東日本大震災で児童74人、教職員10人が犠牲となった宮城県石巻市の大川小学校児童の遺族23人が10日、宮城県と石巻市を相手に、合わせて23億円を求める損害賠償請求を仙台地裁に起こしました。その理由とは何か?


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 訴状によると、石巻市と宮城県は、大川小学校の児童に対すして、災害等によって児童に生じる危険を防止し、及び危険又は危害が現に生じた場合に適切に対処することが求めらるが、単に児童を安全な避難場所に移動させること、又は津波の被害に遭わないような方法(スクールバスでの移動など)をまったくとらなかっただけでなく、情報収集の義務があるのに、校庭に避難させたときから約45分間も、津波被災の危険が高い校庭に縛りつけた、とした。


 予見可能性については、地震発生前のものと、発生後のものと区別した。発生前のもとしては、2010年8月の市教委主催の研修会で、「強い揺れ(震度4)/揺れの長井自身を感じたら高台へ」「災害の種類に応じた避難先、避難路」、「学校自体が危険な時⇨安全な場への集団避難」などと資料に基づいた研修を受けていた。しかし「津波」の場合は避難場所は「近隣の空き地・公園など」と書かれていたマニュアルの修正等の議論を怠った。2011年3月9日に発生した地震の際、校長らは避難先について会話を交わしている。直ちに訂正する機会があった。集団避難訓練等も一度も行なわなかった、とした。


 また、津波発生後のものとしては、校長が休暇で欠けていた大川小では、教頭が校長の代行をし、教務主任が補佐することになるが、津波に関する情報の収集をしていない。また、河北総合支所が大津波警報の発令を流している。直ちに危機を予見できた。保護者の中から「カーラジオで大津波がくると言っている」「北上川の川底が見えるほど水がひいている」などと言われ、「早く山へ逃げて」と進言されている。しかし、教職員は逆に保護者に「落ち着いて」とたしなめている。教務主任は教頭に「山に逃げますか?」と聞くなど、危険を予見し、単独で裏山に避難している。


 これらを前提にすれば、地震発生前にも、地震発生後にも、児童74人と教職員10人が津波から逃れる選択肢が、いくつもあったということを主張している。地震後の選択としても、裏山に逃げるルート、スクールバスで避難する方法、峠に向かって徒歩で避難する方法などが考えられたとしている。


 訴状の中では、石巻市の危機監理官が「プロアクティブの原則」に触れたことも取りあげている。