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スローリィ・スローステップの怠惰な冒険

『GARM WARS ガルム・ウォーズ』裁判

2016/06/05 19:59 投稿

  • タグ:
  • 映画
  • 押井守
  • ガルム・ウォーズ
  • SF



<事件>

 惑星アンヌンには「ガルム」と呼ばれる戦士たちが8部族に分かれ、長きに渡って戦いをくり広げていた。現在生き残るのは機動力によって空を制する「コルンバ」と武力によって地を制する「ブリガ」、そして情報技術に長けた「クムタク」の3部族。ガルムは成体として誕生し、死ねば記憶データが新たな体に複製されて再生するクローン型の人造人間である。
 コルンバの飛行戦艦がある時、ブリガに追われるクムタクの老人・ウィドを収容する。ウィドはすでに滅んだはずの部族「ドルイド」の生き残り・ナシャンと、犬(グラ)を連れていた。ドルイドとはかつてガルムの創造主「ダナン」の声を伝えた部族である。しかしウィドの審問中に戦艦はブリガの攻撃を受け、撃沈。コルンバの女戦闘機乗り・カラは墜落先で戦艦から脱出したウィドとナシャン、そしてブリガの兵士・スケリグに出会う。
 ウィドはナシャンを連れて海の向こうにある伝説の森「ドゥアル・グルンド」をめざしていた。彼はその地で、創造主ダナンがこの星を去った理由や、ガルムとは何のために作られたのかなど、自らのルーツを探ろうとしていたのだ。
 敵同士であったカラとスケリグの2人だが、ウィドたちの旅につきあううちに、いつしか心が通い合うようになる。やがて一行は聖なる森の中枢にそびえる生命の樹に到着。しかし森を護る巨人たちが次々と出現、カラとスケリグは巨人を相手に激しい戦闘を繰り広げる。
 その最中、ナシャンはウィドに向かって正体を現し、「真実」を告げ始めた……。


<審理>※結末に触れています

検事 1997年、バンダイビジュアル「デジタルエンジン構想」の一本として華々しく製作発表された『G.R.M/ガルム戦記』。新世紀の『2001年宇宙の旅』か『ブレードランナー』のごときエポックメイキングな作品となるか、はたまた押井守版『地獄の黙示録』か『天国の門』と言うべき妄執の超大作になるかとファンを熱く期待させたものの、2年後にあえなく企画凍結……。その幻の企画が甦り、ついに完成! と、劇場に駆けつけてみれば、スクリーンに映し出されたのはおかっぱ頭の女と白髪のおっさんとマッチョ野郎が旅をするロードムービーの小品だったとは、いったい何事か。伝え聞く作品とはずいぶん違う。これは偽造罪にあたるのではないか。

弁護士 えー、そもそも本作は幻の企画が完全復活したもの……というわけではないのです。国際共同製作の企画が頓挫した際、往年の企画書を再提出したところ採用されてしまい、急遽復活したプロジェクトだそうで。しかしながらかつてエネルギーを費やしたヴィジョンの数々を死蔵してしまったのではあまりにもったいない、チャンスを掴んだ以上は、実現可能な規模でその一端だけでも映像化し、世界に問うのが映画監督の心意気ってものでしょう。このシツコサは「作家性」を持つ監督のカガミとして褒められこそすれ怒られる筋合いはないのではないでしょうか。


検事 問題なのはラスト。「ガルムの真実」があきらかになり、その結果、大量の巨人たちが出現する。巨人を迎え撃つべく、ブリガ、コルンバの大軍勢が出動。かくして惑星アンヌンは新たな戦闘の時代を迎えたのだ……と、ここでオシマイ。これは少年ジャンプにおける「俺たちの戦いはこれからだ!」そのものではないか。尻切れトンボで不完全燃焼感はなはだしい。ストーリーの遺棄罪に問われるべきである。

