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放送ライブラリーで安部公房ドラマを楽しもう!<テレビドラマ篇>

2014/05/31 19:58 投稿

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安部公房全集カタログ 撮影 アンリ・カルティエ=ブレッソン


安部公房の戯曲『巨人伝説』が、11月6日(木)〜16日(日)にかけて、劇団俳優座で上演される。

『巨人伝説』


初演は1960年。同じ俳優座において演出・千田是也、装置・安部真知で上演され、以来54年ぶりの再演である。
今回の演出は俳優座の新鋭・眞鍋卓嗣。3年前の2011年、眞鍋は俳優座稽古場公演で安部公房の戯曲『制服』を演出しているが、初日が東日本大震災の直後だったため、原発事故のあおりを受け、わずか2ステージ上演しただけで中止となる不運に見舞われている。
幸い、私はこの時の『制服』公演を観ているが、終戦間近の朝鮮を舞台にした不条理劇を、シンプルな舞台空間の中で巧みに具象化する見事な出来映えであった。
そのため、今年の『巨人伝説』も楽しみにしているのだが、しかし現代の安部公房ファンでこの戯曲を読んだことがある者はどのくらいいるのだろう。

『巨人伝説』は、安部公房の短篇『夢の兵士』が原点となっている。その後ラジオドラマ『兵士脱走』、さらにテレビドラマ『日本の日蝕』へと発展、最後に舞台化を遂げた多メディア横断作品でもある。
じつは、テレビドラマ版『日本の日蝕』はフィルムが現存し、横浜の放送ライブラリーに行けば視聴可能だ。公演まで半年近くの猶予があるので、安部公房ファンはテキストをチェックするだけでなく、ドラマ版も視聴しておくことをお薦めしたい。
なお、放送ライブラリーには『日本の日蝕』以外にも、6作品の安部公房によるテレビドラマ・ラジオドラマが収蔵されている。いずれも現代では視聴が困難な作品ばかりであり、50年代〜60年代の安部公房の活動を知る上での貴重な資料でもある。

放送ライブラリー https://www.bpcj.or.jp

以下の文章は、2012年12月、安部公房ファンのためのweb雑誌「もぐら通信」第4号に掲載した、放送ライブラリーで視聴可能な安部作品についての解説だ。一部、語句を修正しているが、オリジナル記事及びバックナンバーは下記URLからすべて無料でダウンロードできる。


もぐら通信
http://w1allen.seesaa.net/category/14587884-1.html
(総目次・索引) http://seesaawiki.jp/w5allen/

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放送ライブラリーで安部公房ドラマを楽しもう!

 安部公房が小説だけでなく、劇作家としても精力的な活動をしていたことはよく知られている。演劇と深い関わりを持つだけでなく、数々の傑作を生み出し、演出にも乗り出した戦後作家としては三島由紀夫と双璧と言えるだろう。しかし、能の現代的翻案や、歌舞伎脚本の執筆など古典と向き合う活動を続けた三島に対し、安部は当時まだ新参のメディアであったテレビや全盛期を迎えていたラジオに目を向け、数々のドラマ脚本を執筆した。「機械嫌い」な三島と「機械大好き」の安部。いかにも二人の個性の違いを感じさせる。
 安部公房の作品歴を見ると、1950年代後半から、文芸誌に発表する短編小説の執筆数が大幅に減り、その代わりにラジオ・テレビドラマの脚本が多数を占めていることがわかる。花田清輝、岡本太郎らと共に、綜合芸術運動に関わってきた安部は、早い段階から「ジャンルの越境」を志向する作家だったし、1959年に結成した「記録芸術の会」(発起人に埴谷雄高、武田泰淳、羽仁進、鶴見俊輔らがいた)は、会の中心課題として「多様な芸術ジャンル間の交流」「活字文化から視聴覚文化への転換」を掲げていた。そのトップランナーとして活躍したのが安部公房だ。もちろん、当時の放送業界の原稿料が文芸誌のそれよりも格段によかったことは魅力だったに違いない。しかし、安部にとって放送劇の執筆は生活のためのアルバイトなどではなかった。安部はドラマの現場で発見したモチーフを錬磨し発酵させ、その後、新たな戯曲・小説への再生作業をくり返している。放送劇は、50〜60年代の「安部工房」における重要な実験場だったのだ。
 ユニークな発想と実験精神旺盛な安部ドラマは、芸術祭における受賞常連で、一時は「芸術祭荒らし」との異名すら取ったという。しかし、録音・録画技術が未発達だった当時、その作品群の大半は失われ、「放送作家・安部公房」の仕事は、全集に収録された脚本でしかうかがうことができない。遅れてきたファンにとって、安部ワールドの全貌を賞味する機会はあらかじめ失われているのである。

