伽藍とバザール

コメント仕様変更とは何ぞや? ―より良い未来の為にコメ職人が出来ること―

2016/10/23 07:32 投稿

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「われわれの文明では、短期的な利益が得られる方向へ物事が進み、そしてその進路が堅固にプログラムされてしまった。これが長期的に見て破局に向かう道であったことが、いまやっと見えてきている」



グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』




突然だがここで問題だ。
さぁ、みんなで、考えよう!



問題


あなたはとある豪華客船に乗りました。
「絶対に沈まない船(フラグ)」と呼ばれたその船は見事沈没。
しかも救命ボートは人数分は用意されておらず、全員を助ける事は出来ない。
あなたはなんとかボートに乗り込む事ができました。
人命最優先なので、当然乗り込む時に荷物は全部捨てられる。
今回の旅の思い出がギッシリ詰まったカメラやお土産は全部海の底へ。
大勢が乗り遅れたが、その人達が溺れないよう必死で救命ボートに掴みかかってくる。
あなたはその人達を助ける為に救命ボートに乗せようとした所、
ボートが傾いて沈没しそうになった。
これ以上人を載せる事は、ボートに乗っている人達の命まで危険に晒す事になる。
さあ、ここで問題だ。
あなたは、自分の命と既に乗っている人達の命を危険に晒してでも、
溺れている人達を一人でも多く救うべきか否か?



これは何か正解がある問題ではない。
そもそも正解が用意された問題なんてのは学校教育で終わりで、
現実には正解なんて無いのに、それでもなお答える事を要求される問題ばかりだ。
あなたがどんな解答をしたのか気になりますが、次に進みます。



続いて、ちょっとここに別のシチュエーションを加えてみましょう。
あなたが溺れている人を掴んで引っ張り上げようとした所、
後ろの方から「そいつらを突き落とせ!」と怒号が挙がった。
さて、あなたはこの命令に従うべきか否か?



自らの手で突き落としたら、良心の呵責を背負いながら生きていく事になるだろう。
まあこの場合、救うか見捨てるか以外にもまだ選択肢はある。
それは自分が海に飛び込む事だ。
そうすれば一人分のスペースが空くから、良心の呵責を背負う事無く一人を救える。
それすら嫌なのであれば、もう一つの選択肢だってある。
「そいつらを突き落とせ!」と命令した人間を海に放り投げる事だ。
ボートの人命を救うためなら溺れている人間を見捨ててもいい、
という考えの持ち主なのだから、もしボートに近寄ってきたら遠慮なく蹴飛ばせばいい。
これで、あなたは良心の呵責を背負う事無く一人分の命を救う事ができる。



この問題は、生物学者ギャレット・ハーディンが提唱した、
「救命ボートの倫理」をちょいと改変したものです。
人によって様々なアレンジがある倫理学定番の問題ですね。
あなたがどんな解答をしたにせよ、
とにかく答えるのが難しいという事だけ実感して頂ければオーケー。




さてさてさて。




一体この問題はなんだったのかというと、
これは歴代のコメ職人が考え続けてきた問題です。
これこそが、今までのコメント仕様変更の歴史なのだ。



仕様変更とはなんぞや? というのを一言で説明すると、
今まで乗っていた船が沈没する事を意味します。
そして、新プレイヤーや新仕様という救命ボートに乗り換える。
有無を言わさず強制的に。
慈悲もなく容赦もなく躊躇いもなく選択の余地すらなく乗り換えねばならんのだ。



この乗り換える過程で、沢山の積荷が失われてきました。
コメ職人としての、旅の思い出がギッシリ詰まったマイメモリーは沢山捨ててきた。
一応手元に残してはいるが、マイメモがあってもそれを再生するプレイヤーや環境が無い。
もはや見る事が出来ないのと同義である。
折角身に着けた技術や知識も、救命ボートに乗り換える過程で沢山捨ててきた。
新仕様で全く意味の無い技術や知識は、単なる重荷でしかないのだ。



救命ボートに乗ることが出来なかった沢山の人命も失われてきました。
新プレイヤーや新仕様がどれ程のコメ職人を引退に追い込んできたのやら。
他にやりたい事が出来た、もっともっと面白い事をみつけた、
という理由で引退するならいいのですが、
本心は続けたくて続けたくて仕方が無いのに、
新仕様のせいで強制的に引退に追い込まれたコメ職人を見ると、
言葉にはならない切なさと悲しさが込み上げてくる。



