笑)。実は、思い立ったが吉日でとりあえず書いてみた後で、当時、親しくさせていただいていた田嶋陽子さんに、彼女が直近に本を出した出版社である講談社を紹介してもらい、原稿を送ったんですが、それから待てど暮らせど返事がなくて。1年もの間「まだですか?」と問い合わせを入れ続け、最終的に電話に出た人がボツの一言。とてもガッカリしたんですけど、同時に「どうにかできないか?」とあれこれ考えだした自分がいたんです。こっちは1年も待たされてるのに、そんなあっさり断られて「そうですか、分かりました」って引き下がるわけにはいかないですよね。それで、「一度お会いして話せませんか」ってしがみついたところ応じてくれて。そこからはとんとん拍子に話が進んだんですけど、"あの手がダメならこの手、この手がダメならあの手"となんとかしてやってやろうという精神で挑んだことが功を奏したのかもしれませんね。

――普段から何事に対しても諦めない姿勢で挑むほうですか?

やりたいと思ったことはやってみないと、迷ってるうちに人生終わっちゃいますからね。僕はよく周りの人に「石川君は精力的にいろんなことやって成功しててすごいね」って言っていただけるんですけど、実は3回やって3回成功してるわけじゃなくて、1回成功するために10回失敗してるんですよ。失敗に失敗を重ねて、また戻ってきてチャレンジしてそれでもダメだったりするんだけど、失敗したときに泣きつけるLGBTの仲間、支えてくれる仲間がいるからこそチャレンジできてるんです。本当にありがたいことだなとよく思います。

25歳で同じような経験を重ねてきた多くの人と出会ってからは、さらにその想いが強くなりました。実は、2年前から仲間たちと一緒に飲食店も運営していて、毎週築地に通って食材の仕入れまでしてるんです。家族みたいに強い絆で結ばれた仲間たちといろんなことにチャレンジできるのって、本当に幸せだと実感しています。ここ2年ですごく知識が増えましたよ。例えば天然のまぐろと養殖のまぐろの違いとか、産地とか(笑)。それと、最近では月に2回、篆刻(てんこく/印章の作成)も習っているんです。墨で文字を書いたりデザインしたりするのが好きなので、お店の看板も自分で書いてますし、篆刻もずっと作ってみたかったんですよね。

――好奇心旺盛というか、体力的にもかなりお若いですよね...!

年齢の話でいうと、僕は初めて自分らしい恋愛したのが25歳なんです。いろんなことを人よりかなり遅れて経験してるんです。男女間における恋愛経験の平均年齢って15歳くらいだから、そう考えると25歳だとプラス10年なので、今40歳だけど、気持ち的には30歳くらいでいるんです(笑)。

ちなみに、25歳までの僕にとっての恋愛は「ラップのかかったカレーライス」だったんです。「恋愛っていうものはどういうものかなんとなく分かってるけど、でも正確には分からない。カレーライスっていうおいしい食べ物があるらしくてなんとなくニオイはするけど、ラップがかかってるから食べられない。周りにはおいしいって言ってる人もいる。毎日食べると飽きるよと言ってる人もいれば、カレーライスなんて大きらいだと言ってる人もいる」みたいなね(笑)。だから、25年間ずっと「カレーライス食べてみたい」と思っていて初めて食べたときには、ちょっと言い方が古いけど、白黒の世界がカラ―になったみたいな気持ちでした。大人になってから初めて知った分、恋愛ってすごくいいものなんだなって。

そのころから比べると今はだいぶ大人になったけど、でも、20歳から40歳って本当にあっという間ですよね。よくうちの母親が「心は女子高生よ♪」なんて言ってて、昔は「何バカなこと言ってんの、このおばさん」って思ってたんですけど、年を取ってみるとあながちその感覚は分からなくもないんですよね。きっとこれから先60までの20年はさらに早く過ぎていくと思うので、やり残すことのないよう、一度きりの人生を存分に楽しんでいきたいですね。

【石川大我Profile】

豊島区議会議員。1974年、東京都豊島区生まれ。明治学院大学法学部法律学科卒業。若者支援のためのNPO法人代表理事、衣料ショップ経営、参議院議員福島みずほ秘書などを経て、2011年初当選。日本において初めて公職に選出されたオープンゲイの議員として知られる。英字紙Japan Times社説に「社会的弱者の声を国政/地方自治に反映させる政治家」と紹介される。著書に『ボクの彼氏はどこにいる?』(講談社)他。

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