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めっしゅの靴下のブロマガ

2012年秋に関ヶ原古戦場に行ってみた[3]

2013/06/30 22:00 投稿

コメント:2

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  • 日記
  • 戦国時代
  • 関ヶ原

 2012年秋に関ヶ原に行ってみたの巻・最終回です。JR関ヶ原駅→桃配山の家康最初陣→本多忠勝陣→家康最後陣→決戦地と周ってきました。



 そして、決戦地から更に自転車を漕いで、いよいよ笹尾山。石田三成や島左近が陣を構えたあのへんに向かいます。



 チャリで笹尾山のふもとまで行って、そこでチャリを降りて、山道を歩いていくのだが、入口に「よければ使って下さい」的な意味合いでが置いてある。



 …まだ30代で杖はねーわwってことで、借りずに登ったのだが、この笹尾山の登山道ってのが結構な急勾配でねぇ。ゆっくり登るだけでも結構なエネルギー使う所だった。しかも笹尾山に来るまでにメシ抜きでキッツい登り道をチャリ漕いでたのもあって、心底疲れたわ。ていうか桃配山から笹尾山に行くだけでも大変なのに、よう家康は人数的にも陣形的にも不利な中攻め入って勝ったものだなコレ。笹尾山の三成陣地に着いた時点でそう思ったわ。



 さて、登り切った後は、笹尾山から関ヶ原を一望できる展望台があるのだが、カップルが長時間占拠してて入りづらい。てか男の方が自信満々で話してる戦国薀蓄が所々間違ってるし。ちなみに展望台ってのがこんな感じ。







 看板には関ヶ原の開戦時の陣地図が書いてあって、展望台から「あーあのへんに福島正則の陣があったのか」「小早川秀秋がいた松尾山はあのへんなのか」とかが一発でわかる便利な展望台なのだが、バカップルがずっと占拠しててどうしよう。とか思ったら展望台から降りてこっちに来るから「どけてくれるのかな?」って思ったら「すいません、写真撮ってもらえますか?」



 (-_-;)「…ああー、いいっスよ。」



 撮ってあげました。シャッター切ったフリとかそういういやがらせが瞬時に思いついたが、実行はしてない。ただ爆発しろと念じながらシャッターは切った。まぁそれくらいはいいだろう。(自己判断)



 写真を撮った後にやっとどけてくれたので、私も展望台へ。











 先に張り付けた展望台の写真と合わせてご覧くだされ。本当にだいたいどのへんに誰の陣がひいてたのかがわかりやすくなってる。てか松尾山とか桃配山を含めた関ヶ原全体が一望できる最強の場所なんじゃないのココ。小説や漫画などで関ヶ原を取り扱ったものが多いが、実際に来てみると思った以上笹尾山に陣取った西軍最強すぐる。東軍がいる桃配山方面が結構な傾斜の下り坂(この手の地図で書かれてる笹尾山・桃配山・松尾山・天満山以外のあたりがいかにも高低差のない関ヶ原平野って感じで描かれてるが、実際には結構な高低差あるよね…。今回イヤというほど思い知ったよ…。)で、兵力的にも上で陣形も東軍を囲むような鶴翼の陣(小早川などの裏切り勢や吉川広家などの日和見勢含む)で笹尾山から全軍の動向がわかるオプション付き。これは三成はヘタ打ったなぁと言わざるを得ないな。なんてことを展望台から神にでもなったかのような高所目線で思ったり。



 ていうか黒田長政や福島正則が接してる笹尾山・天満山方面の兵力が宇喜多秀家以外が大した兵力を割いてないってのはこのへんの高低差を利用したものなんだね…。前から石田三成がいる笹尾山方面が手薄じゃね?これは周りを囲んでる陣形込みかな?って思ってたけど、多分それだけじゃない。やっぱ実際に来てみると新たにわかることもあるな。あと、開戦後に大谷吉継の奮戦や、三成が用意した大筒で西軍優勢だったというが、こっから大筒発射ってのは効果絶大だよなぁ。百聞は一見に如かずとはよく言ったものだ。



 あとね、展望台の看板の話に戻るんだけど、下の方に黒いボタンがあって、そのボタンを押すと、開戦から終わるまでの流れを音声ガイドで教えてくれます。なかなか便利です。



 笹尾山の展望台を離れた後は、石田三成が陣を敷いていたあたりの石碑へ。















 立札と、石碑の全体像と、石碑の下っ側部分の3種類を載せてみたのだが、他の石碑に行っても小銭が置かれてることはなかったのだが、三成の陣跡石碑には小銭が置かれていた。別に三成のファンって訳じゃないが、私も小銭をいくらか置いてきた。てかやっぱ関ヶ原に来る人って西軍派が圧倒的多数なんかな。昔、NHKでやってた「BS熱中夜話」の関ヶ原ナイトでも、戦国ファンが客席に集まってたのだが、西軍派が多数で、スタッフも東軍派の戦国ファンを集めるのに苦労したとかどうとか。(その番組の中で、その戦国ファンが関ヶ原を自転車で散策する企画があったのだが、松尾山にも行く予定だったのだが、その内の一人が「あんな所に行きたくない」とダダこねて松尾山散策が無くなってたり。)



