①
静寂に包まれた海辺のシェアハウス。いつもの若者6人の活気した雰囲気はまるで嘘のようにない。ダイニングではエドワードが思い詰めた表情で一人イスに座っていた。
「まだうじうじ落ち込んでるのか?」
タイタスがやれやれといった表情でやって来る。
「別に…」
ケイティが急に遠出をしてくると言って出て行ってから2日が過ぎようとしていた。レナからそのことを聞かされて、エドワードは今日まで心が落ち着くことはなかった。
「まさか、本当にケイティがお前にフラれたことが原因で姿を消したとか思ってるのか?」
「…」
「そんなわけねえだろ。あいつはそんなことで落ち込むやつじゃねえよ」
「…分かってるよ」
「分かってねえだろ!!」
タイタスが声を荒げる。咄嗟のことでエドワードは驚いた。こんなに感情的になるタイタスを見るのは初めてだ…。
「お前は何にも分かっていない!いつもそうだ、なんでも知ってるようなフリして、結局は何にも見えてねえじゃねえか!」
エドワードは何も答えない。
「なんでお前は人に頼ることをしない!?そんなに自分に自信があるのかよ!完璧な人間なのかよお前は!」
口を紡ぐエドワード。波の音だけが静かに聞こえる。
「…すまん、感情的になりすぎた…」
「…」
「…俺のことを助けてくれた時のこと、覚えてるか?」
「…えっ?」
タイタスを助けた…。そっか、ハイスクールの時だったっけ…。
「俺が父ちゃんと喧嘩してさ、自暴自棄になって荒れていた時、お前は全く知らない俺と真っ向からぶつかってくれたよな」
そうだ…。あいつが万引きをしようとしてたところを止めたんだ…。
「俺、あの時エドが止めてくれなかったら、今頃犯罪者の仲間入りをしてたかもしれない。あの時のこと、ものすげえ感謝してるんだぜ?でもよ…」
タイタスが悔しそうな顔をする。こいつ、こんな表情もするんだ…。
「エドがノラの事件で苦しんでる時に、俺…なにもできなかった…。お前になんて声をかけていいか分からなくて…。あの時のこと、すげえ後悔してる」
「…タイタス…」
「苦しんでるエドはもう見たくないんだ。だから、もっと信頼してくれてもいいんじゃないのか?」
エドワードは恥ずかしさを覚えた。礼儀を相手に尽くすことが正しいとばかり考えていた。でも見誤っていた。相手の本当の気持ちをこれまで考えたことがなかった。相手を頼ることをしなかった。全部自分中心だった。そう確信した。今まで言われてきた言葉1つ1つがまるで凍てついた氷柱に変わってエドワードの身体に突き刺さった。
「タイタス…俺は…」
突然着信音が鳴り響く。エドワードの携帯電話には、ケイティの4文字が書かれていた。
②
流れる大きな川。鮮やかに色が変わっていく葉。収穫されるのを今か今かと待ち望んでるように見える小麦たち。エドワードは今、故郷であるリバービューに来ていた。
携帯越しのケイティはブリッジポートまで行っていた。理由は教えてくれなかった。ただ一言、今からリバービューの「ザ・ガゼボ」に来てほしい。そう言われ電話を切られてしまった。
「ザ・ガゼボ」は故郷でもエドワードが一番お気に入りの場所。町中にある小さな広場で、大好きなチェスを楽しむことができる。そして…ノラと初めて出会った場所でもあった。でも、一体なぜ…?
