最近、ちょっとした驚きがあったので、
書き残しておきます。
※19:30加筆(『途中省略』への言及を追加)
『時系列倒置』『途中省略』という便利な表現技法を、
いつの間にか、使わなくなっていたのです。
____________________
____________________
要約
・『時系列倒置』『途中省略』という表現技法は有用
・無意識に出来ていた
・いつの間にかやらなくなっていた
・(理由1)プロットを使い出した弊害
・(理由2)絵を描く苦しさが減った弊害
・たまに自己監視するのだいじ
____________________
____________________
『時系列倒置』とは?
時系列を入れ替えた描写のこと、と定義しておきます。
通常の
1→2→3→4 に対し
倒置は
3→1→2→4 など。
例:時系列倒置
・「な、なんじゃこりゃああああああ」
驚くじいさん、ばあさん
・赤ちゃん「おぎゃあ、おぎゃあ」
・まな板に乗った、巨大な桃
・回想。
「川で洗濯中、大きな桃が流れてきたのだった
例:時系列通り
・「おばあさんが川で洗濯をしていると、大きな桃が流れてきた
・(中略)桃を切る
・赤ちゃん「おぎゃあ、おぎゃあ」
・「な、なんじゃこりゃあああああ」
※アングルの倒置表現、も似た仲間
(今回は話題にしないが、共通点は多い)
例:アングル倒置
・ドカーーン(大爆発だけ写す)
・引いた画面で、爆発と共に戦闘機を写す
(戦闘機による爆撃だったと分かる)
『途中省略』とは?
通常の
1→2→3→4→5→6 に対し
省略は
2→4→6 など。
例:途中省略
・おばあさんが川で洗濯をしている
・(場面転換)
じいさん「こんなものが川から流れてくるとはのぅ……
・まな板の上に巨大な桃
・ばあさん「さて、食うとしよう!」 桃を割る
・二人「こ、これは……!!」
・~10年後~
桃太郎「おじいさま、おばあさま、行ってまいります
・二人「本当に行くのか、桃太郎よ……
(以下略)
省略技法は常にまぁまぁ使っていましたが、
昔のほうが上手く活用出来ていた気がします。
『倒置表現』『省略表現』の主な効果は?
・好きな部分、見せたい部分から描き始められる
→メリハリが生まれる
・「なんだ?」(謎、不安発生)→「そういうことね」(スッキリ)
→普通の出来事でも、それなりに退屈なく読める
・(倒置)省略できる量が増える
→先に結果を見せて、その道程を説明、という順序だと、
必要な途中説明がグッと減る。
退屈なシーンをバッサリ切って美味しいところだけを描ける。
行間を予想する行為自体も、それなりに楽しい読書体験になり得る。
※やり過ぎると、「理解し難い」という弊害を生む
いつの間にか使わなくなっていた
ここが今回のポイントで、
僕はいつの間にか、『時系列の倒置』『途中省略』というこの便利な技法を、
無意識のうちに(ほとんど)使わなくなっていたのです。
※途中省略はそこまででもないが、頻度は減った。
我流でWEBマンガ『オーシャンまなぶ』を描くうちに、
いつの間にか使い始め、(ライオー編の頃から)
有効性を理解し、実感し、
まぁまぁ多用していたはずなのに、
いつの間にか使わなくなっていた。
そのことに、ふと最近気付き、恐怖し震え、
そして原因を色々と考え……
1.『プロットを用いるようになったこと』
2.『絵を描く苦痛が減ったこと』
の2つが仮説として浮かんできた。
プロットとは
小説やマンガなどで、ストーリーの流れを端的にまとめたもの。
形式は様々だが、
桃太郎なら例えば以下のようになる。
プロット例:桃太郎
・山奥で、おじいさんとおばあさんが生活
・おばあさんが川で巨大な桃を拾う
・桃から男の子が出てくる(桃太郎)
・すごいスピードで成長
・鬼退治に行くと言い出す
・道中で、犬、猿、キジが仲間になる
・鬼を倒す
プロット自体は便利です。
ざっと思いつくメリットは以下。
・全体の流れを把握できる
・プロットを元に、更にアイデアを練れる
※アイデア変更のコストが低い。変えまくっても大丈夫。
・編集者に見せ、それを元に議論できる
※ネームに比べ、短期間で出来る
・長期連載において、整合性が崩れにくくなる
・思いついたアイデアを漏らさず書き出せる
確かに便利で、
商業連載を始めるちょっと前くらいから僕も使い始めました。
(それまでは、頭の中でアイデアを練っておき、
真っ白の原稿用紙にぶっつけ本番で描いていた)
プロットの弊害
しかし、
気をつけないと大きな弊害を生むと最近感じます。
3つの弊害。
1.絵からアイデアが膨らむ機会の喪失
僕だけかもしれないが……
プロットを見ながらネーム(漫画)を描くと、
