水銀くんの隠れ家

【哲学】明日の「あなた」は本当に「あなた」ですか?

2019/12/11 22:30 投稿

コメント:11

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教師はこう言う。

「二年後を考えて勉強しろ」

「十年後を考えて生きろ」

しかし、こう言われたところでいまいちピンと来ない。

だが、これをピンポイントの1点で考えると途端に怖くなるのは自分だけだろうか。

例えば、1日後の、この時間ピッタリに自分が何をしているかを考えてみる。災害や事故に遭わない限りほぼ確実にこの部屋にいるだろう。トイレかもしれないし風呂に入ってるかもしれないしTwitterをしているかもしれない。それは分からないがここに存在しているはずだ。

ここで怖いのは、たった一日先の事なのに、明日の自分は今日(今)の自分のことを全く考えてないということだ。

今、自分は明日の自分の事が非常に気になっている。一体何をしながら何を考えているのか。しかし明日の自分はほぼ確実に気づかない(思い出さない)だろう。

自分が欲しいのはただ1点、明日の「今」だ。

明日の自分を例にしたが、これは1時間後でも良いし、50年後でも良い。こちら側からは考える(想像する)ことが出来る。大雑把ではなく、〜年後の「ちょうど今の時間」と。自分は何年後であろうと、確実にこの時刻に「いる」わけだ。地球上のどこかに。

時間は連続である。つまり〜年後の「今」という一点を確実に過ぎる。しかし、今こうして必死になってその時について考えてることなど覚えてるはずもない。

思考を巡らせていると、ふと、今の自分と今以外の自分は全く別物なのではないかと思えてくる。

こういうことを考え始めたのは今に始まったことではない。

小学生の頃の出来事。家でトイレを済ませた私は、月の変わり目だったのでカレンダーをめくった。それは私にとって珍しい行為だった。その時、「来月も、こうしてめくるんだろうな」と思った。同時に、「来月の今この瞬間は何をしているのだろう」と考えた。「暑いから半袖を来てるかな」「友達とゲームしてるかな」といった程度ではあったのだが。

しかし、来月のカレンダーは親がいつの間にかめくっており、次に自分がめくることになったのは、およそ半年後であった。その時にめくろうと思ったのも単なる思い付きであった。めくる瞬間に半年前を思い出した。「あぁ、ごめん半年前の僕、めくるの忘れてた…」。

その時、私は不思議な感覚に陥った。まるで、時がループしたような。気づいたら時間が経っていた。めくる前は確かに来月のことを考えていた。もちろん半年前から見た来月、つまり5ヵ月前のことなど覚えていない。

少し怖くなった。

そして、その瞬間に、今現在からみて、~日後、~か月後、~年後のことを考えた。

「〜年後の僕は今頃してるかな」

「~」に入る数字はもちろん忘れた。

ここでまた怖いのが、その「〜年後の僕」というのは、から見て、とっくに過ぎてしまっているかもしれないし、まだ数年先かもしれないし、今この瞬間かもしれない、ということだ。

それは分からないが、確実に言えることがある。

「いる」ということだ。

その時思い描いていた〜年後の自分が。人生の中のどこかには。気づくわけもないのに。

そして、今も文字を打ちながら考える。一年後の「この瞬間の」自分を。1年後の12月11日午後22時8分時点の自分を。

バイトはしているのか。授業はついていけているか。趣味は上手くいっているか。どうせこの時間だとまだ起きてこのベッドに座っているのだろう、などなど。気になることは山ほどある。そして1年後、この瞬間が訪れる事だけは確定している

また、未来の自分はいるわけだが未来の自分を作るのは今この一瞬一瞬である。時間を微分すると「今」になり、積分すると「人生」になる、とどこかの名言集で見たのを思い出した。どんな些細なことも未来に繋がる気がしてならない。自分はとある大学に通っているが、そもそもセンターの点数が実際よりもっと高かったらボーダーの高い大学にチャレンジしていたであろうし、低かったら志望校を下げていた。また、この大学に落ちていたら私立に通っている。このような人は自分だけではないはずである。受験規模だけでなく、実際には何十億人もの偶然が絡み合って「今」がある。これから先も。一つ一つの行動が自分や他人に影響を与え、絶えず、その人が「今」想像する「〜年後の自分」というものを常に変え続けている。


自分のことで言うと、春休みのバイトは何をするか。この後予習をするか復習をするか。明日の放課後に勉強をするか、配信をするか。今2択で悩んでいるAmazon電子機器商品をどちらにするか。明日の靴を左から履くか右から履くか。次のジャンケンでパーを出すかグーを出すか。どんな些細なことも何かしら今後に影響して、今想像している「〜年後の自分」は毎秒毎瞬更新され続けているのだろう。

人生は偶然の連続であるが、未来の自分は必然的に「いる」。その事は分かる。どんな先にいる自分であろうと無限に考えることが可能である。なぜなら、時間を細かくすると未来の自分というのは無限に存在するからだ。しかし無限に無視されることも分かっている。

分かっていることだらけなのにこの気持ち悪さは何なのであろうか。

来月の自分はどうしているのか、来月の「今」何を見て何を感じ何を考えているのか。考え出すと気になって気になって気になって仕方なくて仕方なくて仕方なくて。本当に気になって気になって気になって仕方なくて仕方ない。

まぁ、きっとこのような記事を書いた事もさっぱり忘れ、「カップラーメンなうw」とでもツイートしているのだろう。


コメント

08076399976
No.9 (2019/12/13 19:40)
一瞬後の自分が自分なら1日たっても自分だろう
一瞬後の自分が自分でないなら1日もたたずにそれは自分じゃない
もしかしたら自分じゃないかもしれないけど自分じゃなかった一瞬後は自分からは認識できないから自分が自分だった未来の時のみ認識できるのでそう考えても1日後の自分も自分だろう
もしかしたら一瞬後から自分でなく1日後の一瞬だけ自分になる可能性もあるけどそれでも自分であるなら自分だと思うけど
TIEFSEE
No.10 (2019/12/13 22:38)
自分とは何か。それを考えると頭がパンクした。
mukimei
No.11 (2019/12/13 22:42)
継続性があるスワンプマンの一種ですかねぇ……とても近い他人。と、私は思ってます。『テセウスの船』ですね。
一応、昨日の私に同じ話題を振れば、ほぼ同じ答えでしょうから、そこも継続されてるのは確かですが……。
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