【東日本大震災】もしこれが人間の骨だったら...と毎日のように遺体を探している。

 宮城県石巻市釜谷。北上川沿いの同地域は、東日本大震災による大津波が川を逆流してきたところだ。その影響で今は集落があった面影はない。唯一残されている建物は市立大川小学校の校舎だけだ。小学校近くにある病院の建物も流されなかったものの、すでに取り壊され、整地されている。周囲の家々はもう土台さえ残っていない。そこに集落があった痕跡がなくなりつつある。

 大川小学校は児童74人、教職員10人が死亡または行方不明になった。学校管理下で最大の犠牲者を生み出したことで、今回の震災の悲劇の一つになっている。小学校の正門前に建てられた慰霊碑があり、多くの人が訪れ、手を合わせている。私も大川小学校前には何度も通っている。誰もいない時もあったが、必ずといっていいほど、誰かが訪れている。報道で悲劇を知り、関東から訪れる学校関係者がいたり、子どもや孫を亡くした人、学校のOB、OGも手を合わせている。

 そんな中で、小学校の近くに住んでいた母親を亡くしたという女性がいた。私はこの女性の話を聞いたとき、「この付近は小学校の悲劇は語られるが、その周辺の人が逃げられなかったことについては語られていないのではないか」とふと思ったことがあった。そのため、機会があれば、小学校の関係者だけでなく、集落の関係者の話を聞いてみたいと思っていた。