プロット段階のアイデアに従順に従い、
脳が、いつの間にか
作業モード(与えられた仕事を淡々とこなす状態)になっていることがある。
クリエイティブな状態が弱まる気がするのだ。
だから最近は、プロットを練った後、
それを見ずにネームを描くようにしている。
そして、その場でもアイデアを練り続けるように気をつけている。
2.時系列を淡々と連ねてしまい、倒置表現が消える
今回の仮説。
僕のプロットの書き方は、
出来事を時系列順で書くという形式だ。
(意識していなかったが)
理由として、
プロットを書いている時の思考法が、
演繹的……つまり
「まず1の状態でスタート」
「ってことは2が起こるな」
「その後3になるな」
みたいな場合が最も多いし、
帰納的に……
先に「5」という結末を決めて、
「4→3→2→1」と逆順でアイデアを練る場合でも、
無意識のうちに、
プロット上では1から順にまとめているからだ。
そしてそのプロットを見ながらネームを書くと、
意識しない限り、
時系列通りにしか描かなくなる。
プロットが時系列通りに記してあるからだ。
こうしてみると、バカみたいだ。
というかバカだ。
思考停止。
信じ難い。
だが他に思い当たるフシがない。
僕は、こんなことが原因で
いつの間にか時系列の倒置を使わなくなっていた。
3.プロット通り、愚直にストーリーをなぞる。
プロットに引っ張られて、省略を忘れがちになる。
これも今回に絡む。
プロットはアイデアを練る材料でもあるので、
途中の展開、補足説明等(マンガ上には描かなくてもいい)を
省略せずに書き出す事が多い。
だが当然、
起こった事実(歴史)と
人に伝えるべき内容(魅せ方)は全然違う。
当たり前だ。
魅せ方を意識すれば、省略は自然に使う。
途中を省く事で、
その謎に、かえって惹き付けられたり、
テンポやスリルが生まれたり、
後々のカタルシスが増したりする。
「その世界で起こること」じゃなくて
「読者に伝えること」を主眼に描けば自然とそうなる。
しかし、
そこに注意せずにプロットを見ながら漫画を描くと、
プロットの『情報過多』に引っ張られてしまうのだ。
いやマジで!
こうして書くと、そんなわけあるかと思えるが、
自分の様子を振り返るに、そんな気がしてならない。
絵を描くのが苦手で、省略を多用していた過去
もう1つの理由として、
昔は今の数段、
描きたいシーン(絵)が描けなかった事が挙げられる。
(今も下手だよねという話はここではやめよう!)
例えば、
『爪でひっかく』という絵を描きたいと思っても、
どうしても描けなかった。
頭の中にボンヤリとしたイメージはあるのに、
何度描いてもそれにならない。
妥協して「普通に読み進められる」ところで済まそうにも、
そのレベルにすらならない。
結果、1分で描けそうな一コマに、
何時間もかかってしまっていた。まじです。
故に、
漫画を描くのは好きだったが、同時に苦痛でもあった。
だから、
描いていて面白くないシーンを必死に省略した。
ノリノリで描けるところだけを描くように、工夫した。
その結果、
倒置や省略を無意識で活用するようになったのだろう。
(多用しすぎることもあったが。)
しかしいつの間にか、
・少し作画に慣れたという事
・地味なシーンをしっかり描くことも時には必要だと悟った事
・趣味から仕事に変わった事
などから、
そういう傾向が弱まっていたようだ。
無意識に出来ている事は、
出来なくなっても気づきにくい
倒置や省略は、
もともと無意識で使っていた技法なので、
何らかの環境変化により、
気づかないうちに消え失せていたのだ。
そして最近、たまたまそういう視点で振り返る事ができ、
たまたま気がついた。
失ったことにすら気づけない、というのは恐ろしい事だ。
思わぬ弊害、というのは
当たり前だが、どこで生じるか分からないし、
どこでその事実に気づけるかも分からない。
感覚の言語化、というのは時として感性を縛るが、
言語化していない感覚は、
失っても気づかない可能性が高い。
はっきり言って恐ろしすぎる!
ぼくのかんがえた、たいさく
申し訳程度に、対策案を書いておきます。
・客観的な情報に触れる。友達に聞く
・自己分析して言語化する遊びをたまにやる
・昔の自作品を読んで、今との違いを考察する
・普段からコツを言語化する
(感覚の言語化には、
言葉がひとり歩きして拘束力を持つという弊害もあります)
以上です。
(近況)
この数ヶ月、ずっと水面下で新連載用のネームを練ってます。
故にたまに息切れし、こうやって浮上して息を吸い、また潜っていきます。
クジラです。
脳潮プシャーーー!!!!!!!!