弁護士 「世界の始まりを求める旅」という基本設定はファンタジーの王道であり、一種の装置でしかありません。その基本となるストーリーを牽引する「ガルムの正体」と「創造主の意図」は完全に説明されているのだから、あそこで物語が終わりを迎えるのはまったくの必然であります。なお、押井監督は2015年に『ガルム・ウォーズ 白銀の審問艦』という小説版を発表しています。どうもこちらの方が元企画により近い内容と思われますが、主人公のガルムたちの世代番号は「ウィド267」、「カラ52」、「スケリグ87」。映画版ではこれが「ウィド256」、「カラ23」、「スケリグ58」となってるんですね。どうやら映画版のストーリーは、本来想定していた内容の前日譚の意味合いもあるようです。しかしながらこのふたつの物語、ラストだけはほぼ同じなのですよ。つまり監督としては自らがひねり出した「異世界」を開陳することが目標であり、ストーリーは「定型」でかまわない。登場人物を牽引する「謎」があきらかになれば、そこからまた別種のストーリーが立ち上がる、そのメカニズムを楽しんでもらえればじゅうぶんと考えているのでしょう。カタルシスが感じられないと思われるかもしれませんが、『うる星やつら2/ビューティフル・ドリーマー』や『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』のストーリー構成とさほど変わらないとも思うのですが。


検事 この映画の世界にはガルムのほかの生物は犬と鳥だけしか存在しない。しかも犬は「グラ」と総称され、ガルムから神聖視の対象となっている。グラから積極的に触れられ、なつかれた者は「恩寵」を受けたとされ、ガルムの中でも特別扱いされるのだ……などとよくもまぁ、犬好きの妄想とも言うべきタワけた設定を垂れ流せたものだ。猫好きやハムスター好きにとっては非常に不安にさせられる設定だ。これはむしろ動物虐待罪である。

弁護士 いや、それがこの世界設定でいちばん面白いところではないかと考えます。人形のような登場人物とCGとエフェクトで加工された世界の中で「生」の象徴として押井印のバセットハウンドがウロチョロする。さらにバセットがオシッコを垂れ流す描写をそのまま見せられるなんて映画、まずありませんぞ。ガルムたちもまた、全員が「主人を探す犬」なのですが、本物の「犬」がその頂点に立ち、ひときわ生々しく、自由な存在として動き回る。小説版を読むと、「グラ」は神聖視された生物なれど、触れようとしてなつかれず、無視されたり噛まれたら最後、「恩寵を受け損ねた者」として軽侮の対象とされるため、ガルムはみなグラを敬して遠ざけているという設定もわかります。クローン兵士たちの「生身」に対する敬意と畏怖。それをわかりやすく表現するための手法なのでどうかご容赦あれ。


検事 予告篇や宣伝では『攻殻機動隊』の草薙素子や『アヴァロン』のアッシュのように、戦闘ヒロイン大活躍の活劇が見られると思いきや、地味なボディ・アクションと巨人相手の銃撃戦が少々見られるだけとはまったくの詐欺罪じゃ。

弁護士 あのテのアクションを期待したくなるのはわかりますが、この作品に中心にいるのは犬を連れたウィドであることは最初からあきらか。『エイリアン2』のビショップ役で名高いランス・ヘンリクスンの滋味あふれる演技を楽しみましょう。また、ボディ・アクションのかわりに飛行戦艦による艦隊戦、異世界の戦闘機が演じる奇抜な空中戦を、川井憲次の音楽とトム・マイヤーズの音響効果付きで楽しめるのだから見応えは大いにあります。


検事 すでに『アバター』以後のハリウッド製異世界ファンタジーの発展はすさまじく、デジタル合成による特撮技術も、『アベンジャーズ』などのアメコミヒーローものや、『マッドマックス/怒りのデス・ロード』などにより多彩な方法論が模索されている。1997年当時『G.R.M/ガルム戦記』が指向したヴィジョンはほぼ達成されてしまったに等しい。それなのに今、強力なストーリーを持たぬファンタジーの予告編モドキを作るのにいかなる意味があるのか。だいたい本作のデジタル技術は8年前の『スカイ・クロラ』と比較しても長足の進歩を遂げたようにはとても見えない。このザマでは『マトリックス』、『パシフィック・リム』に影響を与えた巨匠として名高い押井守に対する信用毀損罪に抵触する。

