■こんにちは、編集長の荻上チキです。音楽フェスで、政治デモで、お祭り会場で、あちこちで「熱中症にご注意を」と呼びかける声を聞く暑い日々が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。今号は、vol.106とvol.107の合併号。いつもよりボリューム増でお届けします。
■巻頭を飾る、政治学者・吉田徹氏の寄稿「政治の競合モードを再考する」は、次の選挙について熟考するためのヒントが満載です。多くの人が歓迎したように見えた二大政党制の現在のあり方が、間違っているのであれば、その理由はどこにあったのか。今後の政治は、その困難をいかに克服すればいいのか? 政治学の古典をふまえながら読み解く、重要な論考です。
■続いてお届けするのは、原子物理学者・早野龍五氏のロング・インタビュー、part.2です。前回は荻上への「試験」で始まった早野氏へのインタビューですが、今回は早野氏自身が原発事故後、「黙る」らずに、twitterなどで次々と発信を続けた理由と、その裏にあった事情に迫ります。歴史に残すべき重要な証言の数々。みなさん自身が「目撃者」の一人になって下さい。
■熊谷晋一郎氏と荻上との対談「誰のための『障害者総合支援法』」では、障害学研究者で、医師でもあり、脳性麻痺当事者である熊谷氏と「障害者自立支援法」の改変によって生まれた「障害者総合支援法」を氏がどう受け止めているのか? そもそも障害ケアは現在、いかなる課題を抱えているのか? 語り合いました。
■教育が専門の畠山勝太氏の寄稿「不充分な教育の代償」では、教育が不十分であった際の具体的なリスクを、個人レベル、そして社会レベルで実証的に検証していきます。日本は教育に力を入れ損なっている国ですが、あらゆる不作為を放置する口実に、「財政難」が使われてはたまりません。畠山氏の提示する、教育の統計的・マクロ的議論は、本来あるべき道に光を照らしていくためにも、ますます多くの注目を集めて欲しいものです(拡散希望!ですね)。
■川口有美子氏と荻上との対談では、ALSの基礎的な解説と、現在提示されている「尊厳死法案」の問題点を伺いました。健康のまま死ぬことを理想とし、障害を持った状態で死んでゆくことを「可哀想=尊厳なき死」と位置づけるかのような法案は、理念面だけでなく実態面でもさまざまな「穴」があるのではないか? 慎重な吟味が必要となります。ぜひ、あなたの死生観を確かめながら、議論にご参加いただければ幸いです。
8月27日(月)18:30~川口氏を呼びかけ人の一人とする「尊厳死の法制化を認めない市民の会」発足集会がグランドヒル市ヶ谷、瑠璃の間で開かれます。豪華ゲストも予定されているとのことですので、皆様、ふるってご参加下さい。
http://www.facebook.com/events/102628456554111/
■今回はスペシャル企画として、写真家のホンマタカシ氏へのインタビュー「撮ることそれ自体――もう一つの見方」も掲載。読む者も試されているかのようなスリリングな対話から「写真」という表現の魅力に迫ります。写真を見るという体験を、ますます豊かなものにしていくための言語を獲得するようなインタビューを、どうぞご堪能ください。
■NHK出版の編集者・松島倫明氏は、『フリー』『シェア』『パブリック』といった思想系の翻訳書をたてつづけにヒットさせた立役者です。思想・翻訳のマーケットを、編集者はいかなる戦場と捉え、どのような戦術で立ち向かっているのかを「告白」しています。
■そして、根強いファンを多く持つ出版社・国書刊行会の編集者、樽本周馬氏へのインタビューでは、国書刊行会の歴史と、独特の出版戦術、そして書籍への熱き情熱が語られます。いずれも、書籍ファン必読です!
■次号は vol.108、9月15日配信予定です。お楽しみに!