@taks_Zxim
書き残しておきます。
※19:30加筆(『途中省略』への言及を追加)
『時系列倒置』『途中省略』という便利な表現技法を、
いつの間にか、使わなくなっていたのです。
____________________
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要約
・『時系列倒置』『途中省略』という表現技法は有用
・無意識に出来ていた
・いつの間にかやらなくなっていた
・(理由1)プロットを使い出した弊害
・(理由2)絵を描く苦しさが減った弊害
・たまに自己監視するのだいじ
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『時系列倒置』とは?
時系列を入れ替えた描写のこと、と定義しておきます。
通常の
1→2→3→4 に対し
倒置は
3→1→2→4 など。
例:時系列倒置
・「な、なんじゃこりゃああああああ」
驚くじいさん、ばあさん
・赤ちゃん「おぎゃあ、おぎゃあ」
・まな板に乗った、巨大な桃
・回想。
「川で洗濯中、大きな桃が流れてきたのだった
例:時系列通り
・「おばあさんが川で洗濯をしていると、大きな桃が流れてきた
・(中略)桃を切る
・赤ちゃん「おぎゃあ、おぎゃあ」
・「な、なんじゃこりゃあああああ」
※アングルの倒置表現、も似た仲間
(今回は話題にしないが、共通点は多い)
例:アングル倒置
・ドカーーン(大爆発だけ写す)
・引いた画面で、爆発と共に戦闘機を写す
(戦闘機による爆撃だったと分かる)
『途中省略』とは?
通常の
1→2→3→4→5→6 に対し
省略は
2→4→6 など。
例:途中省略
・おばあさんが川で洗濯をしている
・(場面転換)
じいさん「こんなものが川から流れてくるとはのぅ……
・まな板の上に巨大な桃
・ばあさん「さて、食うとしよう!」 桃を割る
・二人「こ、これは……!!」
・~10年後~
桃太郎「おじいさま、おばあさま、行ってまいります
・二人「本当に行くのか、桃太郎よ……
(以下略)
省略技法は常にまぁまぁ使っていましたが、
昔のほうが上手く活用出来ていた気がします。
『倒置表現』『省略表現』の主な効果は?
・好きな部分、見せたい部分から描き始められる
→メリハリが生まれる
・「なんだ?」(謎、不安発生)→「そういうことね」(スッキリ)
→普通の出来事でも、それなりに退屈なく読める
・(倒置)省略できる量が増える
→先に結果を見せて、その道程を説明、という順序だと、
必要な途中説明がグッと減る。
退屈なシーンをバッサリ切って美味しいところだけを描ける。
行間を予想する行為自体も、それなりに楽しい読書体験になり得る。
※やり過ぎると、「理解し難い」という弊害を生む
いつの間にか使わなくなっていた
ここが今回のポイントで、
僕はいつの間にか、『時系列の倒置』『途中省略』というこの便利な技法を、
無意識のうちに(ほとんど)使わなくなっていたのです。
※途中省略はそこまででもないが、頻度は減った。
我流でWEBマンガ『オーシャンまなぶ』を描くうちに、
いつの間にか使い始め、(ライオー編の頃から)
有効性を理解し、実感し、
まぁまぁ多用していたはずなのに、
いつの間にか使わなくなっていた。
そのことに、ふと最近気付き、恐怖し震え、
そして原因を色々と考え……
1.『プロットを用いるようになったこと』
2.『絵を描く苦痛が減ったこと』
の2つが仮説として浮かんできた。
プロットとは
小説やマンガなどで、ストーリーの流れを端的にまとめたもの。
形式は様々だが、
桃太郎なら例えば以下のようになる。
プロット例:桃太郎
・山奥で、おじいさんとおばあさんが生活
・おばあさんが川で巨大な桃を拾う
・桃から男の子が出てくる(桃太郎)
・すごいスピードで成長
・鬼退治に行くと言い出す
・道中で、犬、猿、キジが仲間になる
・鬼を倒す
プロット自体は便利です。
ざっと思いつくメリットは以下。
・全体の流れを把握できる
・プロットを元に、更にアイデアを練れる
※アイデア変更のコストが低い。変えまくっても大丈夫。
・編集者に見せ、それを元に議論できる
※ネームに比べ、短期間で出来る
・長期連載において、整合性が崩れにくくなる
・思いついたアイデアを漏らさず書き出せる
確かに便利で、
商業連載を始めるちょっと前くらいから僕も使い始めました。
(それまでは、頭の中でアイデアを練っておき、
真っ白の原稿用紙にぶっつけ本番で描いていた)
プロットの弊害
しかし、
気をつけないと大きな弊害を生むと最近感じます。
3つの弊害。
1.絵からアイデアが膨らむ機会の喪失
僕だけかもしれないが……
プロットを見ながらネーム(漫画)を描くと、