 が、しかし。

 じつは横浜の放送ライブラリーには、当時の作品がほんの一部ではあるが、良好な画質・音質で収蔵されているのだ。しかも視聴無料! 横浜を訪れた安部公房ファンはぜひ立ち寄り、実際の作品を観賞してみることをお勧めしたい。今回の一文が、その際の「ガイドブック」となれば幸いである。一部、結末に触れざるをえない作品もあったがご容赦願いたい。

 放送ライブラリーに収蔵されている安部作品は、以下の7本。

●テレビドラマ
『日本の日蝕』(1959年10月9日放送)※芸術祭奨励賞
『虫は死ね』(1963年11月10日放送)※芸術祭奨励賞
『目撃者』(1964年11月27日放送)※芸術祭奨励賞

●ラジオドラマ
『棒になった男』(1957年11月29日放送)※芸術祭奨励賞
『こじきの歌』(1958年4月12日放送)※民放祭民間放送連盟賞
『吼えろ!』(1962年11月18日放送)※芸術祭賞
『チャンピオン』(1963年4月13日放送)※民放祭奨励賞

まず、テレビドラマから紹介する。



『日本の日蝕』(1959年・70分)
 NHK大阪の制作で、1957年に発表した短編『夢の兵士』が原作。この短編は、1958年にはラジオドラマ『兵士脱走』として脚色され、『日本の日蝕』はほぼ同じ台本を流用しているようだ。さらにその後、1960年には戯曲『巨人伝説』へと改稿、俳優座で上演されている。
 舞台は、大戦末期の東北の寒村。近所に駐屯する小隊から、脱走兵が出たという連絡が入ったことから始まる一夜の出来事が描かれる。例え脱走兵が家族でも、そんな非国民は絶対に家に入れてはいけない、と村人を説く、俗っ気たっぷりな巡査・大貫。そして、脱走兵に関わったら、自分たちまで非国民にされてしまうのでは、とおびえる村人たち。「戦争」という状況下で共同体を築いている村人たちの前に「不在の兵士」が出現した夜、彼らは何を見ることになるのか? これは初期の安部が好んで取り上げた、「村」のドラマであり、「幽霊(そこにいない人)」をめぐるドラマでもある。そして浮かび上がるのは、個人の感情を圧殺し、「共同体の正義」を最優先する日本人の姿。
 くり返し描かれるのは、村人たちが凍った窓の霜をガリガリひっかきながら、そっと外をうかがう描写。「のぞき」という安部作品特有のモチーフがここにも顔を出している。東北の寒村のドラマをスタジオセットで再現した演出は、まだ「ガハハおじさん」としてダジャレを連発する前の和田勉当時27歳の和田は、執拗にインサートされる兵士の足元の映像に御詠歌を流し、雪に刻まれた兵士の足跡を360度パンさせ、不安げな村人たちのアップを奇妙なモンタージュで積み重ねるなど、「不在の兵士」を印象づける演出を意欲的に試みている。当時、『円盤来たる』、『人命救助法』、『モンスター』など数々の作品で安部公房とコンビを組んでいる和田だが、現存する作品が『日本の日蝕』しかないのは誠に残念だ。
 主人公の大貫巡査を演じるのは、安部公房脚本・小林正樹監督の映画『壁あつき部屋』で、朝鮮人戦犯を好演した伊藤雄之助。後に、長谷川和彦監督『太陽を盗んだ男』では、修学旅行バスを乗っ取り皇居に突入、天皇への面会を要求し「息子を返していただく」とのたまう狂気の老人を演じた雄之助、その全盛期の演技が収録されているのも見逃せない。
 なお、『日本の日蝕』の翌年に上演された戯曲『巨人伝説』では、物語の設定・展開が大きく改変されている。『日本の日蝕』では「加害者であり被害者」でもあった大貫巡査は、『巨人伝説』ではもう一度ひっくり返って「新たなる加害者」へと再生するのだ。結局、この物語に「悪役」は存在しない。共同体の正義という「空気を読む」ことだけを優先し、戦争責任の追及もその反省も明確にせずにやりすごしてきた日本人の「無責任の論理」が炙り出されるのだが、『巨人伝説』になると、その「無責任の論理」がまた新たな悲劇を生むことを示して結末となる。1960年とはまさに、日米安保条約改定問題で国中が揺れており、日本が米ソ戦に巻き込まれることを多くの人が懸念した時代だった。