 あ、あと誤解のないように言っとくと、家康が好きになれないとは書いたが三成派って訳でもないです。そんな好きじゃないです。まぁ、家康が江戸に飛ばされた後の政策や、幕府を開いた後の政策に影響を与えたくらいの優秀な官僚であったり、秀吉に対する忠誠心であったり、関ヶ原の後で小早川秀秋が佐和山城を攻めた際に「あの豊臣政権の№1官僚なんだからさぞやゴッツい蓄財してるんやろう」と期待してた秀秋勢の将兵の期待を裏切るもぬけの殻(自分の財を投げ打って豊臣政権の地盤固めだけを考えてたとかどうとか)。とにかく秀吉に対する忠誠心と下支えに徹した優秀な官僚って面は評価したいが、諸々の傲慢なエピソードを聞くにつれあんまりねぇ。もちろん、三成の傲慢エピソードは幕府による「三成って悪鬼羅刹だよねキャンペーン」や、関ヶ原の後も残った「三成を嫌った豊臣政権の武断派による悪口」で相当拡大されたもので、別に全部を信じてる訳ではないです。



 ただ、対人関係では不器用な面もあり、豊臣政権の権力者として気が大きくなっていたのは確かだし、人望も西軍現場指揮官(ほぼ総大将)としては無かったんだろうし、個人的に関ヶ原に向けての挙兵も純粋に豊臣政権の為なのかな?って気も。まぁ、家康の専横が進んでて、長いものには巻かれろと言わんばかりに趨勢が徳川方に向かっていて、それを危惧する忠臣は少なくなっていったんだろうが、なんで三成主導でやる意義があったんだろうな。豊臣政権に対する「義」や「忠誠」はあったんだろうが、その中での権力争いを制したいみたいな欲もあったんじゃないかな?てっぺんに秀頼が居て、その下に三成が居て、その中で全国を仕切っていって、三成に反した例の武断派をまとめて改易させたいって欲もあったろうし、その為に向かう手段としてもちょっとなんか違くね?ってのはある。まぁ潔癖な性格だったんだろうなぁ。秀吉の為だけを思った忠臣なんだろうし、当代きっての優秀な官僚ではあったのだろうが、大将の器ではないし、そんな中で大将格にしゃしゃり出るのを「義」でまとめるのはどうなんかなぁ。ってのは思います。まぁ、日本人の判官贔屓な気質も加算してるんだろうけど



 どこからともなく「それは同族嫌悪じゃね?」って声が聞こえてきそうだな。ていうか、こんなに三成人気が高い中でなんでわざわざ喧嘩売るような文章書いてんだろうかw



 そして、笹尾山を下りてふもとにある島左近陣跡にも寄る。







 島左近も三成より20近く年上で三成が破格の待遇で召し抱えた猛将で、左近もそれに応える忠臣ぶりってこともあり、某漫画の影響もあってかなり人気の高い武将(特に女性人気高し。)で、ここを訪れる戦国ファンも多いらしい。しかし、島左近って関ヶ原の後にどうなったんだろうなぁ。一般的な通説として戦死したことになってるが、京に逃げたって説もあったり。実際遺体はみつかってないしね(大谷吉継の場合は湯浅五助と藤堂高刑のエピが濃厚だし、まぁまず戦死したのはガチだろう)。







 さて、石田三成や島左近がいた笹尾山を離れて島津義弘陣跡に向かう。写真は途中での道すがら。1回笹尾山まで来れば、後は下り道だし、天気はいいし、最高すなぁ。











 そんでもって、島津義弘陣跡です。ここかぁ。あの捨て奸の起点は。島津義弘としては元々東軍派だった(伏見城で鳥居元忠に「お前三成とむっちゃ仲ええやん」って言われて東軍入りを拒否された)り、義弘が立てた作戦を三成にムゲに却下された経緯があって、ほぼ動かなかったせいで敗戦濃厚になった後も逃げ遅れて、かなり無茶な中央突破をするハメになったのだが、家臣が十数人毎にその場に座り込んであぐらをかいた状態で鉄砲を東軍に向けた壮絶な戦法をやった起点はここやってんなぁ。