プロット段階のアイデアに従順に従い、
脳が、いつの間にか
作業モード(与えられた仕事を淡々とこなす状態)になっていることがある。
クリエイティブな状態が弱まる気がするのだ。
だから最近は、プロットを練った後、
それを見ずにネームを描くようにしている。
そして、その場でもアイデアを練り続けるように気をつけている。
2.時系列を淡々と連ねてしまい、倒置表現が消える
今回の仮説。
僕のプロットの書き方は、
出来事を時系列順で書くという形式だ。
(意識していなかったが)
理由として、
プロットを書いている時の思考法が、
演繹的……つまり
「まず1の状態でスタート」
「ってことは2が起こるな」
「その後3になるな」
みたいな場合が最も多いし、
帰納的に……
先に「5」という結末を決めて、
「4→3→2→1」と逆順でアイデアを練る場合でも、
無意識のうちに、
プロット上では1から順にまとめているからだ。
そしてそのプロットを見ながらネームを書くと、
意識しない限り、
時系列通りにしか描かなくなる。
プロットが時系列通りに記してあるからだ。
こうしてみると、バカみたいだ。
というかバカだ。
思考停止。
信じ難い。
だが他に思い当たるフシがない。
僕は、こんなことが原因で
いつの間にか時系列の倒置を使わなくなっていた。
3.プロット通り、愚直にストーリーをなぞる。
プロットに引っ張られて、省略を忘れがちになる。
これも今回に絡む。
プロットはアイデアを練る材料でもあるので、
途中の展開、補足説明等(マンガ上には描かなくてもいい)を
省略せずに書き出す事が多い。
だが当然、
起こった事実(歴史)と
人に伝えるべき内容(魅せ方)は全然違う。
当たり前だ。
魅せ方を意識すれば、省略は自然に使う。
途中を省く事で、
その謎に、かえって惹き付けられたり、
テンポやスリルが生まれたり、
後々のカタルシスが増したりする。
「その世界で起こること」じゃなくて
「読者に伝えること」を主眼に描けば自然とそうなる。
しかし、
そこに注意せずにプロットを見ながら漫画を描くと、
プロットの『情報過多』に引っ張られてしまうのだ。
いやマジで!
こうして書くと、そんなわけあるかと思えるが、
自分の様子を振り返るに、そんな気がしてならない。
絵を描くのが苦手で、省略を多用していた過去
もう1つの理由として、
昔は今の数段、
描きたいシーン(絵)が描けなかった事が挙げられる。
(今も下手だよねという話はここではやめよう!)
例えば、
『爪でひっかく』という絵を描きたいと思っても、
どうしても描けなかった。
頭の中にボンヤリとしたイメージはあるのに、
何度描いてもそれにならない。
妥協して「普通に読み進められる」ところで済まそうにも、
そのレベルにすらならない。
結果、1分で描けそうな一コマに、
何時間もかかってしまっていた。まじです。
故に、
漫画を描くのは好きだったが、同時に苦痛でもあった。
だから、
描いていて面白くないシーンを必死に省略した。
ノリノリで描けるところだけを描くように、工夫した。
その結果、
倒置や省略を無意識で活用するようになったのだろう。
(多用しすぎることもあったが。)
しかしいつの間にか、
・少し作画に慣れたという事
・地味なシーンをしっかり描くことも時には必要だと悟った事
・趣味から仕事に変わった事
などから、
そういう傾向が弱まっていたようだ。
無意識に出来ている事は、
出来なくなっても気づきにくい
倒置や省略は、
もともと無意識で使っていた技法なので、
何らかの環境変化により、
気づかないうちに消え失せていたのだ。
そして最近、たまたまそういう視点で振り返る事ができ、
たまたま気がついた。
失ったことにすら気づけない、というのは恐ろしい事だ。
思わぬ弊害、というのは
当たり前だが、どこで生じるか分からないし、
どこでその事実に気づけるかも分からない。
感覚の言語化、というのは時として感性を縛るが、
言語化していない感覚は、
失っても気づかない可能性が高い。
はっきり言って恐ろしすぎる!
ぼくのかんがえた、たいさく
申し訳程度に、対策案を書いておきます。
・客観的な情報に触れる。友達に聞く
・自己分析して言語化する遊びをたまにやる
・昔の自作品を読んで、今との違いを考察する
・普段からコツを言語化する
(感覚の言語化には、
言葉がひとり歩きして拘束力を持つという弊害もあります)
以上です。
(近況)
この数ヶ月、ずっと水面下で新連載用のネームを練ってます。
故にたまに息切れし、こうやって浮上して息を吸い、また潜っていきます。
クジラです。
脳潮プシャーーー!!!!!!!!
@taks_Zxim
(著者)
>>1
プロット通りに書いた結果冗長になって変更したのかもしれません(うろ覚え)