古参と呼ばれながら、今なお最前線で活躍し続けているコメ職人は、どれだけ船が沈没しても救命ボートに乗り続けてきた変態創作意欲と研究意欲に満ちた偉人であり、蹴飛ばされて海に落とされてもなおボートに喰らい付くドM困難に立ち向かう克己心の持ち主である。
あんた救命ボートどころか救命胴衣すらなくても死なねーよと思える生命力。
しかしそんな生命力を持ったキチガイタフガイはほんの一握りだ。
普通の人はまずどこかで振り落とされる。



コメ職人は誰しも新プレイヤーや新仕様に、
「○○が実装されればなぁ」
「あれが修正されたらなぁ」
と淡い期待を抱くものであるが、
これを別の観点から見てみると、
今現在の環境に不満が無い人の船を沈没させる事を意味する。
その沈没した人は、救命ボートに乗り込めないかもしれない。
その人達を蹴落としてまで自分が救命ボートに乗り込むべきなのか否か。



俺個人が、新仕様についていけなかった時の話をしてみよう。
すんげぇ昔に、俺の創作意欲を90パーセント以上削減する仕様変更があった。
個人的なコメント史上最悪の仕様変更は何かというと、
「投コメ編集のコメント欄でエンターキーを押すと『勝手に』次の行に移ってしまう事」だ。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・こんな説明で果たして何人の読者に伝わったのか怪しい。



順を追って説明しよう。
コメ職人には「スナイパー」と呼ばれる程狙い通りの所にコメを置ける凄腕がいるが、
俺は全然そっち系の技術がないので、ひたすら投下と修正を繰り返す。
「もうちょっと右側にずらすか」とか「足場をリサイズで少しずつ小さくしよう」みたいに。
投コメにはそのニーズに見事応えてくれる編集機能がついている。
右側のコメント欄(エディタ表示じゃない方)で直接コメを弄って試行錯誤できるのだ。
弄ったコメを黄枠付きで反映させるにはエンターキーを押すのだが、
いつの間にか押すと勝手に次の行に移動してしまうようになってしまった。
これがひたすらにメンドクサイ。
たった一発の修正で理想通りの歌詞になんてなりやしない。
何回も何回も試行錯誤を繰り返せねばならん。
たった一コメントを修正するのに1時間2時間かける事もあるんだ。
そのたびごとにマウスで目的のコメをクリックせねばならんのだから、
こんな思いするんだったら、作りたくねーよと思える程の改悪だ。



コメントを位置調整等で修正する時は「メンドクセーなぁ」と、
口では文句を言いつつも顔はニヤニヤしながらやっているからいいんですよ。
このめんどくささは願わくば何時間でも。
しかし、いちいち行が移ったのをマウスでクリックしなおす作業は、
死にそうな顔しながら「めんどくせぇ・・・・・・」と呟いている。
一応やり方を工夫すればある程度まで快適に出来るのですが、
どれもこれもいまだ自身の作業スタイルに馴染まない。
俺自身の適応能力の低さが問題だと言えばその通りではあるが。



コメント欄でエンター押しても次の行に移らない昔の仕様の時は、
毎日の様に投コメ弄っていたどころか毎日弄っていた。
自作の投コメ動画に「ここの歌詞誤字ってるよ」なんてコメがされてたら、
そのコメから数時間以内には修正されている仕事の早さだ。
今のめんどくささが勝る状況ではとても考えられない。



もし俺が新しいコメ仕様の要望を出すとしたら、
「投コメのエンター押しても次の行に移らない仕様にしてくれ」であるが、
それが実装されたら困る人達の方が圧倒的多数だと思う。
今現在も活躍している職人達は今の環境に馴染んでいる訳だから。
俺が救命ボートに乗り込む事は、
それら多数の人達を蹴飛ばして海に突き飛ばす行為に等しい。
まあこれは、別のコマンド用意して二世帯住宅方式にしてくれればいい問題だけど。
例えば「Enter」を押すと従来通り次の行に移り、
「Shift + Enter」を押すと移動せずその場に留まるとか。



