“α-Synodos” vol.272(2020/2/15)
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〇はじめに
αシノドスの読者の皆さん、こんにちは。シノドスの芹沢一也です。Vol.272をお送りいたします。
「遺伝」と「環境」、どちらの影響力が強いのか? 最近は遺伝の影響を強調する議論をよく目にします。でも、そうなると、教育にはどのような意味があるのだろうか。あるいは教育学は遺伝研究をどう受けとめているのか。このような疑問を、教育学の荒木啓史さんにご解説いただきました。「遺伝か環境か?――ゲノム科学と社会科学の融合(Sociogenomics)が教育界にもたらすイノベーション」です。
教育と「道徳」。このテーマも最近とても気になります。安倍政権になって、教育の道徳化ともいうべき事態が進んでいます。去年から、中学校で「道徳科」がスタートしました。スタートしてしまったからには、それを有意義な時間にするにはどうすればよいのか、と考える方が生産的だと思います。神代健彦さんによる「道徳を「教える」とはどのようなことか――「押しつけ」と「育つにまかせる」の狭間を往く教育学」はそのための大きなヒントを与えてくれます。
財務省の「教育」効果かどうかはわかりませんが、日本の財政についての報道はかなりまゆつばな話が多くあるようです。中里透さんの「財政のことは「世の中にとっての」損得勘定で考えよう!」によると、それは財政を道徳や倫理の問題と混同しているからではないかとのことです。たしかに、国の財政をあたかも家計と同列において、「借金」や「無駄遣い」を道徳的に戒めるような論調が目立ちます。しかし、財政とはそのように論ずべきものなのでしょうか?
最近は毎日のように目にするネットの「炎上」。気になっているのは左派やリベラルによる炎上がやけに多い気がすることです。いわゆる「ポリコレ棒」を振り回して、あたかも道徳警察のごとくさまざまな領域における不正義を糾弾しているようにみえます。なぜ、左派やリベラルがこのような炎上メーカーになるにいたったのでしょうか。伊藤昌亮さんがその歴史と構造を読み解きます。「ネット炎上のポリティクス――そのイデオロギー上のスタンスの変化に即して」です。
事実上の移民解禁に伴って、日本も今後は、異なった文化的背景をもつ人々と生活をともにしていきます。そこでは、さまざまにコミュニケーション上の摩擦が生ずるはずです。いまからそうしたケースを考えておくことはきっと役に立つことでしょう。「薄氷の上を歩くような感覚」だというマルチカルチュラルな社会の様子を、穂鷹知美さんの「マルチカルチュラル社会入門講座――それは「失礼」それとも「人種差別的」?」が伝えてくれます。
戦争において「民間人」は攻撃の対象とならない。おそらく多くのみなさんが、常識的な意見あるいは感覚として、そう思っていると思います。しかし、敵の兵士を殺すことが許されて、民間人は許されないという根拠はどこにあるのでしょうか? 実際考えてみると、これはかなりの難問であることがわかります。では、戦争倫理学はこの問題をどう考えているのか。福原正人さんにご解説いただきました。「戦争倫理学と民間人保護の再検討――民間人殺害はなぜ兵士殺害より悪いのか」です。
次号は3月15日配信です。どうぞお楽しみに!
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