とにかく言われるがまま公園へ向かうエドワード。
足が止まる。一人の女性がチェスをしていた。年は取っても雰囲気はそのままだった。後ろ姿を一目見てすぐに分かった。
「…ノラ」
声をかけるのは、あの事件以来だった。そして顔を見るのもハイスクール卒業以来。
「…エドちゃん?」
ノラが振り返る。化粧をしているせいか、ハイスクール時代と比べて随分大人びていた。
秋風が2人の間に流れる。1秒1秒が長い。瞬き、呼吸がまるでスローモーションのように感じられた。そして彼女はゆっくりとほほ笑んだ。
「久しぶり!会いたかったよ!」
可愛らしい笑顔と声のトーンは昔と変わらなかった。
「お前、ずいぶんと大人っぽくなったな」
「ええ~そ~お~?」
照れるように体をもじもじさせるノラ。大人っぽいと言われたのが嬉しかったようだ。
「そういうエドちゃんも、なんかセクシーさが増したんじゃない?」
「なんだよセクシーさって」
「なんかね、色気が出てる!男の色気が!(笑)」
「笑うなよ。バカにしてんのか」
「バカにしてないよ~!でも…」
ノラの目線がエドワードの頭に移る。
「その帽子で分かった」
帽子に手を当てるエドワード。この帽子はノラが手作りでプレゼントしてくれたものだ。
「まだ被っててくれたんだね。ちょっと嬉しい」
「…当たり前だろ。お前が苦労して作ってくれたんだから」
「ということは、今まで私のことを忘れずに思っていてくれてたんだ?」
「…そうだよ」
「じゃあなんで会いに来てくれなかったの?」
エドワードの言葉を遮るかのようにノラは言った。顔は笑顔のままだが、心は笑っていない。
「それは…」
言葉が詰まるエドワード。
「エドちゃんが私を気遣ってくれてるんだろうなってことは…すぐにわかってた。でも私はね?正直言うと寂しかった。またこの前みたいに笑いあって一緒にいれると思ってたよ」
ノラはエドワードの顔を見ていない。真っすぐに前を見ている。
「だからエドちゃんに会えるのをずっと待ってたんだ。だから、今日会えたことがすごく嬉しいよ」
「…ノラ、その…ごめん。俺は…」
なかなか言葉が出てこない。そんなエドワードをノラは笑顔で見つめて、また視線を逸らし真っすぐ前を見た。
「私、来月結婚するの」
大きく息を吸って彼女は言った。言おうとした言葉が一気に空気に溶けて消えていった。
「同じ大学に通っていた先輩なんだけどね、この前プロポーズされちゃったんだ。へへ、こんなバカな私と結婚したいなんて、もの好きだよねぇ~」
エドワードはただ真っすぐ彼女を見ている。
「ちょっとお堅い感じの人なんだけど、すごく熱血な人で素敵な人なの。私、彼のこと大好きなんだ」
彼女は下に生えている花々を真っすぐ見ている。一瞬だけ寂しそうな表情に見えたのは気のせいだろうか…。そしてふと思い出したように、エドワードに言った。
「ケイティちゃんだっけ?あの子の名前」
急に彼女の名前が出てきて驚くエドワード。そっか…ケイティは…。
「私、今ブリッジポートに住んでるんだけど、ケイティちゃんが急にやって来たのよ。『どうしても会わせたい人がいるんです!お時間いただきたいんですぅ~!』って。ビックリしたけど私、彼女の必死な姿に思わず笑っちゃった。面白い子ね(笑)」
「あいつ、周りが見えなくなる時があるから…」
「すごくエドちゃんのことを思ってくれている子なんだなぁってことが分かったよ。ケイティちゃんに感謝しないとね。…私たちがまた、こうやって再会できたんだから」
「そうだな…」
安心したように微笑むノラ。
「…守ってあげてね、ケイティちゃんのこと」
「えっ?ど、どういうことだよ?」
「私という美人な女性を逃しちゃったんだから、エドちゃんも早く新しい恋人を見つけなきゃ!彼女のこと、好きなんでしょ?それだったらアタックしないと!!いつまでも私に囚われてたらダメだぞ☆」
「な、なんだよそれ!別に俺は…」
「私は大丈夫だからね!」
自信に溢れた大声で彼女は言った。
「エドちゃんとともに過ごしたあの時間は、今でも私にとって大切な宝物だから!悲しい記憶なんかじゃないから!」
ノラはリバービューの紅葉した山々を真っすぐ見ていた。そして彼女の眼は太陽の光でキラキラと輝いていた。
③
「お前ってやつは…」
「ごめんなちゃい…」
エドワードとケイティは夕暮れのサンセット・バレーのビーチに座っていた。
「もっとお前は考えて行動しろ。あんな置手紙書いてたら失踪だと思うだろうが!危うく警察沙汰にするところだったぞ」
「エドワード警察官じゃん…」
「うるさい!!」
久々にエドワードに怒られてシュンとなるケイティ。ハイスクール時代にもエドワードはよくケイティのことを叱っていた。
「だって…エドワードのこと助けたいって思ったんだもん。だから余計な心配かけたくなかったんだも~ん…」
まったくこいつってやつは…。ちっとも変わりやしない。
「…でも、…ありがとよ。お前のおかげで俺自身、変わることができた気がする。本当に感謝してる」
「えへへ!、エドワードとノラちゃんが仲直り出来て良かった!」
無邪気に笑うケイティ。こいつの笑顔はいつ見ても元気がもらえる。どんなに辛いことがあっても。だから俺は…
「あのよ…この前の返事なんだが…えっと…その」
「ん?返事って…なんのこと?」
「その…俺たちが付き合うって話…」
「あー!!そのことね!!」
ケイティがいつもの無邪気な笑顔で答える。
「やっぱりあたし、黒髪で長身でメガネかけてる男の人が好きみたい!ブリッジポートにすっごいカッコいい人がいて確信したの!だからこの前の話はなかったことで!だって、エドワードは私にとってお父さんみたいな人だから!娘と父親が付き合う事なんてできないじゃない!あっはは~♪」
自分の中で生まれて初めてプッツンと何かが切れる音がした。こいつ…
「もう許さねえ!!!ぶん殴ってやる!!!」
「キャー!!ドメスティックバイオレンス~~!!!」
エドワードの怒号とケイティの悲鳴が夜の秋空に響き渡った。
つづく…