スローリィ・スローステップの怠惰な冒険

女が仮面を外す時〜黒沢清監督『スパイの妻』

2020/11/01 22:38 投稿

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 今、某局のレギュラー子供番組で、ドラマパートの演出に参加しているのだけど、ウチの制作スタッフにはドラマ現場未経験の新人女性しかいないため、撮影スケジュールを予定通りに回すのが難しいことが判明。そこで、前回の撮影では他の回で演出を担当している若手監督にチーフ助監督をお願いしたのだが、その監督さん、東京藝大の大学院で映画を学び、教授を務める黒沢清監督から大きな影響を受けたという。

「学生の時に『LOFT』と『叫』を観て、すげぇ、これこそ本物の映画だ、と感動しました」

 と、彼が藝大の門を叩いた動機を聞き、高校生のころに『ドレミファ娘の血は騒ぐ』をレンタルビデオで観て、伊丹十三製作総指揮の『スウィートホーム』の公開初日に駆けつけた世代の黒沢ファンとしては少し感慨深いものがありました。
 さらに、撮影期間中にヴェネチア映画祭で黒沢清が銀獅子賞(監督賞)を受賞したというニュースが飛び込んできたので、現場で彼とその話題を口にしていたところ、

「あ、『スパイの妻』ならオレ、現場についてたよ」

 と技術スタッフの一人が声をあげたので驚いた。さっそく現場の様子を訊いてみると、

「1日にワンシーンかツーシーンのゆったりしたスケジュールでね、長いカットが多くてテイクも少ないから、16時には終了でラクな現場だったなぁ

 そこがいちばん印象深かったらしい。
 なるほど、日本の映画・ドラマ界はよほどの大作でない限り、昼の撮影が終わればそのまま夜間撮影に突入というスケジュールがしょっちゅう。ワンカット撮り終えたらキャメラマンは三脚抱えて次のポジションへすっ飛んでゆくのがあたりまえの日常からすると、黒沢組は別世界に映ったようだ。

「いい監督というのは、スタッフ・キャストに対する要求が高いものだ。さんざん大変な目に遭わせてなお、彼らから『もう一度仕事がしたい!』、と思われるのが一流だぞ。『あの監督はすぐ終わるし楽チンだから大好き!』なんて言われる奴は三流以下だ」

 と、かつて師匠から聞かされたものだが、確かに昔の映画を見れば、粘り屋の撮る映像の方が、早撮りの人にくらべて充実度が高く、時の風化に堪えている例は多い。とはいえ、酷使に見合う残業代をつけていた時代ならいざ知らず、薄給でパワハラつきの長時間労働に人が集まるわけがなく、その上できあがった作品が、配信で観られる海外作品にくらべてあまりにもショボいのでは、スタッフのモチベーションが上がるはずもない。
 これからの演出家は、「現場の熱は画面に映らない」という真理を肝に銘じつつ、時間と予算と安全性を見極めた上で、最善の効果をあげるマネージメント能力が求められるのは間違いないだろう。

 で、ベテランの技術スタッフが驚くほど効率的に演出をこなし、なおかつ海外の有名映画祭で受賞するという、誰にとっても理想的な結果を導き出した黒沢清の『スパイの妻』、先日やっと観賞しました。

「今さらヴェネチア監督賞なんて遅い遅い、『CURE』のころに受賞して、『アカルイミライ』のころにはカンヌでパルムドールぐらい獲ってなきゃオカシイでしょ!」

 長年の黒沢ファンとしてはこのように叫びたいところではあるが、正直な話、黒沢映画はストーリーに弱さのあるものが多く、国際映画祭で評価が浸透するのに時間がかかったのはやむを得ない。そういえば、かなり昔のトークショーで、黒沢監督が「実際にあった事件や出来事を題材にした作品に挑戦してみたい」と発言するのを聞いたことがあり、彼の魅力は、その非リアリズム性漂う描写がいつしか独特のファンタジー世界を形成するところにある(その意味で戦後の小津安二郎に近い)、と思っていた私には意外だった。イーストウッドやスピルバーグをはじめ実話の映画化が大流行している昨今だが、作品内の「リアル」の基準をどんどんズラしてゆくのが特徴の黒沢演出が「実話」というリアリズムが担保された世界をきちんと描けるのか、少し疑問に思ったのだ。
 監督の発言は、当時企画中だった『一九〇五』(明治時代の横浜が舞台の時代劇だったが中止になった)を念頭に置いた上でのものだったろう。しかし、『スパイの妻』を見ると、改めて黒沢清がどのように「歴史」と触れ合おうとしていたかが垣間見え、そこが私にはひときわ興味深かった。

 濱口竜介と野原位によるオリジナル脚本『スパイの妻』は、かつて関東軍が満洲で人体実験をはじめとする非道な研究を行っていた、という事実を前提とする架空の物語で、「禍々しいものが映ったフィルム」、「階段のある部屋」、「窓外が不自然な乗物」、「霧に消えゆく船」、「制服のファシスト集団」などなど、黒沢映画の定番モチーフを散りばめつつ、夫婦間の恋愛サスペンスとして巧みにまとめられている。
 鍵となる「関東軍の蛮行が記録されたフィルム」のディティールには過度に踏み込まず(マクガフィンという奴ですね)、そもそもなぜ一貿易商がそんな場面の撮影を許可されたのかもよくわからない。しかも登場する憲兵の制服は映画オリジナルのデザインとなると、これはいわゆる「歴史再現」とか「実録」とかいうものではなく、描かれるのは「映画の世界」として設計された1940年の神戸だということが見えてくる。多くの戦中サスペンス劇のように、凶悪な軍部と正義の民間人の諜報戦がリアリズムたっぷりに描かれるものと期待した人は、ここで乗り損ねてしまうかもしれない。
 しかし歴史を題材に、おなじみの映像遊戯に淫するのではなく、夫婦それぞれの思慕と、国家と個人のぶつかり合いが重なり合ってゆく古典的メロドラマを描きながら、憲兵(東出昌大)、夫(高橋一生)、妻(蒼井優)の3人をめぐって「誰が『怪物』だったのか?」を観る側が探ってゆく特殊な怪奇映画として浮かび上がらせる手つき、このあたりに黒沢演出が新たな勝負に出ている様子が見てとれ、私は大いに興奮させられた。
 出演者では、出だしで無邪気な妻に見えた蒼井優が、夫の身辺に暴力の気配が感じられてくるや敏感に佇まいが変化するあたりと、作品中でもっとも「リアル」に撮られた劇中の自主映画で見せる表情がすばらしい。
 
 インターネットをのぞけば、ほんの数十年前の過去を積極的に忘却・払拭しようとする人々が多数いる現状、そんな「今の日本」を射程にとらえた諷刺劇としても観賞可能な『スパイの妻』は、テレビ用の小品なれど海外でロケを行ったりCGを駆使した近作よりも、いっそう懐の深いスケール感を獲得できていたと思う。
『岸辺の旅』、『散歩する侵略者』に並んで、近年もっとも見応えある黒沢作品。劇場には大人の観客がたくさん集まっていた。


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