はすむかいポジティブ

才能は怖い、でも逃げない。

2019/02/04 21:40 投稿

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中学のときは卓球部でした。
当時の卓球部があんまりやる気がないように見えたのと
太っていた(今も太ってるけど)ので運動が嫌いだったのと
仲の良かった友達が皆、卓球部に入ってしまったから
というテキトーな理由で、中学のときは卓球部でした。

女子卓球部は強かったので
ちゃんとした部室と設備が用意されてて。
潤沢な数のボールを贅沢に使って練習していたのに対し
男子卓球部は旧校舎の空いている美術室でしたね。
部費もあんまりもらえないのでボールはNittaku一箱。
割れるまで使い、へこんだらお湯で回復させて使い倒す。
女子卓球部室の外に落ちている玉を
拝借しにいくこともありました。
そんな中で一生懸命適当に汗を流していましたね。

シェイクラケットを知ったのが卓球部に入ってからで。
こっちのほうがペンより持ち方簡単でいいな
とか思ってシェイク使ってましたね。
ほんで、先輩からカットマンという
プレースタイルがあることを教わって
名前の響きがカッコいいのもあってカットを練習してました。
うまいことカットできるわけでもなかったし
前後のフットワークも大したことなかったんスけど。
カットマン(裏ソフト:ツブ高)でやってましたね。

まあ、皆と一緒に練習して
そこそこ上手になってはいるけども
土日も練習に費やしている友達に敵うわけがなかった。
当然、大会で好成績を残すこともなかった。
かといって悔しかったかというとそうでもない。
全然真剣ではなかったから当たり前である。
卓球が好きで好きで
上手になりたいモチベーションがあったわけではない。
何か部活に入らなければならなかったから
上記の通り、友達を追うようにして入っただけ。
野球部やバスケ部、剣道部などに入ったら
吐くほどしごかれて大変だ。
卓球部くらいが丁度いい、程度の気持ちだった。

あれはいつだったろう。
ある日友達に叱られた。

「お前は努力もしないで欲しがるバカだ」

どういう経緯で言われたのか全然覚えていない。
帰り道の途中で友達に叱られたその瞬間だけ覚えている。
部内で一番うまい友達に、この言葉をぶつけられた。
当時の心情としては”へいへいすんませんね”くらいの
可愛げなく、聞き捨てる感じで対応していた気がする。
当時の自分としては、自分なりにできることはしている
そんなつもり、気持ちでいたからだ。

「人の気も知らないで。才能があって頑張れるお前と
 才能のない俺とは違うんだ」

才能というものに逃げていた。
才能があるからうまくいっていて
同じように努力したってダメなものはダメ。
才能というもののおかげでお前はうまいんだから
同じような結果や努力を俺に押し付けるなよ、と。

努力をしない、ただ怠惰な自分から逃げて
才能がないということに、ある種救われていた。
才能というどうにもならないものがあることを信じ
ドライで合理的な自分を演出することで
要するに、言い訳をしていたのだ。

全く堪えてないと思っていたが
こうして今になって結構鮮明に思い出せるあたり
自分の深いところに、それなりに刺さっていたのかと
ちょっと驚く自分に気づいたのは、だいぶ大人になってから。
才能に対する向き合い方として
自分は一番怠け者な向き合い方をしていたのだなと。

もっと才能というのは、羨ましがったり
欲しがったりするものだろう。
「あいつに勝ちたい」
「もっとうまくなりたい」
そういう野心や向上心を後押しするものとして在り
欲したり、磨きをかけたりするものだ。
負けず嫌いをこじらせすぎて
最初から何もしなければ勝ちも負けもないという
もっとも卑怯な戦法をとるために才能を持ち出した
自分のような使い方・用い方は本来の用法ではないはず。

もっといろいろな
カッコいい才能との向き合い方がある。

そういうものを見せてくれたのが
自分にとっては「ピンポン」でした。


この映画はほんとに面白い。
ピンポンの世界を壊さず実写化に成功しているし
現代的でおしゃれな娯楽青春映画として仕上がっている。
そしてちゃんとスポ根してて卓球(当時はマイナースポーツ)
がすごくカッコよく見えてくるし、とても熱い!
「あんたはオイラに飛び方を教えてくれた」とか
「来んな。少し泣く。」とか
「飛ぶんだろうがぁ!」とか
「反応反射音速光速!」とか
「いい子だ」とか
セリフを思い出すと高ぶりますな。
才能に翻弄されるキャラたちが切磋琢磨する物語が
とにかく男の子ゴコロをくすぐりまくり。
今でもStrobolightsはアゲるときの曲の一つになってます。


ピンポンを見ると
才能って、本当にままならないって思う。
夢とか希望、勝利や成功というポジティブで
誰もが欲しがるものだけでもないことに気づかされる。
才能を欲しがる前に、一回考えようか、という思いになる。
才能は、求める人間に求めたとおりのものが
与えられるわけではないし
借りに、求めたとおりのものが与えられていたとしても
それでも人間は弱いから、その受け止め方をときに誤る。

才能から逃げるペコ
才能を背負うドラゴン
才能に興味のないスマイル
才能を欲するアクマ
才能を信じるチャイナ

それぞれがそれぞれのアプローチで才能と向き合い
才能に翻弄されながら卓球に打ち込む。

その中でもやっぱアクマは凄いと思う。
目が悪い(乱視だっけ?)というハンデを受け入れ
努力で補おうと徹底的に練磨する姿は
自分にはないものだった。
凡人としての戦い方がそこにはあって
泥臭くて、自分的には一番カッコよかったと思う。
「どこ見て歩いたら褒めてくれんだよ!」は
年取ってから見ると、ちょっと”うるっ”とくるセリフだ。
きっとアクマは何をやっても、どこに行っても
成功するのだろうなぁ、とか思う。今見ると。

才能があってもなくても、人は苦しむ。
どんな境遇だろうと立場であろうと
等量に人は苦しい。
それでも何かに打ち込む姿が、やっぱカッコいいのだ。
ピンポンにはそういう美しいものが描かれている。

そんなことを、最近の卓球ブームを見て
思い出したのでした。
いやーこんなことになるなんて
美術室でやってたころは夢にも思わなかった。
ワルドナーも同感のはずだw



このMAD最高!
俺もこんな動画をいつか作って見たい!
ピンポンのカッコいいものが全てここに入ってる!

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