弁護士 この映画は日本とカナダによる合作で、出演者は西洋人ですが、日本映画でもカナダ映画でもありません。近いのはマカロニウェスタンや日活の無国籍アクションではないかと思うんですよ。どこでもない世界で展開するありきたりなストーリーを、ひたすら様式的な表現力で押してゆく。確かに『アバター』以後のハリウッド映画は『G.R.M』が模索した方法論を実現してしまったし、押井守自身、『アヴァロン』、『イノセンス』、『アサルト・ガールズ』、『スカイ・クロラ』といった作品で『G.R.M/ガルム戦記』のモチーフをバラ売りしてしまっている。それでもあえてこの作品を撮ったのは、日本人が特撮映画ならぬ「SF映画」を撮ることは可能か、という問いに対し、押井自身の解を見せたかったのではないでしょうか。将来、この方法論を発展させて『風の谷のナウシカ』みたいな異世界ファンタジーを撮る日本人が現れるかもしれない。映画版『ファイナル・ファンタジー』同様、重要な人柱になったのです。


検事 クライマックスで現れる「巨人」のイメージだが、どこか『進撃の巨人』を彷彿とさせる上、なんとも古くさい。それに科学が相当発達した世界なのに巨人の動力は有線でケーブルを切断されると動かなくなるというのはなんなのか。どうしたって『エヴァンゲリオン』を思い出してしまうではないか。これはアイディア窃盗罪にあたるのではないか。

弁護士 あの巨人は『指輪物語』に出てくる「エント」のパクリもとい引用じゃないですかね。森を護る人なんだし。小説版を読むと、本来は「マラーク」なる者に率いられて天空から降臨する「セル」という正体不明の物体がガルムの敵になるはずだったようですが、この設定も『エヴァンゲリオン』の「使徒」に似てますよね。本作の企画スタートが1990年代半ばということを考えると、同時期に押井守と庵野秀明が「神の使い」と称するものと戦う物語を構想していたというのが興味深く感じます。そういえば『エヴァンゲリオン』、『進撃の巨人』(映画版)のどちらにも関わっている樋口真嗣監督が、本作にも絵コンテで参加しておられるので影響があるのかもしれません。もともと『G.R.M/ガルム戦記』は特技監督として樋口真嗣、脚本家として伊藤和典が参加していた企画。『ガメラ3 邪神覚醒』のラストシーンは彼らが『G.R.M/ガルム戦記』からひっぱったのでは……?


検事 クライマックスの舞台となる伝説の森というのはつまり「エデンの森」であって、「生命の樹」の前でドルイドのナシャンが少女かつ蛇のような正体を露呈するというのは、あまりにもあからさまな旧訳聖書の引用である。さらに、ガルムたちを見捨てて別の星で惑星開発を始めた創造主ダナンこそ彼らに殺し合いを演じさせる「妬む神」であって、ガルム殲滅を意図する創造主を相手に新たな戦いが始まる……という結末は不敬そのもの。宗教への侮辱罪にあたる。

弁護士 ケルト神話、旧約聖書、新約聖書の引用がごった煮となる押井守世界観は今に始まったものではないし、著作権に触れるものでもありません。現実世界への違和感から「創造主」への抵抗に至るストーリーも、押井監督が好きな山田正紀『神狩り』の影響でしょう。私はガルムたちの造物主が「妬む神」と旧約聖書の引用で呼ばれるのが面白く感じました。「妬み」とは他人を羨む罪悪と思われがちですが、一方で愛情を示す言葉でもあります。人間たちが偶像崇拝を始めたり、ほかの宗教に浮気したりすると、神様は心配し妬んでくれるわけです。押井ワールドの造物主こと押井監督も、この10年あまりの活動によってファンへの神通力が衰えたことを痛感していたのかもしれません。『まどマギ』やら『ガルパン』やらに惑わされるかつてのファンに向け、『G.R.M』や、『実写版パトレイバー』といった往年の大ネタを甦らせ、その信仰心を取り戻そうとしたのでしょう。まさに「妬む神」なるがゆえに……。ファンは改めて押井唯一神に帰依し、すべての心配をやめて『東京無国籍少女』を観たり『ゾンビ日記』を読んだりすればよいのです。唯一神はあなたを見守ってくださっています。ありがたや、ありがたや。


<判決>

『アヴァロン』、『立食師列伝』、『アサルトガールズ』を通過し得た者向けの特殊な「ファンタジー」と認める。




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