しかし二世帯住宅方式では解決できず、
どちらかを蹴落とさなければいけない問題も多々ある事であろう。
改革派と保守派が争ったら、どちらか一方が救命ボートから落ちる。
「過去の作品全部ぶっ壊れてもいいから安定したプレイヤーをくれ」という改革派と、
「全部ぶっ壊れたらもうやる意味ねーから出来るだけ維持してくれ」という保守派。
両方を同居させる救命ボートは果たして作れるのであろうか。


全員乗せて仲良く沈むべきか、
自己犠牲の精神でボートから降りるべきか、
相手を蹴落としてもなんとかして生き残るべきか、
はたまた全てを解決するたった一つの冴えたやり方があるのか。
なんにつけても難しい問題なのです。



コメ仕様で困った時は「運営なんとかしろ!」の声が上がる。
どんな発言をしようとも自由ではあるが、
その手の発言はあまり望ましい結果を生まないと思います。
この運営なんとかしろ、ってのはどういう意味を持っているのかというと、


誰を救命ボートに載せて誰を蹴落とすかお前が選べ


という命令です。
運営のプレイヤー開発担当者が、
どれほどコメントアートの文化を理解しているのかは解りませんが、
コメントの事を深く理解して大切にしている開発者ほど苦しいはずです。
あれも残したい、これも残したい。
けどどう足掻いても全てを残す事はできず、
自らの手で死刑宣告を告げねばならない。


先の救命ボートの問題は、あれが全員赤の他人だったり嫌いな人間なら割と簡単なのですよ。
しかしそこに家族がいたら? 恋人がいたら? 全員が大切な仲間だったら?
それでもなおボートにしがみ付いてきた人達を、遠慮なく蹴落とせるのだろうか?


運営なんとかしろ、と言われて何の躊躇いも無くなんとかしてしまえる人間は、
コメント文化の理解が無く、コメントがあまり好きでないどころかむしろ嫌いで、
こんな余計な仕事を増やすめんどうな文化は、
とっと沈んでしまえと思っている人間ぐらいですよ。



「運営なんとかしろ」という言葉は、
コメントの事を真剣に思ってくれている開発者を苦しめ、
コメントなんかどうでもいいと思っている開発者にゴーサインを出す魔法の言葉です。
唱える度にコメ職人の味方が減って敵が増えるあいさつの魔法。
まあ、今の開発チームに苦しんでいる人がいるのかどうか解らないけど。



なんとかしろ、と言われて簡単になんとか出来るのであれば既にやっているはずだ。
エンジニアの世界はサッパリ解らないから想像する事しかできないが、
今現在のプレイヤーにあれこれ手を加えて良い物を作るというのは、
度重なる増築・改築を繰り返してきた九龍城砦みたいな家をリフォームして、
快適な住まいを作れと要求するぐらい難しい事なのではないかと思う。
場合によっては住民総退出させて、全部ぶっ壊す所から始めねばならんかもしれぬ。
でも全部を捨ててゼロから作ったプレイヤーが「アレ」だったという過去の実績があるので、
そこら辺はなんとも言及し辛いものがあります。


(参照画像:九龍城砦 今のプレイヤーは多分こんな感じ)







今現在難しい課題を抱えている運営だが、
そこら辺はもう、技術屋の矜持を見せてくれとしかいいようが無い。
今まで数々の船を自沈させてきた運営であるが、
同時に救命ボートを作れるのも運営しかいないんだ。
技術屋の矜持を見せてくれる事を期待してますよ運営さん。





以上が、仕様変更に対する俺の理解をまとめたものです。
興味のある事しか勉強しないオタク気質な人間なので、
かなり偏った見解になってるであろう事は否定しない。
誤っている箇所は、是非とも博雅の士の御高説を承りたい所存です。



コメントの未来は結局運営の匙加減一つ、というあまり希望の無いお話ではある。
そしてその運営に裏切られてきた歴史があまりにも長い物だから、
歴代の職人は運営がどんなに「現在素晴らしい物を頑張って作ってます!」
とPRしても最早全く期待しないぐらいにはなっている。



( 「仕様変更」と聞いた時の古参コメ職人の反応 )




しかしそれではあまりにも希望が無さ過ぎる。
無駄とは解っていても、何か出来る事はありやしないだろうか?
第35代アメリカ大統領のジョン・F・ケネディが大統領就任演説にて曰く、



「国があなたのために何をしてくれるかではなく、
 あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか」