 そんでもって、島津義弘陣跡を離れて開戦地に向かう。











 立札に書かれているけど、井伊隊・松平忠吉隊と福島隊で先陣争いをしたようだが、どっちが先に抜け駆けしたのかは本によって違ったりもするのだが、井伊直政も福島正則も関ヶ原に参陣した武将の中でもトップクラスの血気盛んな人だし、そういうこともあろうなぁ、とは。



 あとまぁ、小西行長陣跡や、関ヶ原400年記念モニュメントとかも見て回ってきました。











 このモニュメントのどこのどのへんが400年記念なんかよくわからんが、まぁ、えらいさんがデザインされたんやからなんかしらの意味があるんでしょう。きっと。



 ここまで回ったあたりで、JRの駅に戻る。本当は大谷吉継や平塚為広の陣跡や碑や墓にも行きたかったが、開戦地からそこまでの道は自転車不可の所を通らねばならなく、なにより結構な森の中を歩くことになるので、ちょっと怖い。すねいくとか出そうな雰囲気あったし。それにレンタサイクルの返却時間が迫ってきたので、駅に戻ることに。



 そんでもって駅前の様子。











 更に駅の中はこんな感じです。















 最後の関ヶ原の戦いの主要武将一覧は最初見た時は「おおおっ!」って思ったなぁ。しかも今の今まで関ヶ原で降りることがなかったから、座った椅子の位置次第で見えたり見えなかったりがあったり、見えても停車時間しか見えないからじっくりとは見れなかったのだが、こんな感じになってたのね。



 そして米原行きの列車に乗ったのだが、こんな広告があった。







 相変わらず浜名湖競艇はシュールや…。



 ちなみに関ヶ原を出たのが15時半くらい。帰りに大阪に寄ってクイズやったり、いつものラーメン屋に行ったりして帰りました。










 大阪では22時くらいまで遊んだかな?それから新快速に乗って姫路まで。







 こっから車にのって、2時間くらい国道2号をひた走って帰宅。帰りに天一とか寄ってたこともあって、2時半くらいだったかな?家出てから22時間くらい経ってるなw帰ってシャワー浴びて爆睡。







 自分用おみやげである黒田官兵衛グッズ。実際にストラップとして使わずに官兵衛グッズとして残してます。



 ちょっと手間はかかったけど、2012年に関ヶ原に行ってみたブロマガはこれにて終了です。行けなかった場所もあって心残りがあるにはあるんだが、秋晴れのいい日に関ヶ原古戦場をチャリで巡って行ったのはいい経験になったなぁと思います。歴史や戦国時代や戦国武将が好きな方ならぜひ一度行ってみてほしいなぁと。関ヶ原町の地域振興課としても古戦場である事をウリにして色んなイベントを開催していたり(3月20日の春分の日にはNHKの歴史系番組で有名な歴史学者の小和田哲男・静岡大学名誉教授をガイド役に迎えての東軍・西軍に分かれてのバスツアー企画があったらしいが、チケットは速攻で売り切れたらしい。私も行きたかったけど、チケットうんぬん以前にその日は普通に休日出勤だたーよ…。)しているし、7月には大人も子供も楽しめる「関ヶ原水鉄砲合戦」なんて企画もあるみたいです。よければ関ヶ原町役場地域振興課のHPかTwitterアカウントまで。



HP【http://www.kanko-sekigahara.jp/】

Twitter【https://twitter.com/1600_sekigahara】



 ていうか水鉄砲合戦行きたいな。水鉄砲とかもう30年近く触ってないけどw


コメント

妹尾 陸
No.1 (2013/07/01 01:42)
数も陣形も有利な状況からの敗北か・・・そりゃ、「やらかした」感じだねぇw
「勝負は下駄を履いてみないとわからない」ってのが判る話だな。
めっしゅの靴下 (著者)
No.2 (2013/07/01 04:36)
>>1 妹尾さん
 まぁ、そのへんは難しいところですよねぇ。ただ、島左近が提案した「家康が佐和山を通過する際に暗殺しちまえ作戦」も三成によって「それは正義じゃない」なんて杓子定規な返答で拒否ったりと、変なところで意地を通そうとしたりと虚虚実実な戦国の世にはちょっと向いてない感があったり。(実際に暗殺しようとした所で家康クラスが簡単に殺れる訳ではないのだが。)
 あと、実際に半日で東軍が圧勝した事実と、小早川秀秋の暗愚説(実際に暗愚だったのか、幕府による風説なのかは謎)があって、フィクションでは家康はわりと勝つ自信アリアリなイメージで書かれてるが、実際は家康サイドもかなりの博打だったんじゃないかな…?ってのが関ヶ原に実際に行って思うように。西軍もバラバラでまとまってないけど、東軍も紙一重でバラバラになる危険性をはらんでたような。
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