『虫は死ね』(1963年・50分)
 北海道放送の依頼を受けて執筆した作品。
 別れ話のもつれで恋人に刃物を向けてしまい、精神医療を受けた娘・愛子が、北海道の開拓農家である叔父夫婦の家に身を寄せる、という冒頭。現代ならば、傷心のヒロインは素朴な村人の優しい心と美しい自然に触れるうちにすっかり健康となり、やがて純情な美青年とロマンスが芽生え……なんて癒し系ドラマが始まりそうなシチュエーションだが、安部公房ドラマにそんなヌルい展開はありえません。
 都会の娘・愛子を演じるのは市原悦子。そして叔父夫婦を大坂志郎・佐々木すみ江が演じている。そう、『燃えつきた地図』と『おとし穴』それぞれのヒロイン女優の対決が見られるのですねぇ。ちなみに当時27歳の市原悦子を、このドラマの演出家・木南武朗に推薦したのは安部公房自身だそうだ。
 食事中、飛び込んできた蛾を殺そうとした叔母の手を、愛子が反射的に払いのけたことをきっかけに、叔母は愛子への反目をつのらせる。狂気の人間への警戒心、そして人には刃物を向けながら、虫も殺せない都会人の偽善への反発……叔母は都会者の愛子にわざと「鶏をしめて持ってこい」などと命令する。『ロッキー』のシルベスター・スタローンのごとく、鶏を追いかけ回す市原悦子!
 しかし、都会人が田舎者から理不尽に虐待されるドラマ、と思ってはいけない。愛子という女は、「自分は恋人から催眠術をかけられていた」などと突拍子もない話を語り出したり、叔父をはじめとする男たちに小悪魔的な仕草を見せたり、もしかすると彼女への不信感を募らせる叔母の方が正しいのではないか、と思わせる信頼のおけない主人公。愛子自身もまた、自分が本当に正気なのかどうかを常に気にしている。
 折しも、村にイナゴの大群が迫る事態が発生、新型の農薬散布機を使った食い止め作戦が立案される。ところが決行の日、愛子たちの目の前である事件が起こった。はたしてその犯人は?
 正気と狂気の境をめぐるドラマなので、やたら「気違い」という言葉が連発されるのが特徴だ。おそらく「気違い」頻出度においては、『怪奇大作戦』の第24話「狂鬼人間」をも優に上回るだろう。
 もともと、木南ディレクターからの依頼は十勝の「バッタ塚」(開拓時代に駆除したイナゴやその卵を産めた塚)からドラマを作れないか、というものだったらしく、鳥羽耕史は1957年に安部が目をつけていた新聞記事「木曽谷ネズミ騒動記」(開高健が『パニック』で先に小説化してしまった)の記憶と結びついた可能性を指摘している(注1)。
 同時に、このドラマは『砂の女』発表の翌年であり、そのラジオドラマ版脚本の直後に執筆されていることにも注目したい。都会人が田舎を訪れ、生活のための作業に従事することとなる、という基本設定が共通しているが、「脱出」を果たしたにもかかわらず、穴の中の生活に帰って行く『砂の女』の主人公と、『虫は死ね』の主人公はまったく異なる結末を迎えるのだ。
「砂」が重要なモチーフとなった『砂の女』だが、『虫は死ね』では「虫」が重要なモチーフとなる。虫けらと侮られ、害虫として駆除され、その一方で大群となるや人間の生活を脅かす「虫」。虫を殺すのは誰なのか。虫のような女とはどちらをさすのか。『虫は死ね』は、『砂の女』のB面的な意味合いが含まれたドラマとして見ることも可能かもしれない。