それを考える時期が来た。
いつだって国を良くしてきたのはギャーギャー国に文句を言う人間ではなく、
国の為に淡々と行動し続けてきた人間だ。
運営がコメ職人の為に何をしてくれるかではなく、
コメ職人が運営の為に何ができるかを考えてみようじゃありませんか。
そしてその為にコメ職人ならではの出来る事がある。



それは、コメント機能で遊んで遊んで遊びつくす事だ。



技術屋にとって自分達が開発した技術を活用されまくるという事は、
最上級の喜びであり生きがい・・・・・・・・・・のはずである。
その喜びを知らず、金の為だけに働いているとしたらとっとと転職してる。
昔、新プレ実装で投コメ動画が木っ端微塵に粉砕された時、
当時のプレイヤー開発担当から謝罪のメールが来たのだが、
その時の文末に感謝の言葉が書かれていた事は今でも覚えている。
私達が開発した機能でこのような動画を作って頂きありがとうございました、ってな感じで。
それは運営としてではなく、純粋な個人としての感謝の言葉だった。
自分勝手にやりたい事をやっていただけなのに、まさか感謝されるとは思わなかったよ。
他の全員にも当てはまるものなのかは解らないが、
技術屋にとって、作った機能をフル活用される事は喜びなのです。
もし運営が、コメントなんてどうでもいいよと思う程無関心になったら、
新しく作った救命ボートにコメ職人の乗るスペースは無くなってしまう。
そうはさせない為にも、とことん遊びつくしておきましょう。
コメント機能を使う事はこんなにも楽しい、という事をしっかり運営に示すのだ。
短期的には何の変化も起きないだろうが、長い目で見れば有効な手段だと思う。



だがしかし。



ただ遊びつくせばいいと簡単に言うが、これは原理的に無理な話でもある。
ガソリンが入っていない車でどうやってガソリンスタンドにまでたどり着くのか。
そもそも、コメントで思う存分に遊べない環境だから今困っているのだ。


作品を作っている時だけが楽しい、という生粋の職人は今かなりキツイと思う。
しかし作品を作る事だけがコメントアートの楽しさではない。
俺は元々「うおぉぉぉ、職人スゲーー!」というコメ職人の追っかけ出身なので、
見る事も好きだし、コメントについて話すのも聞くのも書くのも読むのも大好きだ。
自分が楽しめる事を存分に楽しめる方法を考えましょう。


今のコメント業界は識者の見解に曰く「焦土と化した」との事なので、
被災地から避難するようにコメントを避難させておく時期かもしれん。
絵系のコメ職人がニコニコ静画やスクショに活動の場所を移したみたいに。


今現在最前線で動画に作品を投下できる人間は、
数々の修羅場を潜り抜けてきた伝説の老兵と、
恐れを知らないチャレンジ精神溢れる若い世代ばかりで、
おっさん世代にはかなり厳しい事である。
しかしだ。



いつまで膝に矢をうけ続けているんだよ、おっさん!



と自分に活をいれて、
生まれたての小鹿みたいに足をプルプル震わせながら立つ事にした。
膝に矢を受けても手は動く、口も動く。
なのでブロマガ記事書いてこうやってコメントについてベラベラ喋りまくっている。
実際に投下する作品を作る気力が無くても、出来る事はいっぱいあるんだ。
各々がやれる事をやればいい。そしてあわよくばそれを形にしておく事が大事。
なんでもいいから形にして、しっかり運営にメッセージを伝えておく。



「コメントアートはまだ死んでいない」
「こんな面白い文化を亡くすなんてとんでもない」ってね。



最前線で戦う実力も気力も今の俺は持ち合わせていないが、
文章を書く気力だけはありえん程に満ち満ちているので、
今はブロマガに活動の場を避難させています。
とりあえず、3ヶ月間はブロマガを頑張り続ける予定です。
何故3ヶ月間だけなのかというと、
プレミアム会員期間が終わってブロマガ書けなくなるのが3ヶ月後だからだ。
期限が過ぎたら膝に矢を受ける予定なので、そこんとこヨロシク。



どうせ何をやったって、コメントの環境が良くなる訳ないじゃないか、
と最初っから諦めて何もしないのが合理的な判断だ。
今までの歴史がその正しさを証明している。
しかし、それでもなお伝説の老兵や若い世代が最前線で戦っているんだ。









とりあえず3ヶ月だけなら頑張れそうな気がするので頑張ります。



それでは、次回の記事までごきげんよう。




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