“α-Synodos” vol.276(2020/6/15)
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“α-Synodos”
vol.276(2020/6/15)
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〇はじめに
「αシノドス」vol.276をお送りいたします。
最初の記事は橋本努さんの「新型コロナウイルスとナッジ政策」です。イギリスがコロナ対策を転換する前、「集団免疫化戦略」を唱えていたときに、そのバックボーンとなっていたのがナッジ政策です。これはすぐに撤回されましたが、しかし今後しばらくはコロナとともにある生活を余儀なくされるだろう中にあって、ナッジ政策が重要なものとなるのは確かでしょう。この記事を読んで、ぜひみなさんも有効なナッジ政策を考えてみてださい。
ついで三谷はるよさんの「市民活動をめぐる“3つの事実”――「ボランティア」とは誰なのか?」。ボランティアの広がりは、その社会あるいは公共心の成熟度を示すひとつの指標になりえますが、では、日本ではボランティアは実際どの程度根付いていて、どのような人がボランティアに熱心なのでしょうか? よく言われる95年の「ボランティア元年」から20年以上たった今、じつは日本にボランティアは根付いてないことを、三谷さんは調査研究によって明らかにしました。ではどうすればいいのか? この点も含めてお読みください。
新型コロナウイルスによって、その存在のあり方が根底から揺さぶられているのが「都市」でしょう。グローバリゼーションの進展と拡大によって多様な人々が集まり集積することによって、イノベーションを起こしていく空間としての都市。こうした都市のステータスは今後どうなっていくのでしょうか? ちょうど『上野新論』を公表し、流動性と集積性、多様性に満ちた都市的な場所としての魅力を語った五十嵐泰正さんにご考察いただきました。「『上野新論』――「都市の時代」が危機を迎えたなかで」です。
今月の「学びなおしの5冊」は倉橋耕平さん、「メディア論の問いを磨く――言論を読み解く視座として」です。メディア論というと、何でもありの、なんだか輪郭がはっきりしない学問分野に見えるかもしれません。しかしそこには明確な問いのスタイルがあります。「何が語られているか」よりも「どこで/どのように語られているか」に焦点を当てることです。つまり、メディアという「容れもの」に焦点を当てたとき、開かれてくる地平がメディア論です。あげられている5冊の本から、メディア論の明確な意思を読みってください。
先日、光文社新書から『搾取される研究者たち 産学共同研究の失敗学』という本が出版されました。一読して、「まともな契約書も交わされていないこんなに原始的な関係の中で、大学の研究者たちは企業に搾取されているのか」と大きなショックを受けました。そこで著者の山田剛志さんにお願いして、本書のエッセンスをまとめてもらいました。「社会のためになりたい」という研究者の心情をいいように利用している企業の醜悪な姿をみると、これは間違いなく「国家的な損失」をもたらしていると思います。
最後は平井和也さんの海外メディアまとめ。今月は「コロナ情勢下における香港と台湾に対する中国の圧力」です。ご存じのように、中国の恫喝的な外交の勢いは増すばかりです。民主主義陣営の重要な一員である日本もまた、こうした動向に対しては敏感であるべきでしょう。そこで平井さんに、コロナ情勢下で中国が香港と台湾に対して圧力を強めている動きについて報じた海外メディアの記事やシンクタンクの論考についてご紹介いただきました。
次号は7月15日配信となります!
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