『目撃者』(1964年・50分)
 毎日放送制作。きっかけは、ディレクターの久野浩平(当時、和田勉と並ぶ「芸術祭男」として知られた演出家。後にポーラ名作劇場を担当)が、大分県姫島村で実際に起こった「姫島村リンチ殺人事件」(暴君として君臨していたヨソ者のヤクザ兄弟が、島民の逆襲により殺された事件)に目をつけたものらしい。ドラマ化を狙って取材を始めたが、島には事件についての箝口令が敷かれていて誰にも応じてもらえず、事情を解説した手紙を安部に送ったところ、それをもとに書き上げられたのがこの脚本ということだ(注2)。1971年には戯曲『未必の故意』に改稿され、俳優座で上演している。
 まずいきなり殺されたヤクザの死体のアップ。そこへ死体検案書がダブり、続いてヤクザが殺された時の様子を再現するドラマが始まる。そこへ、取調書に書かれた証言が、島民自身の棒読み口調でナレーションされてゆくというスタイルが、いかにもリアリズムあふれるドキュメントタッチ。が、やがて現場にあったヤカンは火鉢にかかっていたのかいなかったのかで証言が食い違い、再現フィルムはストップ、演出家や演出助手たちが画面の中に割り入こんでくる。そう、これはドキュメンタリーの撮影現場。ヤクザ役の男は俳優にすぎなかったのだ。しかし、周囲にいる島の青年たちは実際の事件の関係者であり、東京から来た撮影クルーは、「本人自身による再現」で事件を取材しようとしているらしい。
 これは「製作中の映画」をめぐるメタフィクションドラマであり、同時に島民は本当に「真実」を語っているのかどうかを探るミステリーである。当然、視聴者の視点は、ドキュメンタリー制作中の撮影クルーに重なってゆくことになる。
 ヤクザ役の俳優を演じるのは、井川比佐志。『おとし穴』の主役から安部公房スタジオの中心メンバーまで、最も安部の薫陶を受けた俳優だ。演出家は、民藝の内藤武敏。『真昼の暗黒』の弁護士や『帝銀事件・死刑囚』の新聞記者など、「真実を追う」役にはドンピシャリ。そして演出助手を『十三人の刺客』や『田園に死す』で知られる菅貫太郎(今では『水戸黄門』の一条三位、つまりニコニコ動画の「麻呂」として有名になってしまった)。井川&内藤が『ツイン・ピークス』のクーパー捜査官よろしく、島の事件の真相に迫ってゆくという展開だが、注目したいのはラスト一行のト書き。
 このト書きによって、『目撃者』というドラマは、殺されたヤクザが用いたのも「暴力」だが、ヤクザを排除した島民が用いたのもまた「暴力」だった。そして彼らの秘部にカメラを向けようとした、撮影クルーたちの視線もまた「暴力」ではなかったか、その暴力に対し島民たちが取る行動はひとつしかない……という構図を完成させる。なんだか1980年のイタリア映画『食人族』を彷彿とさせなくもない過激なラストである。
 ところが、完成したドラマにはこのラスト一行のト書きは削除されており、撮影に向かう島民の描写から、いきなり冒頭の死んだヤクザの大写しにカットが飛んでエンディングを迎える。脚本の過激さは大きく抑制されてしまった。完成版でも、「真実」よりも「共同体の正義」を優先する島民たちが抱えた自己矛盾の苦さは伝わるし、ハッキリした結末がつかない分、謎めいた余韻が残されているとは言えよう。実在の島がモデルとなっているため、あまり過激な結末にすることが憚られたのだろうか。この変更を安部公房はどう思ったのか。
 後年改稿された戯曲『未必の故意』では、『目撃者』と大筋は同じだが、再現ドキュメンタリー撮影中という設定は変更され、「事件の裁判に向けて予行演習に励む島民」の姿が描かれる。ヤラセの証言内容をせっせと暗唱し、「共同体の正義」のために都合の悪い事実は隠蔽してしまおうとする日本人の縮図である。同時に、「裁判という演劇」のメイキングを垣間見るメタフィクション構造ともなっている。
 しかし、その茶番に一人非協力的なツッコミ役の「教師」がいて、彼がかつて『目撃者』で撮影クルーが迎えるはずだった結末を受け持つこととなる。安部としてはやはり『目撃者』の本来の結末に執着していたのだろう。だが、あくまで「島のインテリ」でしかない教師が島民から新たな暴力を向けられるという結末では、その衝撃度はあきらかに後退してしまっている。やはり、「のぞき屋」として視聴者の視線に直接重なる撮影クルーたちの目(カメラ)に、牙をむき出した島民たちが迫って来るイメージこそ、このドラマの結末にふさわしいと思うのだが。               

                              次回は<ラジオドラマ篇>

(注1)郷土誌あさひかわ平成24年1月号
(注2)全集19巻作品ノートp3



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