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※編集部よりのお詫びと訂正
・前号の、はじめにで、杉田晶子さんがサンデル教授の著書を翻訳されたと誤解をまねく表現がありましたが、正確には教授の講義を訳されていますが、教授の著書を訳されたことはありません。
・栗原裕一郎さんの名前のふりがなに間違いがありました。
誤(くりはら・ゆういちろ)
正(くりはら・ゆういちろう)
お詫びして、訂正します。
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★今号のトピックス
1.政治の競合モードを再考する
………………………吉田徹
2.早野龍五氏ロング・インタビュー2(聞き手:荻上チキ)
――原発事故後、なぜ早野氏は「黙らなかった」のか
3.対談/熊谷晋一郎×荻上チキ
誰のための「障害者総合支援法」
4.不充分な教育の代償
………………………畠山勝太
5. 対談/川口有美子×荻上チキ
「尊厳死」~生と死をめぐる自己選択
6. インタビュー/ホンマタカシ(聞き手:永井雅也)
撮ることそれ自体――もう一つの見方
7. 翻訳書の現在 ~マスマーケットと開かれた知
………………………松島倫明
8. インタビュー/樽本周馬
国書刊行会《未来の出版、未知の編集》
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chapter 1
吉田徹
政治の競合モードを再考する
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かわりばえのしない政策、多くの政党……
二大政党制から実質多党制時代へ
流動化する日本の政治を明快に分析する
何のための政治か
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◇はじめに
野田内閣の消費税増税案の衆院可決を機に、政界は一気に流動化した。小沢・民主党元代表による「国民の生活が第一」が結党され、他方では「大阪・維新の会」が国政進出を伺い、次の総選挙の行方は不透明になる一方だ。衆院だけをとってみても、小沢新党以外にも公明党、みんなの党、共産党、社民党、たちあがれ日本、新党改革、新党日本と多くの政党が凌ぎを削っている。
政治や社会は構造とプロセスから成り立つ。プロセスは、多数のアクターの思惑によって現在進行形で進められていく。他方で、構造はこうしたアクターの思惑を制約する形で、意図せざる結果をもたらす。ギデンズが「構造-主体」論争に決着を付けたように、アクターと構造は相互作用的な存在だからだ。こうした観点からすると、今回の「政変劇」は、一旦は定着したかにみえる民主・自民による二大政党制という構造がアクターのチャレンジを受けて揺らぎ、政治の大きなフォーマットの変更の予兆のようにみえるかもしれない。
◇二大政党制の特性と定義
まず「二大政党制」という場合の定義を明確にしなければ、正確な現状判断は下せない。日本語で言うところの「二大政党制」は、英語の「二政党制(two party system)」とほぼ同義だが、その場合、勘案しなければならないのは、政党の数(2つ)だけではなく、政党間でどのような競合関係が展開されているかである。「二政党制」や「穏健な多党制」、「分極的多党制」といった政党制の類型を提唱したことで有名なサルトーリが重視したのは、有意な政党の数だけでなく、こうした政党制の下の競合関係のパターンを整理することでもあった。
もし政党制を有意な政党のみでもって図るのであれば、純粋な二大政党制を持つ国はアメリカ位しか存在しなくなってしまう。また、それは静態的な分類でもあるから、ドイツやカナダは実際には「二大政党制と二分の一政党制」(ウォリネッツ)であるなどと、パターンが際限なく増えていくことになる。
つまり政党制とは、有意な政党の数(フォーマット)から定義されるだけでなく、政党間競争から生じる相互作用のシステムのことなのである。このような関係性から二大政党制をみた場合、「二政党制」と「穏健な多党制」での競合様式は同じ性質を持ち、何れの場合も政党は二極を形成した上で、中道票を求める求心的競合を展開する、とサルトーリは分析している(『現代政党学』)。つまり、その作動の在り方において、二大政党制と「穏健な多党性」は類似しているのである。
軽々な判断は慎まなければならないが、こうしたシステム面からみた場合、「二大政党制」の特徴は今でも有効である。民主党は国民新党等と、自民党は公明等とそれぞれ2つのブロックを形成し、無党派層を奪い合うという競合関係は変わっていないからだ。先進国では、遠心的な競合を展開する分極的な多党制は減少し、むしろ「穏健な多党性」をベースとする「二極ブロック化」がトレンドになっている。
その理由として、政治学者のメアーは、近主要政党間の政策的対立軸が衰退し、選挙が政策やイデオロギーの実現を巡ってではなく政権獲得を目指すものとなり、政党政治がもはや疑似的な競争しか実現できないゆえ、各党が政党リーダーを前面に出して戦うようになったことが挙げられるとしている(P.Mair, "Party System Change” 2006)。
こうした構図は今後も継続すると考えられるし、二大政党の何れを核としたブロックしか政権に就く可能性がないという意味では、日本の二大政党制が簡単に崩れるとは考えにくい。それが日本流のハングパーラメント(宙ぶらりんの議会)の実現に至る可能性は排除できないにせよ、その場合は過半数を達成できるブロックが形成されるだけにすぎない。
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